NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第3回

ギリシアと都市国家

  • 世界史監修:早稲田大学特任教授・本村凌二
学習ポイント学習ポイント

ギリシアと都市国家

  • 政井マヤさんと野呂汰雅さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • ポリス
  • 古代ギリシア

紀元前8世紀、エーゲ海沿岸を中心に、ギリシア人による「ポリス(都市国家)」が、次々と生まれました。
そのひとつ、アテネでは民主政の基礎が築かれ、一般市民の政治参加の道が開かれていきます。
また、ポリスで生まれた文化は、アレクサンドロス大王の
東方遠征によって東へと伝わり「ヘレニズム文化」が成立しました。

今回は、紀元前8世紀から4世紀にかけての、古代ギリシアを見ていきます。

  • 本村凌二先生
  • ドラクマ

ヨーロッパの昔のコインを見ているマヤさん。
ひとつだけ、どの国のものかわからないコインがありました。
そこで、本村凌二先生に聞いてみます。

本村先生 「これはギリシアのドラクマですね。ギリシアの通貨は、今はもちろんユーロですけど、2001年まではこのドラクマが使われていて、それが通貨単位としては、紀元前から使われていたんです。
私たちが日常で使っているお金の仕組みが生まれたのは、紀元前7世紀頃のギリシア、あるいはそれに接するオリエントだったわけですし、そこで銀行や貨幣商も古代ギリシアに誕生したというわけです。」

都市国家の形成
  • パルテノン神殿

古代ギリシア時代。
それは、都市国家ポリスの成立によって始まりました。
紀元前8世紀、エーゲ海沿岸を中心にギリシア人のポリスが次々と生まれます。
それぞれのポリスは、政治的に独立していました。
なかでもアテネは、特に力を持っていたポリスのひとつでした。
都市国家アテネの中心地だった場所に、今も残る「パルテノン神殿」
市街地を見下ろす丘の上に建てられています。

  • アクロポリス
  • オリーブ

都市国家ポリスでは、こうした小高い丘、「アクロポリス」を中心に共同体が形成されました。
神殿を中心にして、人々が集まり住み、さらにその外側には農地も広がっていました。
農地では、オリーブなどの果樹栽培が行われていました。

  • アゴラ

ポリスに暮らす人々になくてはならない場所だったのが、アクロポリスのふもとにある広場、「アゴラ」です。
アゴラでは市場や集会などが開かれ、市民でにぎわったといいます。

ポリスの人々はアゴラで自由に議論を交わす習慣がありました。
議論の中から生まれのが、「ソクラテス」「プラトン」に代表される哲学でした。
プラトンの弟子「アリストテレス」は自然や社会などあらゆる方面の研究を行い、「万学の祖(ばんがくのそ)」と呼ばれています。

  • 無知の知

マヤ 「アゴラで議論することで哲学が生まれたということですが、具体的にはどんなことだったんですか?」

本村先生 「そもそも哲学は自然哲学といいますか、自然がどういうふうに成り立っているのかっていうのがそもそもの出発点ですけれども、だんだん人間の内面的なものに関心が向いていって、こうした哲学を代表するのがソクラテスだったわけです。
ソクラテスは人々にいろんな質問をしますけれども、汰雅さんにしてみましょう。自分は賢いと思いますか?」

汰雅 「いや、まったく賢くないですね。」

本村先生 「本当にそれは賢い答えです?!」

ソクラテスが説いた「無知の知」。
それは、自分の無知を自覚している人こそ賢いというものです。
賢者たちと「自分は賢いと思うか?」という問答を繰り返すことで、「無知の知」という考えに至ったのです。

本村先生 「議論や熟考を経て答えを導き出し、若い人たちに伝える。それが知を愛する哲学となったわけです。ただ、興味がない人から見ると、おしゃべりばっかりしているように見えますから、ソクラテスの妻は夫が働きもせずに、しゃべっているだけだっていうので、イライラして夫に水をぶっかけていた。ソクラテスは少しも動じず、『必ず結婚しなさい、よい妻を持てば幸せになれる、悪い妻を持てば哲学者になれる』という名言を残したわけですね。」

汰雅 「そんな議論ばかりしていて生活ってできるもんなんですか?」

本村先生 「古代ギリシャ時代は奴隷がいましたから、彼らが大半働いている。資産のある市民とか、貴族たちは当然働かなくてもよかった。」

ギリシア民主政治
  • アテネの人口構成
  • 重装歩兵

アテネの社会は、市民と奴隷で構成されていました。
市民の中には貴族と平民がいて、当初は政治を行うのも戦争で戦うのも貴族でした。
紀元前7世紀頃になると、商工業が発達したアテネでは裕福な平民が登場します。
彼らは自らの費用で武器を買い、軍隊に参加します。
戦争では、重装歩兵として軍の主力となりました。

  • 陶片追放
  • 政治の決定権も変わった

やがて発言力を増した平民たちは、政治への参加を求めるようになります。
紀元前6世紀頃になると平民たちの声を無視できなくなり、さまざまな改革が行われました。
そのひとつが、独裁政治を未然に防ぐ「陶片(とうへん)追放」と呼ばれる仕組みです。

陶器のかけらに、独裁者になるおそれのある人の名前を書いて投票。
一定の投票数を集めると、10年間、国外追放となりました。
それまで、有力な貴族の中からしか政治に参加できなかった仕組みも変わりました。
「デーモス」という地区に分けて、その中から代表を選ぶことで、平民も政治に参加できるようになったのです(画像・右)。

本村先生 「地区ごとに、デーモスごとに代表者を選んで政治を行うというシ
ステムは現代も同じなわけです。汰雅さんはデーモスという言葉から、何か連想することはありますか?」

汰雅 「デーモン?」

本村先生 「民主主義は英語で、デモクラシーと言いますよね。もともと地区だった言葉が、民衆を意味するようになる。その“デーモス”を語源としてデモクラシーが生まれたわけです。」

  • ペルシアは西アジア全域を支配していた
  • 三段櫂船

アテネの民主政が完成したのは紀元前5世紀、ペルシア戦争後のことでした。
ペルシアは西アジア全域を支配していた大国でした。
右画像は、ギリシアの三段櫂船(かいせん)です。
上下3段にわたって漕ぎ手を配置したこの船は機動性が高く、ペルシアとの戦争で力を発揮しました。
こぎ手としてかりだされたのは、それまで武器が買えなかった下層市民たちでした。

  • ペリクレス
  • 裁判官を選ぶための抽選機

三段櫂船の活躍もあり、ギリシア人はペルシアの攻撃をうち破ります。
勝利に貢献したことで、下層市民も政治に参加する道が開けました。
“アテネの民主政”を完成させたといわれるのが「ペリクレス」です。
当時のアテネの民主政について、アリストテレスの書物から知ることができます。
アテネでは、市民権を持つ18歳以上の男性すべてに参政権が与えられました。
行政や裁判に携わる人は、抽選で選ばれました。
女性や奴隷は参加できませんでしたが、抽選制を取り入れることによって、市民なら誰もが政治に直接参加できるものとなったのです。

本村先生 「大事なことはやっぱり投票を通じてですし、当然ながら将軍のような重要な役職は投票で選んでいた。」

汰雅 「今みたいにポスターを貼ったり演説したりみたいな、選挙活動もあったんですか?」

本村先生 「古代ギリシアでは演説がうまい人が選ばれるということです。例えば、将軍であるペリクレスのような人物が、彼は古代の三大イケメンの一人だっていわれますけれども、選挙では負けを知らない。でも、一度も笑ったことがない。現代でいえば失格者でしょうね、政治家としては。その代わりに演説が非常に巧みだった。」

  • スパルタ

マヤ 「アテネでは民主政が進んでいったということなんですが、ほかのポリスではどうだったんですか?」

本村先生 「ギリシアのほかのポリスでは、特にスパルタがアテネ以上に市民内部の平等を徹底した民主政を行っていたわけですけど、ほかのポリスでは民主政が根付かず、むしろ貴族政がずっと続いていくということだったので。
でも、アテネやスパルタなどのポリスがそういう形で発展していったかというとそうではなく、ポリス同士の争いが絶えず、衰退していったということになるんです。」

アレクサンドロス大王の東方遠征
  • マケドニア王国

ポリス同士が戦争で疲弊する中、勢力を強めたのが、ギリシアの北部にあったマケドニア王国。
紀元前4世紀、アテネなどポリスの連合軍を破り、ギリシア世界を支配するようになります。
紀元前336年、20歳でマケドニアの王となったのが、「アレクサンドロス」でした。
少年時代、ギリシアの哲学者アリストテレスから教育を受けたことが知られています。

  • ペルシア帝国を攻撃
  • 密集したまま突進する

アレクサンドロスが生涯をかけて行ったのが、「東方遠征」です。
まずギリシア世界への介入を繰り返すペルシア帝国を攻撃しました(画像・左)。
ペルシアの軍勢に比べ、アレクサンドロスの軍勢は圧倒的に少ない兵力でした。
そこで、長槍を持たせて密集したまま突進するという戦い方を用いました(画像・右)。
さらに、少数の部隊をおとりにして敵の意表を突くなど、巧みな采配で勝利へと導きます。
ペルシアを倒した後、さらに東へと遠征を続けたアレクサンドロスは各地を征服し大帝国を築くことになります。

  • アレクサンドロス大王の征服領域

マヤ 「アレクサンドロス大王が征服した地域ってものすごく広いんですよね。」

本村先生 「まず、ギリシアを出まして、ペルシアを倒して、エジプトまで遠征していく。さらに、北のほうにさかのぼって、今度はチグリス・ユーフラテスの川流域を経て、インダス川の流域まで勢力を広げていった。」

汰雅 「今の感覚だと、ギリシアとエジプトとインドって、言葉も文化も全然違うじゃないですか。それがひとつの帝国になったということですよね?」

本村先生 「そうですね、アレクサンドロス大王の東方遠征っていうのは歴史的に非常に重大なことだったわけです。別々に発展していた地域が、アレクサンドロスがつなげた。そのことで、世界で初めてグローバリゼーションが、つまり国家や地域などの境界を越えて結びつき、そこでさまざまな変化が起きた。」

地中海交易とヘレニズム
  • ヘレニズム文化
  • ガンダーラ美術

マヤ 「具体的にはどのような変化が起きたんですか?」

本村先生 「交易が活発になった。アレクサンドロスが征服した土地でそれぞれの国に貨幣を発行させて、例えばギリシアではたくさん生産できない穀物をエジプトから輸入する、ギリシアではたくさん栽培されていたオリーブを輸出するという、必要なものを必要なところにあてがうシステムができあがって、東地中海全体の交易が活発になったわけです。

マヤ 「文化の交流という点ではいかがですか?」

本村先生 「ギリシア文化が、東方の地域に伝わったわけですね。すると、オリエント文化と融合しますから、それをいわゆるヘレニズムという(画像・左)。その中でも、ギリシアの彫刻がありますよね。ミロのヴィーナスというのをご存じですか?ギリシアの彫刻は、人間の性格描写や非常に感情表現にすぐれていて、西北インドにまでアレクサンドロスが行きましたので、その地域まで伝わって、仏教のガンダーラ美術などもその成果なわけです(画像・右)。
アレクサンドロスが、もしペルシアとの戦いで亡くなっていたら、世界は今とまったく違う形になっていたかもしれませんね。」

それでは次回もお楽しみに!

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