NHK高校講座

日本史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:00〜2:20
※この番組は、前年度の再放送です。

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今回の学習

第38回 第5章 現代の世界と日本

占領と国内改革

  • 監修講師:東京都立日野高等学校教諭 武藤正人
学習ポイント学習ポイント

占領と国内改革

歴史を語り合う茶屋、歴カフェ。
日本史が大好きな店員、小日向えりさんのもと、歴史好きの平野詩乃さん、市瀬悠也さんが集まってきました。

今回の時代は20世紀、昭和の半ばです。
太平洋戦争に敗れた日本は連合国軍の占領下に置かれ、占領政策を日本政府に指令するGHQの指導のもとに、国内の改革が進められていきました。
1946年には日本国憲法が公布されました。
一方、大国のアメリカとソ連は、1947年頃から冷戦と呼ばれる対立状態に入ります。
冷戦は日本にも大きな影響を与えました。
今回のテーマに迫る3つのポイントは「占領統治下の諸改革」「日本国憲法の制定」「冷戦の開始と経済復興」
戦後の日本はどう変わったのか、見ていきましょう。

えり 「今回のテーマは戦後ということで、太平洋戦争中の1942年の給食と、戦後の1952年の給食、その代表的なメニューを再現してみました。」

悠也 「戦争中の方は、すいとんだけだね…。それに比べると戦後のメニュー(脱脂粉乳・コッペパン・鯨の竜田揚げ・ジャム・キャベツの千切り)って栄養のこととか考えられているよね。」

詩乃 「この材料って、日本でそろえられたのかな?」

悠也 「確かに。まだあんまり食料ってなさそうだよね。」

えり 「よく気がつきました。実は最初は寄付だったんです。
連合国軍・GHQが学校給食のために備蓄食料を放出して、旧日本軍の備蓄食料も放出させました。
それと、LARA(ララ)物資が大きかったんだって。アジア救済連盟、英語の頭文字を取ってララと呼ばれる、アメリカの慈善団体なんだけれども、そこが苦しんでいる日本に大量の食料や生活必需品なんかを送ってくれたんです。それを『ララ物資』と呼びます。」

「そして、もうひとつ。選挙の制度にも戦争中と戦後では、大きな変化がありました。
戦争中と戦後の、投票所の風景なんだけど、どういう変化がありますか?」

詩乃 「戦後は、女性がいるね!」

えり 「ご明察!1945年、これもGHQの意見があって選挙法が改正されて、満20歳以上の成人男女に、参政権が平等に与えられました。」

占領統治下の諸改革

1945年8月30日、連合国軍最高司令官の「マッカーサー」が、神奈川の厚木飛行場に降り立ちました。
9月2日、降伏文書の調印が行われ主権を失った日本は、アメリカなど連合国による占領下におかれました。

マッカーサーは、「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)」を東京に設置。
占領政策を日本政府に指令する、間接統治の方法をとりました。
占領政策の基本方針は、軍国主義の排除と民主化におかれました。
まず、武器が破壊され、軍隊が解体されました。
さらに、戦争犯罪の疑いのある政府や軍部の指導者が逮捕され、その責任を追及するために極東国際軍事裁判(「東京裁判」)で審理されました。

民主化について、GHQは「五大改革」を指令しました。
これによって女性にも参政権が与えられ(女性の解放)、労働組合の結成など、労働者の権利が保障されました(労働者の団結権の保障)。

また、小学校の教科書は特定の部分が墨で塗りつぶされました。
軍国主義的な内容や民主主義に反する部分を削除したのです(教育の民主化)。
そして、1947年に公布された「学校教育法」により、小学校6年・中学校3年・高校3年・大学4年の「6・3・3・4制」と、小・中の9年間を義務教育とすることが定められました。

また治安維持法や特別高等警察が廃止されました。
経済の民主化では、産業を独占していた「財閥(ざいばつ)の解体」
続いて「農地改革」が行われました。
GHQは、農村社会の民主化を妨げてきた原因が、これまで続けられてきた地主制にあるとしました。
そこで、不在地主の所有する小作地のほとんどを政府に買収させ、小作人に安く売却することで自作農にしました。
こうしたGHQの占領政策によって、日本社会の民主化が進んでいったのです。

えり 「ポツダム宣言、どんな内容だったか覚えていますか?」

詩乃 「確か、日本に無条件降伏を求めたんだったよね。」

えり 「そうだったね。ポツダム宣言では日本に対して、いくつか具体的な条件が出されていました。そのひとつを見てみましょう。10条にこういう文章があります。
『日本政府は国民の民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障害を除去すべきであり、言論・宗教及び思想の自由、ならびに基本的人権の尊重を確立すべきである』という内容です。」

詩乃 「ただ『降伏しろ』っていうんじゃなくて、軍が実権を持っている日本をこういうふうに変えよう、って考えていたんだね。」

悠也 「でも、こういうことって明治時代の大日本帝国憲法には書かれていないよね。」

えり 「その通り!日本は、新しい憲法を作る必要に迫られたんです。」

日本国憲法の制定

日本にとって最大の課題は、民主的な憲法をつくること。
そこで1945年10月、GHQは幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣に憲法の改正を指示しました。
しかし、翌年2月に提出された憲法改正要綱は、大日本帝国憲法を一部修正した内容にすぎませんでした。
そのためGHQはこれを拒否。
マッカーサーの方針に従って、日本の民間憲法草案や外国の例を参考にした独自の改正案を作成し、日本政府に提示しました。
そこには、「象徴天皇」「戦争放棄」などの理念が盛り込まれていました。

政府は複数の政党からなる小委員会を設置して、GHQ草案をもとにした新しい憲法の作成に取り組みます。
その過程で、メンバーから多くの意見が出ました。
それによって、生存権を定めた第25条が加えられ、第26条では中学校までの普通教育が義務化されました。

1946年11月3日、「日本国憲法」が公布されました。
憲法の第1条は、こう始まります。
「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存(そん)する日本国民の総意に基く。」
大日本帝国憲法では天皇にあった主権が、国民のものになったのです。
「主権は国民にあり」。
さらに、日本国憲法は「個人の基本的人権を尊重」し、「戦争を放棄して戦力を保持しない」の3点を根本精神としました。

えり 「日本国憲法の大事な部分を、大日本帝国憲法と比較しながら見てみましょう。
第1条では、以前は天皇にあった主権が、国民に移ったことが書かれていたよね。」

「次は第9条。戦争を放棄して、武力を保持しない、ってことだよね。大日本帝国憲法では、どうだったかな?」

悠也 「天皇が陸海軍を統帥(とうすい)し、兵役の義務があったよね。」

えり 「そう、日本国憲法では、第9条によって、二度と戦争をしないようにしたんだね。」

「そして第11条。基本的人権の尊重だね。基本的人権っていうのは、思想の自由や表現の自由などの『自由権』、人間らしい暮らしを保障する『社会権』、差別をしない『平等権』などのことです。こういう考え方、以前はありましたか?」

詩乃 「法律の範囲内で、国民の自由とか権利をいろいろ認めてはいたけど…。」

悠也 「『侵すことのできない、永久の権利』とまでは言ってなかったよね。」

えり 「大日本帝国憲法では、国のトップはあくまで天皇で、その下にいる国民の権利を条件付きで保障していました。それが日本国憲法では、生まれながらにして持つ権利として保障されたんだね。」

悠也 「やっぱり憲法って、大切なんだね。」

冷戦の開始と経済復興

1945年、第二次世界大戦を反省した連合国側諸国は、「国際連合」を創設。
その中心は「安全保障理事会」
アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国が「常任理事国(じょうにんりじこく)」となりました。

しかし、アメリカとソ連の間で「冷戦(れいせん)」と呼ばれる対立が始まります。
アメリカは1947年に「マーシャル・プラン」(ヨーロッパ経済復興援助計画)を発表して、西ヨーロッパの資本主義国に軍事・経済上の援助を開始。
1949年には「北大西洋条約機構(NATO)」を結成しました。

一方、ソ連は1947年、「コミンフォルム」(共産党・労働者党国際情報局)を結成。
東ヨーロッパの社会主義諸国と、相互援助条約のワルシャワ条約を締結しました。
この大国同士の対立である冷戦は、その後、長く国際社会に強い影響を与えます。

東アジアにも、冷戦の影響は及びました。
中国では中国共産党と、アメリカの支援を受けた国民党との間で内戦が勃発。
この戦いに勝利した共産党は、「毛沢東(もうたくとう)」を主席とする「中華人民共和国」を樹立。
ソ連との関係を強めます。

朝鮮半島は、日本の降伏とともに、北緯38度線以北をソ連が、以南をアメリカが分割占領しました。
1948年、両者は「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」「大韓民国(だいかんみんこく/韓国)」に分離独立します。
しかし、1950年「朝鮮戦争」が勃発。
北朝鮮側が38度線を越えました。
アメリカ軍を主力とする国連軍が参戦すると韓国側が優勢となり、中国の義勇軍が大部隊で参戦すると北朝鮮側が優位に立ちます。
一進一退の激しい戦いが繰り返されました。

一方日本では、在日アメリカ軍が朝鮮に出動すると、GHQの指示によって「警察予備隊」が設置されました。
このころ、朝鮮戦争のための国連軍基地となった日本には、大量の軍需物資が調達されました。
これによって、戦後の復興に苦しんでいた日本経済は息を吹き返し、1951年には鉱工業生産が戦前の水準を回復するまでに復興しました。

悠也 「GHQって、アメリカがアジアの戦争に関係するとなったら、急に警察予備隊をつくらせたんだね。」

えり 「そういうことになるね。それとこの時期、日本がぐんぐん復興したのは、戦争中の朝鮮半島に物資を送っていたからなんです。朝鮮半島の人たちは戦争で苦しんでいたんだから、複雑だよね…。」

日本史なるほど・おた話〜占領下で作られた幻の教科書

今回は武藤正人先生に伺います。

武藤先生 「2人に聞きたいんですけども、今の平和な日本があるのは、全部GHQのおかげっていうふうに思っていませんか?」

悠也 「憲法にまで指示を出していたって聞くとね。」

詩乃 「うん、GHQの影響は大きかったと思います。」

武藤先生 「そうですよね。でも、日本人がすべて彼らの言いなりだった、というわけではないんですよね。今日はそんなことを感じさせてくれる資料をご紹介したいと思います。
日本国憲法が施行された1947年に、中学校の社会科の授業のために、当時の文部省が作った教科書(あたらしい憲法のはなし)です。」

みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。
いったい、「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。
勉強のよくできることでしょうか。
それとも力の強いことでしょうか。
いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。
もし国の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。
もしおおぜいの考えできまるなら、そのおおぜいが、みないちばんえらいことになります。もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。
こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。
そうすると、国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

詩乃 「責任を感じますね。『主権は国民にあり』って、そういうことなんだね。」

悠也 「憲法が、自分と関係があるってことがよくわかりました。」

武藤先生 「中に書いてある絵も有名なんですよ。戦車やミサイルなどの兵器が釜に入れられて、それが電車や船や、消防自動車になって出てくる。いまの教科書にも、この絵はよく引用されています。」

えり 「こういう絵を見て育ったら、戦争は二度としちゃいけないなと、改めて感じますね。この教科書は、戦後ずっと使われていたんですか?」

武藤先生 「それが、朝鮮戦争が始まって警察予備隊ができたりすると、1950年から副読本に格下げされて、1952年から使われなくなってしまいました。」

悠也 「じゃあ、3〜4年しか使われなかったんだね。」

えり 「今こそ、読むべきものかもしれないですね。」

武藤先生 「占領下でもGHQの指令を受けただけではなくて、日本人自らが平和のため、民主主義のために、一生懸命努力していたということは、ぜひみなさんに忘れないでいただきたいな、というふうに思います。」


それでは、次回もお楽しみに!

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