NHK高校講座

歴史総合

Eテレ 隔週 水曜日 午前10:00〜10:20
※この番組は、2022年度の新番組です。

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今回の学習

第2回

18世紀のアジア

  • 監修・講師:東京都立国分寺高等学校教諭・佐伯 英志
学習ポイント学習ポイント

18世紀のアジア

  • 秋元才加さん
  • 牧田習さん

ここは秋元才加さんがオーナーを務めるグローバル・レストラン「こんぺいとう」。
そこに常連客の牧田習さんが加わります。
世界中のおいしい料理を取りそろえ、みなさんを、時空を超えた旅にいざないます!

歴史総合、今回のテーマは「18世紀のアジア」。

18世紀、いわゆる鎖国をしていた日本。
外国との貿易は原則、禁止されていました。
しかし、中国で大人気の輸出商品があったのです。
それはいったい、どんなものだったのでしょうか?

また、この時代、アジア全体で貿易が盛んになり、さらにヨーロッパも加わってきました。
その背景には、いったい何があったのでしょうか?
18世紀、アジアの国々はどのような国際関係を築き、貿易を行っていたのでしょうか?

  • フカヒレ姿煮

しゅう 「今日もおいしいものある?」

さやか 「もちろん!」

しゅう 「これってフカヒレ?たしかサメのヒレじゃなかった?」

さやか 「そうです。冷めないうちに召し上がれ!」

18世紀の東アジア

しゅう 「フカヒレって中国の高級食材じゃなかったっけ?」

さやか 「中国では17世紀頃から食べられているんだって。でも、このフカヒレ、実はメイド・イン・ジャパンなの。」

しゅう 「フカヒレって中国のものじゃないの?」

さやか 「しかも江戸時代からメイド・イン・ジャパンのフカヒレが中国で食べられていたんだよ。」

しゅう 「江戸時代に!?どういうこと?」

さやか 「日本から中国に輸出していたってだけなんだけど...。」

しゅう 「江戸時代って日本は鎖国してなかった?」

  • キリスト教の布教禁止
  • 外国人の入国・日本人の出入国禁止

17世紀以来、日本はいわゆる鎖国により、キリスト教の布教、外国人の入国、日本人の出入国が原則禁じられていました。
しかし鎖国下でも、日本は窓口を限定して貿易を行っていました。

  • 江戸時代の日本と朝鮮
  • 対馬の輸出入品

  • 薩摩の輸出入品
  • 松前の輸出入品

長崎では中国とオランダと、対馬は朝鮮と、薩摩は琉球を通じて、中国からの輸入品を手に入れることができました。
蝦夷地の南端を支配していた松前は、アイヌの人々と交易を行っていました。

  • 金銀の輸出
  • 俵物三品の輸出

長崎の中国との貿易では生糸や絹織物などの物産を輸入し、日本からは主に銀や金を輸出していました。
しかし、産出量の減少もあって、銀や金が足りなくなり、貿易を制限せざるを得なくなりました。
そこで江戸幕府が注目したのが、中国で高級食材とされていたフカヒレでした。
他にもアワビ、ナマコを一緒に俵に詰めて輸出。
18世紀、銀や金に変わって、この「俵物三品」が、盛んに輸出されるようになりました。

しゅう 「フカヒレにそんな歴史があったとはね。ずっと中国のものだと思っていたよ。当時の日本は鎖国していたのに、金・銀が足りなくなるほど外国と貿易していたなんて、知らなかった。」

さやか 「そのフカヒレが日本の金・銀の流出を防ぐ、キーアイテムだったってわけ!」

しゅう 「メイド・イン・ジャパンのフカヒレが大活躍だったんだね。」

結びつくアジア諸国
  • 小籠包

さやか 「次の料理です!」

しゅう 「小籠包(しょうろんぽう)じゃん!飲茶(やむちゃ)ってどれも美味しくて大好きなんだよね。」

さやか 「飲茶って、食べる物じゃないんですけど!」

しゅう 「何言ってるの?いま食べてるじゃん!」

さやか 「飲茶はお茶を飲みながら、点心や軽食を食べる習慣のことを言うんだよ。中国でも、ずっと昔から、お茶の文化は庶民にも愛されてきたの。」

  • 18世紀イギリスの上流階級の絵
  • ティーカップの絵

さやか 「お茶の習慣といえば、この絵を見てみて。」

しゅう 「中国っぽくはないよね?」

さやか 「18世紀の初めの、イギリスの上流階級の日常を描いた絵なんだけど、何か気づくことはない?」

しゅう 「ティーカップに取っ手がなくて、みんなそのまま持ってるよ。」

さやか 「日本や中国のお茶碗みたいでしょ。もともとイギリスにはお茶を飲む習慣はなくて、中国から伝わったものなの。18世紀頃には、茶の文化は東洋の神秘の象徴として、イギリスなどヨーロッパの王侯貴族の憧れの的になったの。」

しゅう 「絵に残すくらいだもんね。」

さやか 「寒いヨーロッパではお茶が栽培できなかったから、わざわざ遠い中国から輸入していたの。」

しゅう 「中国のお茶は日本だけじゃなくて、遠いヨーロッパでも人気だったんだね。」

さやか 「だから、このころの中国人商人は、いろんな国で大活躍していたの!」

  • 中国(清)
  • 互市のイラスト

18世紀、中国では皇帝に対して貢ぎ物を献上する「朝貢」と、朝貢に伴って行う取引以外の貿易を原則禁止していました。
しかし、ヨーロッパや日本、東南アジアの国には、商人同士の貿易、「互市」を認めていました。
物産が豊富な中国では、海外向け主力輸出品である、お茶や生糸、綿布などの産業が発展し、18世紀にはアジア諸国との貿易が活発化しました。

  • チャイナタウン
  • 華僑・華人の説明

そんな中で誕生したのがチャイナタウン。
中国の人口の増加の影響もあり、貿易の担い手として活躍した商人や労働者は、働き先を求めて東南アジアなどへ移住。
現地に華僑や華人社会が形成されました。
やがて、チャイナタウンが世界各地で誕生していきました。

  • 中国のお面
  • テーブルクロス

しゅう 「そのお面、横浜の中華街で見たことある!」

さやか 「このお面は、中国では『春節(中国の旧正月)』や、お祭りなどを盛り上げるのに欠かせないものなの。」

しゅう 「中国人ってすごくパワフルだよね!外国に町を作っちゃうんだもん!飲茶だって世界中で愛されているしね。」

さやか 「チャイナタウンを通して、中国の文化が外国に広まっていったっていうのもあるだろうね。そういえば、そのテーブルクロス、素敵でしょ!どこの国のものだと思う?」

しゅう 「これも中国でしょ!」

さやか 「それは『更紗(さらさ)』といって、18世紀にインドがヨーロッパとかと取引していたものなの。」

しゅう 「これはインドの貿易品なんだね。」

さやか 「インドでは、更紗とか綿織物の生産が増えて、西ヨーロッパから日本まで広く流通するようになったの。」

しゅう 「日本まできていたのか!中国だけじゃなく、アジア全体がじわじわとつながっていったんだね。」

18世紀のヨーロッパとアジア
  • アフタヌーンティー

さやか 「アフタヌーンティーです!」

しゅう 「これぞイギリスの文化と歴史って感じだよね。」

さやか 「もともとイギリスでは、コーヒーのほうがよく飲まれていたんだけどね。」

しゅう 「貴族がお茶に憧れてなかったら、アフタヌーンコーヒーになっていたかもしれないってこと?」

さやか 「そうかもね。貴族社会ではやったのが、イギリスで紅茶の文化を生んだきっかけではあるね。」

しゅう 「誰もが知っているアフタヌーンティーって言葉は、なんでこんなに浸透したんだろう?」

さやか 「それは、憧れだけじゃなくて、他にも理由があったから!」

  • 田上和哉さん

なぜイギリスでは、コーヒーに代わって紅茶が浸透したのでしょうか。
イギリスに本店がある紅茶の老舗にお邪魔しました。

田上さん 「当時紅茶は大変高価なもので、貴族など一部の人しか楽しむことができない飲み物だったんです。」

  • トムのコーヒーハウス
  • 18世紀ごろのロンドンのコーヒーハウス

では、いったいなぜ、紅茶のニーズが高まったのでしょうか。
貴重な資料を見せてもらいました。

田上さん 「これはトムのコーヒーハウスを描いたイラスト(画像・左)です。
1706年に創業者、トーマス・トワイニングがオープンしました。」

1700年ごろのロンドンに2000軒以上あったコーヒーハウス。
貴族や、庶民の社交の場であるとともに、経済や科学などの情報交換の場でもありました。
しかし、ここは当時の慣習で女性は入れませんでした。

  • トーマストワイニング
  • イギリス東インド会社主要輸入品

そんな中、トーマス・トワイニングは...。

田上さん 「コーヒーだけではなく、紅茶を提供することも売りにしていました。紅茶の販売が好調だったため、紅茶販売店の『ゴールデンライオン』をオープンしました。ここでは女性も入れたため大人気となり、紅茶の需要の拡大に寄与したと思われます。」

女性も気軽に入れる専門店は大ヒット。
茶葉を持ち帰って、家庭で紅茶を飲む習慣も生まれました。
イギリスでは、コーヒーより紅茶の需要が増え、中国からの茶葉の輸入量が急増しました。

しゅう 「当時のイギリスにとって、アジアはますます重要な地域になったんだね。」

さやか 「でも、イギリスは他の地域とも盛んに貿易していたの。奴隷貿易って知ってる?」

しゅう 「アフリカの人たちが、奴隷になって働かされていたってことは知ってる。」

さやか 「何でそんなことになったと思う?」

  • 18世紀奴隷の絵
  • 大西洋三角貿易

18世紀、大西洋を舞台とした貿易が活発化しました。
主軸になっていたイギリスとフランスの商人は、アフリカに鉄砲など、さまざまな工業製品を輸出。
その対価として黒人奴隷を得ると、アメリカ大陸に輸送しました。
奴隷たちは大農園で、砂糖、タバコ、綿花などを安く生産するための労働力にされました。
生産された商品は、ヨーロッパに運ばれ、爆発的に売れました。
この貿易は大西洋を挟んだ3つの地域を結んだことから、「三角貿易」と呼ばれました。
イギリスやフランスはこの貿易によって多くの富を得て、資本の蓄積が進んでいきました。

しゅう 「ヨーロッパはいろいろなものを取引きしていたんだね。でも、人間も奴隷として商品化しちゃうなんて、ひどくない?」

さやか 「貿易の利益を求めるあまり、奴隷貿易にまで行きついてしまったんだね。」

しゅう 「貿易って、人を豊かにするだけじゃなくて、悲劇を生んじゃうこともあるんだね。」

さやか 「その貿易が、アジアとヨーロッパ、そしてアフリカやアメリカを結びつけた。それが18世紀という時代だったってことだね。

ヨーロッパがアジアに魅了された時代
  • 佐伯先生
  • 有田焼

「こんぺいとう」の常連客、佐伯英志先生。

さやか 「先生、今日はどこに行っていたんですか?」

佐伯先生 「ちょっと骨董市に行ってきたの。」

しゅう 「何を買ったんですか?」

佐伯先生 「これ!(画像・右)」

さやか 「ヨーロッパのどこかの宮殿で見たことがあるんですけど...有田焼ですよね?」

しゅう 「何言ってるんですか?有田焼は日本のものですよ!」

佐伯先生 「実はさやかさんが言っていることも、間違いじゃないんだよ。」

しゅう 「フカヒレみたいに日本から輸出したってことですか?」

佐伯先生 「鋭い!さやかさんが見たのって、ドイツのシャルロッテンブルク宮殿の『磁器の間』じゃない?」

  • シャルロッテンブルク宮殿の磁器の間
  • 色絵獅子牡丹菊梅文 蓋付壺

シャルロッテンブルク宮殿の磁器の間には、18世紀、ヨーロッパでブームとなった中国や日本の磁器が、壁を埋め尽くしています。
もともとヨーロッパでは中国の磁器が好まれていましたが、その一大産地だった景徳鎮窯(けいとくちんがま)が一時衰退。
そこで注目されたのが日本の有田焼でした。
江戸時代、現在の佐賀県、伊万里港から大量に輸出されたことから「Imari(イマリ)」と呼ばれました。
オーダーメイドも行い、ヨーロッパからの細かい注文に対応した日本では、焼き物の技術革新が進んでいきました。

日本とヨーロッパの磁器比較

しゅう 「日本の職人の技がヨーロッパで認められたってことだね。でも、わざわざ輸入しなくても、日本の職人技を(ヨーロッパで)真似しちゃえばよくないですか?」

佐伯先生 「実は、18世紀にドイツのマイセンで、日本の焼物を真似して作っているんだよね。イギリスやフランスでも模倣品が作られている。」

しゅう 「日本の技術を真似できるくらいに、ヨーロッパの窯も進歩したってことですか?」

佐伯先生 「技術革新が進んだってことだよ。」

さやか 「西洋と東洋で、お互いが刺激しあって、技術革新が進んだってことなんですね。」

佐伯先生 「そのとおり!その技術革新が、後の産業革命につながっていくわけ。すでに18世紀には、近代化の波が現れ始めていたってことだよね。」

しゅう 「その近代化は、僕たちの生活に影響しているんですか?」

佐伯先生 「例えば、平等とか自由とか、そういうことって我々の中では当たり前みたいになっているけれど、実はそれって近代化を推し進めていた先人たちが築いてくれたものなんだよね。だから今につながっているわけ。」

さやか 「それが当り前じゃなかった時代があるってことだね。」


それでは次回もお楽しみに!

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