NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、2020年度の新作です。

世界史

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※この番組は、2020年度の新作です。

今回の学習

第1回

世界史への招待

  • 世界史監修:東京大学名誉教授/放送大学客員教授・水島 司
学習ポイント学習ポイント

世界史への招待

  • 政井マヤさん
  • 野呂汰雅さんと富田早紀さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
進行役は政井マヤさん。
野呂汰雅(たいが)さん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

今日は「世界史」と私たちの生活とのつながりを考えていきます。

パスタと産業革命
  • パスタのルーツはどこ?

マヤ 「お昼に食べるパスタね、このペンネかニョッキ、ロングパスタもね、迷っちゃって。」

早紀 「考えてみたらパスタの種類って多いですよね、どこに行っても食べられるし。」

マヤ 「そうなの、この硬くて乾燥したパスタ、世界のどこでも食べられるくらいポピュラーなイタリアンなんだけど、ルーツはどこか知ってる?」

早紀 「イタリアですよね、イタリアンっていうくらいだから。」

マヤ 「そう。じゃあ、なぜイタリアから世界に広がったんでしょうか?」

  • パスタの種類は300以上
  • 古代メソポタミアで栽培されていた

カレー、ラーメンと並び、日本人にとって国民食となったパスタ。
その種類は300以上といわれています。
イタリア発祥のパスタが、いまや世界中どこでも食べることができるほどポピュラーな食べ物になったのには、どんな物語があるのでしょうか。

パスタの原料は小麦。
小麦は、もともと東地中海沿岸に自生していましたが、およそ1万年前、古代メソポタミアで栽培されていました。
そして、エジプト・ギリシャ・ローマへと広まっていきます(画像・右)。

  • 池上俊一先生

小麦粉から作られた、私たちが知る馴染み深い乾燥麺のパスタは、中世のイタリアに登場します(※諸説あり)。
そもそもイタリアには、どのように伝わったのでしょうか。
池上俊一先生に伺います。

池上先生 「我々が食べている乾燥したロングパスタがイタリアに登場したのは、だいたい11〜12世紀だと考えられています。アラブ人たちが保存食として食べていたものが、当時のシチリア島に伝えられたんですね。」

長く保存ができる乾燥麺は、アラブ人が考え出したといわれています。
当時、アラブ人は地中海を経由してヨーロッパと盛んに交易を行っていました。

  • シチリア島
  • 圧搾機(あっさくき)

その地中海交易の中心地だったシチリア島に、乾燥麺が伝わります。
一年中ふり注ぐ太陽、強い海風。
シチリアはパスタを乾燥させるのに最適な場所でした。
さらに同じ南イタリアのナポリに伝わると、ところてんの要領で押し出す圧搾機(あっさくき)が登場し、生産性が大幅に向上しました。

池上先生 「そのあと、圧搾機は出口のところをさまざまな形にすることで、現在のようないろんなバリエーションのあるパスタにつながっていくわけなんですね。」

こうして乾燥パスタはナポリの特産になり、船乗りたちの常備食となっていきます。

  • トマト
  • トマトソース

そして15世紀末、大航海時代が訪れます。
船の大型化、航海術の発達などにより、コロンブスが初めてアメリカ海域に到達するなど、ヨーロッパの人々によって、次々と新しい航路が開拓されていきました。
そしてもたらされたのは、それまでヨーロッパの人々が見たこともない数々の野菜(ジャガイモやトウモロコシなど)だったのです。

パスタの歴史にこのとき、大きな転機が訪れます。
「トマト」との出会いです。
ナポリの人々は、南米などを原産地としたこの未知の野菜「トマト」でソースを作りました。
18世紀後半、パスタとトマトソースを結びつけるという画期的な調理法によってパスタ料理は大ヒットします。

  • 産業革命で大量生産できるようになった

さらに、パスタが大きく飛躍する歴史的出来事がありました

池上先生 「18世紀の後半になりますと、イギリスから産業革命がおこり、これがやや遅れてイタリアにも伝わりました。そこでパスタも(蒸気などによる)機械化によって大量生産画可能になりまして、(安価となり)比較的貧しい人でもパスタが食べられるようになって、今日のような(イタリアの)国民食として広まって、世界中にも広まっていくということになりました。」

主に人の手で生産されていた乾燥パスタは、産業革命で大量生産できるようになり、パスタ料理は世界の食卓へと普及していくのです。

サッカーと英国の海外進出
  • サッカー

世界中で熱狂的な人気のあるスポーツといえば、サッカー。
近代サッカーが誕生したのは、イギリスといわれています。
近隣のヨーロッパ各国に広がる一方で、遠く海を挟んだブラジルやアルゼンチンなどにも普及し、今や南米サッカーのレベルは最高峰にあります。

なぜ、サッカーはこれらのラテンアメリカの国々で盛んになったのでしょうか?

  • 古代ギリシアのレリーフ
  • 中国の蹴鞠のような球技

サッカーの起源には諸説あります。
古代ギリシアの遺跡からは、ボールのようなものを蹴っているレリーフが発見されています。
また、紀元前2〜3世紀の中国で蹴鞠(けまり)のようにボールを地面に落とさず蹴(け)り続ける球技があったと伝えられています。

  • モブフットボール
  • モブフットボールの様子

近代スポーツとしてのサッカーの始まりは、イギリスで復活祭にさきがけて行われていた「モブフットボール」という説があります。
この競技は、数百人単位のチームが街中をめぐり、ボールを取り合うというものでした。手を使ってもよく、殴る蹴るも許されていました。
そんな危険な競技も、イギリスの学校などでルールを工夫、改良し行われるようになり、19世紀半ばには、手を使うことを禁止する統一ルールが定められました。
こうして今日のスポーツとしてのサッカーが確立し、海を渡りアルゼンチン、ブラジルなどのラテンアメリカ諸国へと伝わりました。

  • 落合一泰先生
  • 主なラテンアメリカ諸国の独立年

ラテンアメリカの歴史を研究している落合一泰先生に伺います。

落合先生 「アルゼンチンやブラジルなどのラテンアメリカの国々が、サッカーを取り入れていったきっかけとなったのは、ヨーロッパ諸国からの独立という出来事だったのです。」

16世紀、スペインやポルトガルなどヨーロッパ諸国は、ラテンアメリカの国々を植民地としました。
それからおよそ300年後、アメリカの独立戦争やフランス革命などの影響から独立運動の気運が高まり、アルゼンチン、ブラジルなどのラテンアメリカ諸国が次々と独立していきます(画像・右)。

産業革命により世界に目を向けていたイギリスは、これらの地域を市場とするため独立を後押ししました。
そしてこうした国々に鉄道を建設し、工業製品を売り込んだのです。
同時に、商人や船員、さらには移民などによってイギリス風の生活様式やスポーツが広まっていきました。
中でも、ボールひとつあればはじめられるサッカーは、人々に愛されるようになりました。

落合先生 「独立後なんですけれども、例えば食べ物であるとか建物であるとか、そういうところにイギリスなどの影響を見ることができます。
中でも、サッカーは顕著な例だと思います。ラテンアメリカのサッカーの歴史をひもといてみますと、ヨーロッパの歴史と深い関わりがあることがわかります。」

1886年に大英帝国で作られた世界地図

マヤ 「これは1886年に大英帝国、今のイギリスで作られた世界地図。イギリスのほかに、アメリカやインド、オーストラリアといったところも色づけされていて、これは当時の大英帝国が支配していた植民地、領土なわけね。」

早紀 「周りにゾウやトラ、カンガルーもいますね。」

マヤ 「いろんな植民地の様子を描いている。それだけ植民地の支配していた大英帝国というものを表している地図になるわけね。」

  • クリケット

マヤ 「イギリスは近代スポーツの発展にも貢献していたのね。サッカー以外にも、テニスやホッケー、クリケットなんかもイギリスが発祥だといわれているの。」

植民地だったインドでは、クリケットやホッケーがとても人気があります。

マヤ 「ではなぜ、イギリスの影響を受けていたにもかかわらず、アルゼンチンやブラジルではサッカーが人気になって、インドではクリケットやホッケーが人気になったと思う?」

早紀 「(クリケットやホッケーは)道具がないとできない。」

マヤ 「そうなの。インドはイギリスの植民地だったから、イギリスから官僚や軍人といった人たちが渡り、クリケットやホッケー、道具を使って行っていた中に、インドの富裕層が混じって、スポーツが広まっていったのね。
一方で、ブラジルとかアルゼンチンは、スペインやポルトガルから独立したあと、イギリスの影響を受けたんだけれども、ボールひとつでできる、簡単にはじめられるスポーツのサッカーが広く親しまれるようになったというわけ。」

汰雅 「世界の歴史を通してスポーツの歴史を見るっていうのは、ちょっとおもしろいですね。」

マヤ 「今はSNSで、情報でも音楽でも一気に広まるけど、当時は人が移動することで初めていろんなものが伝わっていった、いろんな出会いがあったということなのね。」

狛犬と東西交易路
  • スフィンクスと狛犬

早紀 「マヤさん、これスフィンクスと狛犬(こまいぬ)ですよね?
この2つを並べるのって、なんか変じゃないですか?スフィンクスはエジプトで、狛犬は日本のもので、統一感なくないですか?」

マヤ 「そう思う?そのスフィンクス、モデルとなった動物がいるんだけど、何だかわかる?」

早紀 「もしかしてライオンですか?」

マヤ 「正解。狛犬は?」

早紀 「犬じゃないですか?」

マヤ 「ところが、それは獅子(しし)。2つとも、ライオンをモデルとしたものなのね。」

  • スフィンクス
  • ツタンカーメンの玉座

古代エジプトで、ピラミッドを守るように配置されたスフィンクス。
ギリシア神話では、ライオンの体を持つ美しい女性として描かれています。
エジプトなど古代文明では、ライオンは王の権威を守るなどの役割をしていたといわれています。
ツタンカーメンの玉座にも獅子が刻まれています。

  • インドの仏像
  • 台座に配置された2体の獅子

そのエジプトからおよそ5000km離れたインドに起源をもつ仏教。
インドで作られた仏像。
仏像を支えるように台座に配置された2体の獅子・ライオン。
仏教では文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の乗り物とされています。

その後、仏教は紀元前後、中央アジアを通って中国に伝えられました。

  • 獅子が二体一対となって鎮座(ちんざ)している
  • 狛犬

中国北部にあるお寺では、獅子が二体一対となって鎮座(ちんざ)しています。
獅子には悪魔に対する霊力があると信じられ、門や扉に配置され大切なものを守るという風習がありました。
そして、仏教は中国・朝鮮半島を通って、6世紀、日本に伝わりました。

仏教の伝来により、仏像とともにこの獅子も日本に伝えられ、狛犬と呼ばれるようになります。
その名前の由来には諸説ありますが、一説にはライオン・獅子がいなかった日本では、この未知の動物を、当時「高麗(こま)」と呼ばれていた朝鮮半島からきた犬だと考え、「狛犬」と呼ぶようになったといわれています。

  • 仏教が広まるルートとシルクロード

尊いものを守るように配置されたスフィンクスと狛犬。
インドから中国、日本へと仏教が伝わるころには、シルクロードなどを通じて東西交流は活発に行われていました。
仏教が広まっていくルートに、主な東西交易路だったシルクロードを重ねてみると、エジプトから日本までのつながりが見えてきます。

  • 水島司先生

遠く離れた地で、スフィンクスと狛犬が尊いものを守るように配置されていることに関して、アジア史を研究する水島司先生に伺います。

水島先生 「エジプトのスフィンクスと日本の狛犬がつながるという発想はすごくおもしろい。いわゆるシルクロード、これはそこを通じてエジプトとつながっていたと可能性はもちろんあります。
ただ、インドの仏像を守っていた獅子と、それが中国を経由して日本にきたというところはある程度、証明されていると思うんですが、エジプトのスフィンクスとインドのライオンが、どうつながっていたかっていうとこれはまだまだ、考えないといけない問題のような気がしますね。
でも、そういうことを身近なところから考えようとしている、その発想はとてもおもしろくて、本当はどうだったんだろうかと(疑問を持って)考えるのは、歴史のおもしろさですね。

  • 気になったら、ぜひ調べてみよう!

早紀 「マヤさん、ちょっと疑問に思っていることがあるんですけど・・・。沖縄のシーサー。あのシーサーって、狛犬に似ていると思うんですけど。」

汰雅 「もしかしたらシーサーの方が先で、狛犬に影響を与えたのかもしれないよ。
ぼくが疑問に思ったのは、お正月に見る獅子舞。あれもちょっと、狛犬に似ているな、と。」

早紀 「それを言うなら、獅子舞って中国からきたと思うんだけど…。」

マヤ 「どんどん素朴な疑問が湧いてきたね。気になったらぜひ、調べてみて!」


それでは次回もお楽しみに!

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