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Eテレ 毎週 金曜日 午後2:00〜2:20
※この番組は、前年度の再放送です。

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今回の学習

第15回 第2章 武家社会の形成と生活文化のめばえ

室町時代の交易と文化

  • 監修講師:成城学園中学校高等学校教諭 楠木 武
学習ポイント学習ポイント

室町時代の交易と文化

歴史を語り合う茶屋、歴カフェ。
日本史が大好きな店員、小日向えりさんのもと、歴史好きの平野詩乃さん、市瀬悠也さんが集まってきました。

今回の時代は、室町時代前期から半ばにかけて。
日本と中国の国交は、500年以上も途絶えたままでした。
3代将軍・足利義満(よしみつ)は、当時の明と国交を回復しようとします。
それと深いかかわりをもつ建物が、金閣(きんかく)だったのです。
一方このころ、ほかの国々との中継(なかつぎ)貿易で発展したのが、沖縄。
当時の琉球(りゅうきゅう)王国です。
見たこともない品物が、琉球を経て、日本にもたらされました。
今回のテーマにせまる3つのポイントは「倭寇と日明・日朝貿易」「琉球と蝦夷ヶ島」「室町文化」
義満は明との国交回復になぜこだわったのか。
私たちの身の回りのどこに室町文化が息づいているのか、見ていきましょう。

えり 「代表的な建築のひとつが、金閣です。北山殿(きたやまどの)という足利義満の邸宅の一部で、全体を造るのに100万貫のお金が使われています。今でいう400億円以上なんだって。どうして義満はそこまでして、このお寺を造ったんだと思う?実は、明からの使者を迎えるためだったと言われています。」

倭寇と日明・日朝貿易

当時、東アジアで問題となっていたのが「倭寇(わこう)」です。
海賊として猛威をふるい、中国や朝鮮半島に上陸しては、略奪を行っていました。
この倭寇に手を焼いた明は、日本に対して倭寇の禁圧を求めてきました。
それに応えたのが、3代将軍「足利義満(あしかがよしみつ)」でした。

日本では商業活動が活発化し、貨幣を大量に必要としていました。
しかし国内では貨幣を鋳造しておらず、その輸入先はほとんど中国でした。
国交回復は、経済面からも重要だったのです。

義満はさっそく倭寇を鎮圧し、明に使者を送ります。
ところが、当時の明は相手国の国王以外とは貿易を行わない方針でした。
明は、義満の使者に対して「将軍・義満は天皇の家臣に過ぎず、日本を代表する資格がない」と、交渉を拒絶してしまったのです。

一方、朝鮮半島では「李成桂(りせいけい/イソンゲ)」が朝鮮国を建国。
日朝間の交易も始まります。

義満は「明と交渉するためには、将軍より、もっと高い地位と権力を得なければ」と考えました。
そこでまず、「准三后(じゅさんごう)」という、皇后などに準ずる称号を獲得します。
そして、当時南北に分かれていた朝廷を統一して、国を一つにしました。
その後、将軍職を息子に譲り、出家して「道義(どうぎ)」と号します。

続いて、明の使節を迎えるため、迎賓館とも言うべき建物、金閣の建造に着手します。
こうした準備を整えて、1401年義満は再び明に使者を派遣します。
その後、明の使節が来日します。
金閣で明の使節を迎えた義満が、当時の明の皇帝からの国書を開いてみると、そこには「国王源道義(げんどうぎ)」という宛て名がありました。
明は義満を日本国王として認めたのです。

こうして日中の国交は、500年あまりの断絶を経て、義満の粘り強い外交戦略によって回復したのでした。

悠也 「日本は、当時貨幣を造っていなかったから明の貨幣が必要だったっていうのはわかったけど、その代わりに、明に持っていくものって何だったんだろう?」

えり 「日本から明には、銅や硫黄、金をあしらった工芸品を輸出していました。朝鮮にも銅や硫黄、さらに東南アジアなど南海産のこしょうや香木(こうぼく)を輸出していたんだって。」

日明貿易が行われるようになると、幕府が正式に認めた貿易船以外にも、多くの船が明を訪れるようになりました。

そこで、正式がどうかを見分けるために、明はある方法を取り入れたのです。
当時の中国朝廷特注の紙を使った、入国申請書。
「勘合(かんごう)」という大きな紙と、「底簿(ていぼ)」という2冊の台帳を使いました。
明では、勘合と2冊の底簿をまたいでそれぞれ文字を書き、割印をしてから、勘合の方だけを貿易相手の国に渡しておいたのです。

えり 「日本の貿易船が明に到着したら、まず上陸してすぐに1つ目の割印を照合します。次に北京で2個目の割印も照合します。このダブルチェックを通過した者だけが、明への貢ぎ物と貿易を許されました。これを『朝貢(ちょうこう)貿易』または『勘合貿易』といいます。」

詩乃 「この時、日本って朝鮮に、南海産のこしょうとか香木を輸出してたって言ってたじゃん。あれってどこから入ってきたの?」

悠也 「それは、ある国が南の島と日本を中継(なかつぎ)していたからなんです。」

琉球と蝦夷ヶ島

当時の琉球王国、現在の沖縄は14世紀から15世紀半ばまで、北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)の3つの勢力が争いを続けていました。
1429年、中山の「尚氏(しょうし)」が、それらを統一して「琉球王国」を建国しました。
首里城はその王城です。

琉球王国の誕生以前から、沖縄は明との貿易を行っていました。
首里城の京の内(きょうのうち)などの遺跡からは、明の製品が数多く出土しています。
しかし中には、中国以外の国のものもあるそうです。
一体どんな国と交易していたのか、埋蔵文化財センターの収蔵庫を案内してもらいました。

新垣さん 「東南アジアのタイで作られた壺です。この中に、お酒や穀物・こしょうなどを入れて、当時の琉球、沖縄に持ち帰ってくる。」

ベトナムの陶磁器もありました。
琉球の人たちは東南アジアのさまざまな国と交易していたのです。

当時、琉球は明や東南アジアとどんな貿易を行っていたのでしょうか?

高良さん 「明の国の需要が高かったので、馬と硫黄を中国に輸出しました。馬も硫黄も当時軍事的に利用される物資でした。帰りに船が空っぽになると、中国の大量の陶磁器や高級な絹織物を船に満載して琉球に戻ってくる。そして中国から持ってきたものを日本に売ったり、東南アジアに売ったりしていました。日本や東南アジアでは、また船が空っぽになると、それぞれの特産品を買い付け、琉球に持ってきて、今度はそれを中国にまた輸出するという、まさに『中継(なかつぎ)貿易』を活発にやっていたわけですね。」

食事中に、もう一つ発見がありました。

悠也 「今まで食べたことないような感じの、ちょっと爽やかな風味がありますね。どういったスパイスが使われているんでしょうか?」

高江洲さん 「ピパーズという島コショウです。炊き込みご飯には、ピパーズの若葉を刻んで入れてあります。」

ピパーズとは、どんなものなのでしょうか?
栽培している農園を案内してもらいました。

西表さん 「ジャワナガコショウといいまして、東南アジアの原産になります。」

悠也 「これも東南アジアから伝わってきたものなんですね。」

沖縄と東南アジアの交易の痕跡は、こんなところにも息づいていたのです。

えり 「もうひとつ、当時の日本が盛んに交易を行っていた地域が北海道です。当時は『蝦夷ヶ島(えぞがしま)』って呼ばれていました。」

「14世紀末から、人々は津軽海峡を渡って蝦夷ヶ島の南部に移り住むようになります。この地で、そんな和人の交易を支えたのが、先住民のアイヌでした。狩猟採集民族のアイヌは魚や毛皮を和人に与えて、和人からは鉄器や漆器・米・茶・酒などを得て暮らしていました。しかし和人の進出が次第にアイヌの人々を圧迫し、アイヌとの間に衝突が起こるようになります。15世紀中頃、アイヌは大首長(しゅちょう)『コシャマイン』を中心に蜂起しますが、最終的には敗北してしまいます。」

室町文化

室町時代を代表する文化は、足利義満のときに生まれた「北山文化」です。
象徴的なのが北山殿に建てられた「金閣」です。
しとみ戸の付いた第1層は貴族の屋敷の寝殿造。
それに対して、2層は引き戸が付いています。
武家の屋敷の書院造です。
そして3層には丸みを帯びた窓、禅宗の寺院風の造りです。
3つの文化を折衷した建築が金閣なのです。

芸能では「能(のう)」「狂言(きょうげん)」が最盛期を迎えました。
能は、平安時代以来の民間芸能である猿楽(さるがく)に源流を持つ仮面劇です。
「観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)」の親子が、能の大成に大きく貢献しました。

8代将軍・足利義政(よしまさ)の頃に生まれたのが「東山文化」です。
義政が東山に建てたのが、「銀閣(ぎんかく)」で知られる「慈照寺(じしょうじ)」です。
慈照寺の「東求堂(とうぐどう)」「書院造(しょいんづくり」を代表する建物で、明かり障子やふすま、敷き詰めた畳などは今日の和風建築の基になっています。

造園では、簡素な中に幽玄を重んじた「枯山水(かれさんすい)」の庭園が造られるようになりました。
また禅僧の「雪舟(せっしゅう)」が、明から帰国して水墨画(すいぼくが)を大成させました。
さらに、簡素な茶室で心の静けさを求める「侘茶(わびちゃ)」が生み出され、茶道の基となりました。
そして、仏前に供えていた花が、床の間を飾る花・立花(りっか)に変化し、それが華道へと発展しました。
その文化は継承され、日本人の心を豊かなものにしています。

日本史なるほど・おた話〜室町幕府への献上品

日本史のおもしろくてためになる話。
今回は楠木武先生に伺います。

楠木先生 「室町幕府が明に銅や硫黄を輸出したり、朝鮮にこしょうや香木を輸出したりしていたという話がありましたよね。こうしたものは、日本各地から幕府に献上されたものだったんです。ほかにも、おもしろいものがいろいろ献上されているので、紹介したいと思います。」

「まず、薩摩の島津氏は琉球と交易を行っていたので、東南アジアの珍しい品物が手に入ったんですね。例えばトラの皮、じゃ香、南蛮酒や砂糖なんかを幕府に献上しています。」

悠也 「じゃ香って何ですか?」

楠木先生 「ジャコウジカという動物の雄の腹から取れる分泌物を乾燥させたものなんです。香料や生薬になるんですね。みなさんはムスクって聞いたことありますか?」

えり 「ハンドクリームで好きな香りです。」

楠木先生 「ムスクっていうのが、じゃ香のことなんですね。そして津軽の安藤氏は、蝦夷ヶ島を管轄していたので、アイヌの人々から得たワシの羽やラッコの皮、昆布などを将軍に献上しているんですね。」

詩乃 「ワシの羽は飾りに使われたんですか?」

楠木先生 「弓矢の羽のところに、鳥の羽が使われているのはわかりますか?あれですね。」

「当時、海外からは生きた動物も日本にもたらされていました。今でも動物園で大人気の大きな動物と言えば?」

悠也 「ゾウですか?」 

楠木先生 「その通り。1408年、今の福井県・小浜市に東南アジアの船が漂着したという記録が残っています。その船に生きたゾウが乗っていたんです。そのゾウは、将軍に献上されたそうです。『象つなぎ岩』というのが、今もちゃんと残っていて、町の名所になっているんですよ。このエピソードは、当時の日本はアジアのさまざまな国と交易をしていたんだな、っていうことを物語るんじゃないかなと思います。」



それでは次回もお楽しみに!

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