NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第2回

オリエント文明

  • 世界史監修:早稲田大学特任教授・本村凌二
学習ポイント学習ポイント

オリエント文明

  • 政井マヤさん
  • 富田早紀さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • エジプト文明とメソポタミア文明

地中海世界の東側の地域は、「オリエント」と呼ばれます。
「太陽が昇るところ」という意味で、古代ローマの人々が名付けました。
今から5000年以上前、ティグリス川、ユーフラテス川の流域と、ナイル川の流域に、古代文明が興りました。
この2つの地域で、ほぼ同じ時期に、人類初となる“あるもの”が発明されます。
その後、人類の歴史を大きく変えていく“あるもの”とは、いったいどんなものだったのでしょうか。

マヤ 「当たり前に文字を使っているけど、そのありがたみ、ちゃんと分かってる?
私たちホモ・サピエンスの歴史は15万年以上。その間のほとんどを、音声だけのコミュニケーションに頼ってきたの。文字が“発明”されたのは、わずか5000年ほど前のことなのよ。

人類最古の文字
  • 楔形文字
  • 楔

これは(画像・左)、最も古い文字のひとつ「楔形(くさびがた)文字」です。
粘土板に、植物の茎などで文字を刻み込み、その後乾燥させることによって保存されました。
刻まれた文字が、石を割る道具の「楔(くさび)」に似ていることから、この名前があります(画像・右)。
楔形文字は、どういう目的で考え出されたのでしょうか?

  • ティグリス川とユーフラテス川
  • メソポタミア文明

現在のトルコを水源とし、ペルシア湾にそそぐ2つの川、「ティグリス川」「ユーフラテス川」
今から5000年ほど前の紀元前3500年頃、これらの川の流域に都市国家が成立して、文明が興りました。
「メソポタミア文明」です。
メソポタミアとは、「川の間」という意味のギリシア語です。
城壁で囲まれた都市の中心には、守護神を祀(まつ)る巨大な神殿が建設されていました。

  • 日干しレンガづくり
  • 完成した日干しレンガ

建材として使われたのは、日干しレンガ。
水で柔らかくした粘土と藁(わら)などを混ぜて形を整え、天日で乾燥させて作ります。
乾燥するととても固くなり、5000年を経た今もなお、当時の姿を伝えています。

  • 水を畑に引き込む
  • 小麦を意味する楔形文字

このメソポタミア文明を支えたのは、高い農業生産力でした。
2つの川がもたらす豊富な水を灌漑によって畑に引き込んで、主に小麦が栽培されました。
小麦1粒から80粒、つまり80倍ほどの収穫量があったと考えられています。
中世のヨーロッパで4倍程度、現在のアメリカで20数倍といわれていますから、メソポタミアの農業技術が驚くほど高かったことがわかります。
収穫した小麦は、人々の主食となるほか、交易の商品となりました。
この大事な小麦を管理・記録するために、文字が使われるようになったと考えられています(画像・右)。

  • ナイル川
  • エジプト文明

一方、アフリカ大陸の北東部、ナイル川の下流域でも、ナイル川がもたらす肥沃な土壌を利用した農業が発達していました。
「エジプト文明」では、紀元前3000年頃、統一国家が誕生します。
古代エジプトの王「ファラオ」は、太陽神の化身として政治を行いました。
このような政治の仕方を「神権(しんけん)政治」と呼んでいます。

  • ヒエログリフ

そして、ファラオの記録を残すために使われたのが、「ヒエログリフ」
象形文字であるヒエログリフは、ひとつひとつの文字が意味を持つ「表意文字」です。
このほか、エジプトではヒエログリフを簡略化した文字も、一般的に使われていました。

  • 本村凌二先生
  • ロゼッタ・ストーン

今回は、本村凌二先生に教わります。
本村先生が持ってきたのは「ロゼッタ・ストーン」のレプリカ。
エジプトのファラオである、プトレマイオスの勅令が書かれているといいます。

  • 大英博物館に展示されているロゼッタ・ストーン

本村先生 「フランスのナポレオンがエジプトに遠征した時に見つけたもので、現在は、本物は大英博物館に所蔵されています。
同じ内容の文章が3種類の文字『ヒエログリフ』、簡略化した『デモティック(民衆文字)』、それから『ギリシア語』で書かれていて、ヨーロッパの人たちにとってギリシア語はもうすでに読めたので、解読する手掛かりになっていくわけですね。」

早紀 「エジプトで、フランスのナポレオンが見つけて、解読にはギリシア語が役立って、今はイギリスの博物館にある?なんか混乱してきました。」

本村先生 「しかも、解読したのはフランス人ですからね。」

どういうふうに解読されたかが重要だと、本村先生はいいます。

本村先生 「象形文字というのは、元々は表意文字として使われていたわけですけれども、ヒエログリフは文字としては数百から数千くらいあるといわれている。」

  • カルトゥーシュ
  • 意味を表すものが音も表す

本村先生 「ヒエログリフの中に、カルトゥーシュといいますけれども、このカルトゥーシュで囲まれたところは“固有名詞があるらしい”ということが分かってきて、そこには音が当てはめられているわけですね。
“口(くち)”みたいになっていますけれども、それは“P”を表す。」

マヤ 「元々意味を表すものだったのが、音も表していることが分かったと。」

本村先生 「そうなんです。そういうことが手掛かりになって、いろいろな文字の関係が分かってくることになったわけです。
表意文字だったのが表音文字として使われるようになり、アルファベットの発明へとつながっていくことになるわけですね。」

鉄器とアルファベット
  • ハンムラビ法典が刻まれた石碑

文字を生み出した古代オリエントの歴史を振り返ってみましょう。

メソポタミアで楔形文字を発明したのは、シュメール人という人々でした。
シュメール人の文明は、紀元前2000年頃までに滅び、その後、さまざまな民族がメソポタミア地方の覇権を競うようになります。
紀元前1800年ごろには、アムル人による古バビロニア王国がメソポタミアを統一。
王国の秩序を維持するために制定された「ハンムラビ法典」は、“目には目を”の原則で知られています。
この法典は、楔形文字で書かれていました(画像)。
シュメール人の文字を、ほかの民族も使っていたのです。

  • ヒッタイト王国の遺跡
  • 馬に引かせた戦車を描いたレリーフ

紀元前1600年頃には、現在のトルコに強大な王国を建てていたヒッタイト人が、メソポタミアに侵入。
のちにはエジプトとも戦いました。
彼らの軍は、馬に引かせた戦車を使って高い機動力を誇っていました。
その様子を描いたレリーフ(画像・右)を見ると、車輪にスポークが使われ、軽量化が図られていることが分かります。

  • ヒッタイト人は初めて本格的に鉄器を使用した

そして、ヒッタイト人は、初めて「鉄器」を本格的に使用した民族として知られています。
鉄製の武器は高い威力を誇り、同時に、鉄製農具は生産力を高めました。
そのヒッタイトも、紀元前1200年頃に滅亡し、それまで彼らが門外不出としていた鉄の製法が広まっていくことになります。

  • フェニキア人が建設した植民市の遺跡
  • フェニキア文字のアルファベット

さまざまな勢力が戦いを繰り返す中、商業の民として活発に活動したのが、フェニキア人でした。
現在のレバノンを拠点とした彼らは、レバノン杉や染料などを商品として、地中海交易で巨大な富を築いたのです。
現在のチュニジアに、フェニキア人が建設した植民市の遺跡が残っています(画像・左)。
この遺跡の一角に残されているのが、フェニキア人が使っていたアルファベット。
エジプトのヒエログリフを基にして、自分たちの言葉を表しやすいよう、工夫されたものでした。

アルファベットの変化

本村先生 「アルファベットは、最初は古代エジプトのヒエログリフからできたといわれているのですが、例えば『雄牛』を古代エジプトでは本当に牛の頭みたいに書くし、それから『家』は囲まれた空間みたいな形になっている。
それが、アルファベットのもとになった原シナイ文字というのが、雄牛、それから家を、それに近い形にもっていって…。」

マヤ 「ちょっと簡単にしたって感じですよね。」

本村先生 「そうですね。それが紀元前1500年くらいの時に、フェニキア人がさらにそれをシンプルにした、記号っぽい書きやすい形になっていって、それがやがてギリシア人に伝わって、さらにそれがラテン文字といいますか、ローマ字になっていきますと、我々が見慣れたアルファベット26文字になっていくことになります。」

  • 地中海東岸を反時計回りに伝わっていった

このように、エジプトのヒエログリフが簡略化されながら地中海東岸を反時計回りに伝わっていき、私たちの知るアルファベットになったのです。

本村先生 「人間の持っているあらゆる言葉というか想いとか、あるいは名詞とかいうものをわずか20数文字で書けるわけですから、人によっては人類最大の発明だっていうふうに言うわけです。」

アッシリアとペルシア
  • アッシリアがオリエントを統一
  • アッシリア帝国のニムルト遺跡

オリエントでは、その後もさまざまな民族の覇権争いが続きます。
紀元前7世紀には、ティグリス川上流を拠点としていたアッシリア人が、メソポタミアからエジプトまでの支配を確立。
人類史上初の「世界帝国」が誕生しました。
アッシリアの支配は、ヒッタイトから学んだ鉄製武器と戦車などによる強力な軍事力によって支えられていました。
しかし、その強い軍事力に物を言わせた苛烈な支配が裏目に出てしまいます。
重い税を課したり強制的に移住させたりしたために反乱が続発し、アッシリアはわずか100年ほどで滅んでしまいました。

  • アケメネス朝ペルシア
  • ペルセポリス

その後、分裂状態が続いたオリエントを再統一したのが、アケメネス朝ペルシア。
支配地域は、西はギリシアからエジプト、東はインドのインダス川にまで及びました。
アケメネス朝では、アッシリアとは反対に、征服された人々の宗教や慣習を尊重する、ゆるやかな支配体制がとられました。
ペルセポリスは、ギリシア語で「ペルシア人の都」という意味。
儀式や公式行事などが行われた壮麗な都です。

  • 遺跡に残るレリーフ

そのことを物語るのが、遺跡に残るレリーフ。
多様な民族がアケメネス朝の王に貢ぎ物を献上する様子が描かれています。
繁栄を誇ったアケメネス朝ですが、紀元前330年にアレクサンドロス大王の遠征軍に敗れ、滅ぼされます。
そして、オリエントは、ギリシアの支配下となったのです。

ペルセポリス復元想像図

それでは、ペルセポリスの復元想像図を見てみましょう。

本村先生 「いろいろなものが断片的に残っているから復元できるのですが、ギリシアのパルテノンの神殿もすごいですけれど、それ以上に細かい装飾がなされていて、金とか銀とかそういったものもたくさん使って装飾しているっていうのがペルシア文明の高度さっていうのがよく分かるんじゃないかと思います。」

マヤ 「ペルセポリスって言葉の響きから、私はギリシア文明の一部みたいに思っていたんですけど、もっと全然違う固有の文化が…。」

本村先生 「そうですね。我々は、どうしてもギリシアの文明に目が行きがちですけれども、オリエントはそれ以前に2000年の文明を持っているわけですから、そういうところからギリシアも多くのことを学んだということが、世界史を見る上で大切だと思います。」

マヤ 「当時、世界の最先端地域だった古代オリエント。それでも、灌漑農業の繰り返しで土壌の塩分が高くなってしまったり、フェニキア人が商品としたレバノン杉を乱伐しすぎて、その美しい森のほとんどが失われてしまったそうです。人類の文明は、環境破壊なしに発展することは難しいんでしょうか。」

それでは次回もお楽しみに!

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