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Eテレ 毎週 金曜日 午後2:00〜2:20
※この番組は、2019年度の新作です。

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今回の学習

第14回 第2章 武家社会の形成と生活文化のめばえ

室町幕府の創設

  • 監修講師:成城学園中学校高等学校教諭 楠木 武
学習ポイント学習ポイント

室町幕府の創設

歴史を語り合う茶屋、歴カフェ。
日本史が大好きな店員、小日向えりさんのもと、歴史好きの平野詩乃さん、市瀬悠也さんが集まってきました。

今回は14世紀、鎌倉時代の終わりから室町時代の初めを見ていきます。
モンゴル襲来により、鎌倉幕府に対して御家人たちの不満が高まったころ、討幕に向けた動きが起こります。
その中心となる人物は後醍醐天皇と、のちに室町幕府を開く足利尊氏でした。
今回のテーマにせまる3つのポイントは「鎌倉幕府の滅亡」「南北朝の内乱」「室町幕府の確立」
鎌倉幕府はどのように滅亡していったのか。
動乱の時代を見ていきましょう。

鎌倉幕府の滅亡

2度にわたるモンゴル襲来により、御家人たちの幕府への反発が強まっているころ、京都では皇位継承問題が勃発。
朝廷が2つの統派に分裂します。
後嵯峨(ごさが)天皇の長男・後深草(ごふかくさ)天皇系が「持明院統(じみょういんとう)」、その弟・亀山(かめやま)天皇系が「大覚寺統(だいかくじとう)」となりました。
天皇交代のたびに、自分たちの統を支持してもらえるよう幕府に働きかける2つの統派に対し、幕府は交互に天皇になるよう提案しました。
この提案後、大覚寺統から即位したのが「後醍醐(ごだいご)天皇」です。
政治に意欲を示す後醍醐天皇は、幕府に不満を持っていました。
このころ、幕府は御家人から反発を買っていただけではなく、新興武士たちの活動にも脅かされていました。
一方、弾圧される新興武士たちも幕府への不満を高めていました。

こうした混乱する世の中の状況を見て、後醍醐天皇は討幕に乗り出しますが、1度目の計画は明るみに出て失敗。
2度目も密告によって露見し、京都を追われます。
後醍醐天皇の苦境を見て立ち上がったのが、河内(かわち)の新興武士「楠木正成(くすのきまさしげ)」
天皇の味方となり、挙兵します。
ただ、幕府を倒すには少し時間が必要でした。
味方が少なかったため、幕府側が勝利し、後醍醐天皇は隠岐島(おきのしま)に流され、正成は姿をくらましました。
しかし、これで終わりではありませんでした。
姿をくらましていた正成が、再び挙兵。
武士の流儀にない戦法で幕府の大軍相手に粘り強く戦い、反幕府勢力が拡大します。
後醍醐天皇も隠岐島を脱出しました。
ここで登場するのが、源氏の名門でこれまで鎌倉幕府を支えてきた「足利高氏(あしかがたかうじ)」
幕府の命を受け京都に向かった高氏が、なんと天皇の味方となり、京都で討幕の意思を表明します。
高氏の意思表明の影響は大きく、関東に武士たちが続々と集結しました。
ここで登場するのが、源氏一門の御家人「新田義貞(にったよしさだ)」です。
その義貞も天皇の味方となり、関東に集まった大軍を指揮し、鎌倉に攻め入ります。
激戦の末に北条軍は破れ、1333年、鎌倉幕府は滅亡しました。
そして京都で後醍醐天皇を中心とする政権が誕生したのです。

えり 「後醍醐天皇は討幕に大きく貢献した足利高氏を高く評価しました。そして、高氏に自らの名前、尊治(たかはる)というお名前なんだけれども、このうちの1文字を使うことを許しました。そして、高氏の『高』の文字が『尊』に変わるんですね。」

南北朝の内乱

後醍醐天皇が行った新しい政治、「建武の新政(けんむのしんせい)」は、天皇中心の政治を復活させようとするものでした。
しかし、それまでの武士の慣習を無視する政策が不満を招き、地方武士の反乱が噴出しました。
武士たちの不満をくみ取った尊氏は、武家政治の復活を目指し京都に攻め上ります。
後醍醐天皇に反旗を翻したのです。
一方、後醍醐天皇は、新田義貞、楠木正成を味方につけ、これに対しました。
尊氏は一時戦いに破れ九州に逃れますが、尊氏のもとに武士たちが集まり、勢いを盛り返します。
1336年5月、大軍を率いて東に上った尊氏は、摂津(せっつ)の湊川(みなとがわ)で楠木正成・新田義貞軍を破り、京都を制圧。
持明院統の光明天皇を擁立します。
大覚寺統の後醍醐天皇は京都を脱出し、吉野の山中で依然天皇であることを主張しました。
こうして2人の天皇が出現し、以後60年にわたり京都の「北朝」と吉野の「南朝」、2つの朝廷が対立することとなりました。
京都では、足利尊氏が武家政治再興の基本方針として「建武式目(しきもく)」を発表。
そして1338年、北朝側の光明天皇から征夷大将軍に任じられた尊氏は、「室町幕府(むろまちばくふ)」を開いたのです。

えり 「後醍醐天皇は、このあと吉野で亡くなってしまうんです。」

建武の新政が道半ばに終わり、京都からこの山深き吉野にやって来た後醍醐天皇は、亡くなるまでの日々をどのように過ごしていたのでしょうか。

金峯山寺(きんぷせんじ)、かつてこの場所には南朝の皇居がありました。
皇居跡に建つ、南朝妙法殿(なんちょうみょうほうでん)には、後醍醐天皇が祈りをささげていたと伝えられる仏像・釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)が安置されています。
仏像の脇のずしの中には後醍醐天皇の位はいが納められています。
かつての側近の位はいと共に今も毎日祈りがささげられています。

後醍醐天皇には、皇居から日々山道を歩いて通う場所がありました。
それが、如意輪寺(にょいりんじ)です。
後醍醐天皇が祈願をする寺と定めたこの寺院には、天皇が日々祈りをささげていた念持仏(ねんじぶつ)、金剛蔵王権現像(こんごうざおうごんげんぞう)があります。
現在、念持仏に代わって安置されているのは、後醍醐天皇の木像です。
この木像は、後醍醐天皇が自ら彫ったものと伝えられています。

如意輪寺の裏山には、後醍醐天皇の御陵があります。
この地でおよそ4年を過ごした後醍醐天皇は、1339年病気のため52才で生涯を閉じました。

室町幕府の確立

室町幕府創設後、しばらくは内乱状態が続き、政権は安定しませんでした。
尊氏の死後、幕府の政治は、将軍を補佐する「管領(かんれい)」という役職を、足利氏一門の細川・斯波(しば)・畠山の三家が、また侍所(さむらいどころ)の長官を、赤松・一色(いっしき)・山名・京極の四家が務めるようになります。
この「三管領・四職(ししき)」を中心に政治が行われるようになり、幕府の組織は確立されました。
3代将軍「足利義満(よしみつ)」のときに、幕府はようやく安定します。
義満は、京都の室町に邸宅を建てて幕府を移し、1392年に「南北朝の合一(ごういつ)」を実現しました。

えり 「三管領と四職って言葉が出てきましたね。少しかみ砕いていうと、管領を務める3つの家柄を三管領といって、管領は今でいう総理大臣のような役割。そして四職は、侍所の長官を務める4つの家柄のこと。侍所の長官は今の警視庁や最高裁のトップみたいなものですね。」

悠也 「鎌倉幕府では将軍よりも執権のほうが権力を持っていた感じだったけど、室町幕府でもまた、将軍よりも三管領・四職が、実質的に政治を動かしていたってことだよね。」

えり 「そうなんです。室町幕府は、絶対的な将軍がいない幕府だったんです。3代将軍の足利義満は例外ですけどね。室町幕府は三管領・四職のような有力『守護』たちの連合政権だったんです。」

日本史なるほど・おた話〜朝廷はなぜ分裂したのか

日本史のおもしろくてためになる話。
楠木武先生に伺います。

楠木先生 「朝廷が分裂することになったきっかけから、話していきたいと思います。天皇家が2つのグループに分裂していた話は覚えていますか?」

詩乃・悠也 「持明院統と大覚寺統ですよね。」

楠木先生 「一体なぜ分裂してしまったんでしょうか。その鍵を握る人物が、後嵯峨天皇です。後嵯峨天皇には2人の息子がいました。後深草と亀山です。兄の後深草は四歳のときに天皇となりました。ところが、上皇となり院政をしいた後嵯峨は、おとなしい兄よりも行動的な弟のほうが、かわいかったようです。そこで、後深草が17歳のときに譲位させ、11歳の亀山を即位させます。」

「後嵯峨上皇は、2人の息子のうちどちらに後継者として院政をしかせるのか、決めないまま亡くなってしまいました。鎌倉幕府に決めてもらおうと思ったんです。困ったのは幕府です。しかたなく亀山を後継者と決めるんですが、納得いかないのは後深草。“亀山の息子の次は、後深草の息子を天皇にするから我慢してくださいよ”、鎌倉幕府はそういうふうに決めたわけです。」

「これが持明院統と大覚寺統の対立の始まりです。南北朝の対立のきっかけというのは、ぎくしゃくした親子兄弟関係にあったんですね。このように生身の人間の息遣いを感じますとね、ただの単語にしか見えなかったものが、生きている歴史のように感じられませんか?そういう視点から歴史を見てみるのも、おもしろいんじゃないかと思いますよ。」


それでは次回もお楽しみに!

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