NHK高校講座

日本史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:00〜2:20
※この番組は、前年度の再放送です。

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今回の学習

第9回 第2章 武家社会の形成と生活文化のめばえ

院政と荘園

  • 監修講師:東京大学史料編纂所教授 本郷和人
学習ポイント学習ポイント

院政と荘園

歴史を語り合う茶屋、歴カフェ。
日本史が大好きな店員、小日向えりさんのもと、歴史好きの平野詩乃さん、市瀬悠也さんが集まってきました。
教えてくださるのは、本郷和人先生です。

今回の時代は、11世紀から12世紀の平安時代後期です。
この時代、天皇を引退した上皇や法皇が政治の実権を握るようになっていきます。
これが院政です。
院政の経済的基盤を支えたのが、「荘園(しょうえん)」という大土地支配でした。
院が大きな力をつけていく中で、次の時代を担う事になる武士たちもその基盤を整えていきました。
今回のテーマ「院政と荘園」に迫る3つのポイントは、「荘園の発達と公領」「院政の始まり」「知行国と荘園」
平安時代後期に存在した土地支配のシステムを、ひもといていきましょう。

荘園の発達と公領

えり 「荘園は簡単に言うと、個人が所有することができた土地、つまり私有地のことです。」

悠也 「でも律令制では、すべての土地は天皇のもので、土地の私有は認めないって事だったよね?」

詩乃 「それで墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)ができて、土地の所有が認められたんだよ。」

えり 「そのとおり。743年に墾田永年私財法ができて認められた私有地が、荘園。」

墾田永年私財法が出されると、豪族などの有力者は「開発領主(かいはつりょうしゅ)」となり、新たな土地を開墾して私有地にしていきました。
現在の和歌山県にあった荘園、「紀伊国桛田荘(きいのくにかせだのしょう)」。
山に囲まれた集落には、神社や寺などがあり、荘園が人々の生活の場になっていました。
開発領主が開発した私有地は、地方の役所である「国衙(こくが)」から、「公領」として召し上げられるという干渉を受けました。

そこで開発領主は、ある方法で対抗します。
自分の土地を皇室・大貴族・大寺社など中央の有力者に荘園として「寄進(きしん)」したのです。
寄進とは、土地や物品などを贈り、後ろ盾を得ることです。
有力者は寄進と引き換えに、荘園の保護を引き受けました。

荘園は有力者の権威を利用して、「不輸(ふゆ)・不入(ふにゅう)の権」を獲得していきます。
「不輸」とは税の免除、「不入」とは国衙の立ち入りを拒否する特権です。
開発領主は、自ら荘園の管理者となって実質的に支配しました。
これを「寄進地系(きしんちけい)荘園」と呼びます。
このような荘園は増え続け、平安時代の11世紀半ばには、各地に広がりました。

本郷先生 「九州にあった鹿子木荘(かのこぎのしょう)という荘園を例にして解説してみたいと思います。」

土地をひらき、農作物をとれるようにしたのが開発領主です。
鹿子木荘では沙弥寿妙(しゃみじゅみょう)という人物でした。
沙弥寿妙は、役所の国衙と話し合い、例えば3年間は税金免除というような取り決めをして、土地を開発します。
開発領主の子孫を在地領主と呼びます。
国衙との取り決めを、子孫である中原高方(なかはらのたかかた)が譲り受けました。
ところが中原高方の時代に、国衙の干渉がおこります。
開発した土地を取り上げようとしたのです。
なぜなのでしょうか?

本郷先生 「ここで思い出して頂きたいのが、律令のもともとのコンセプト。すべての土地は天皇の物、あるいはすべての土地は国家の物。だから開発された土地だって、勝手に私有していいもんじゃないぞっていうことを国衙が言うわけです。」

本郷先生 「在地領主は土地を奪われないために、国衙を黙らせるだけの力を持ってる人に頼る。京都の貴族だったり、大きなお寺、神社、そういう人に自分を守ってもらう。」

鹿子木荘の場合は藤原実政(ふじわらのさねまさ)という貴族に守ってもらいました。
中原高方は、「年貢」として400石を藤原実政におくる事を約束します。
藤原実政は、400石のみかえりとして、国衙の干渉から土地を守る事を約束します。
中原高方は貴族という後ろ盾を得たのです。

寄進で成立した中原高方と藤原実政の関係は、実政が上司、高方が下司(げし)になります。
鹿子木荘では預所(あずかりどころ)と呼んでいますが、下司と呼ぶのが一般的です。

上司である藤原実政は、毎年400石という権利を子孫に譲っていきます。
ところが子孫の願西(がんさい)は国衙を黙らせるだけの力を持っていませんでした。
そこで願西は皇室に後ろ盾を頼みます。
高陽院内親王(かやのいんないしんのう)に、200石の年貢を寄進し、国衙から守ってもらう約束を交わしたのです。
このとき、高陽院内親王を「本家」、願西を「領家」と一般的には呼んでいます。

本郷先生 「こうした役職、それから利益の配分を受けるポジションのことを、あわせて『識(しき)』といいます。本家は本家識、それから領家は領家識、それから現地にいる下司は下司識。これを『識の体系』というんです。識の体系でずっと連なって行く荘園のことを『寄進地系荘園』というわけです。その実態というのは、下司、すなわち在地領主が、自分の土地を守るために、領家や本家に“後ろ盾になって下さい”、とお願いしたところから発生した関係なんです。」

悠也 「なんでそんな複雑な事になっちゃったんだろうね?」

本郷先生 「それは、この時代の所有権が安定していなかったためなんです。平安時代は、力の強い者が勝つ、弱肉強食の世界。強い人、権力を持っている人がよってたかって所有権を守ってくれるっていう、そういうかたちにならざるを得ない。だから荘園の所有は、みんなが所有しているっていうわけの分からない状況が生まれてきちゃうんです。」

えり 「ここで荘園以外の土地についてもふれておきましょう。荘園以外の土地は公地公民の建て前から公領と呼ばれます。平安時代の後半から、一国内の農地は荘園という私有地と、公領という朝廷の公の土地、2つに分かれるんですね。そして、荘園が新しい土地支配のシステムとして発達する中、皇室にも新しい支配システムが生まれます。」

詩乃 「わかった!それが院政だ。」

院政の始まり

1086年、「白河(しらかわ)天皇」は、実の子に位を譲り、上皇になって政治の実権を握り続けます。
これが「院政」の始まりです。
この院政、実は個人的な理由から始まりました。
白河天皇の父、「後三条(ごさんじょう)天皇」が決めた皇位継承順位では、白河の次の天皇は弟の実仁親王(さねひとしんのう)になっていました。
白河は自分の子供を即位させるために天皇の位を譲ったのです。
院政とは、天皇家の家長である上皇が、子や孫である天皇にかわって政治を行う体制のことです。
上皇は天皇の上位に位置して、大きな権力を持つのです。

院政のもとでは「院近臣(いんのきんしん)」と呼ばれる上皇お気に入りの側近貴族や武士などが政治の実権を握りました。
また、院直属の軍事力として、「北面(ほくめん)の武士」がおかれました。
後に平氏や源氏がここから台頭してきます。
院の近臣や北面の武士の武力を利用しながら、上皇はさらに大きな力を蓄えていきます。

高さ80mを超える九重の塔(くじゅうのとう)は、白河上皇が建立した寺院「法勝寺(ほっしょうじ)」境内に建てられました。
上皇は仏教をあつく信仰し、数々の大寺院をつくりました。

上皇が出家してお坊さんになると「法皇」と呼ばれます。
上皇が政治の実権を行使する院政期は、1世紀以上にわたって続いて行きます。

えり 「上皇は天皇の上位に位置して政治の実権を握りましたが、その経済的基盤は荘園によって築いたんですよね?」

本郷先生 「はい。上皇のもとには大量の荘園が寄進されたんです。」

詩乃 「荘園って私有地じゃないですか?公地公民の制度があるから、天皇が私有地を持つのっていいんですか?」

本郷先生 「上皇が建てた大きな寺院。これが抜け道として使われたんです。上皇は自分で私有地を持つことはできないでしょう?だから、自分がつくった寺院に、寄進された荘園を全部預けたんです。上皇の大寺院が地方の寺院を配下に置いて、しかもたくさんの荘園を蓄えたんです。」

知行国と荘園

12世紀になると、院の近臣などの貴族が「知行国主(ちぎょうこくしゅ)」に任命され、一国の行政を支配し、公領から収益をあげるようになります。
これが「知行国の制度」です。
このため公領は私領と同じ性格のものに変わっていきます。
私領である荘園では、都の本家と領家、現地の下司という関係が支配システムとして成立していました。
公領はどうでしょうか? 
都での朝廷と国司、現地の「在庁官人(ざいちょうかんじん)」との関係になっています。
全国の荘園と公領を、あたかも私領であるかのようにあつかうこの状態を「荘園公領制」と呼びます。
知行国主たちは、豊かな財産をたくわえて上皇に奉仕し、それが院政の経済的な基盤になったのです。

日本史なるほど・おた話〜荘園が武士を生んだ?

えり 「院政という新しい権力が台頭し、荘園はその経済的基盤となっていた、ということがわかりました。では、この次に権力を握って行くのは誰だと思いますか?」

悠也 「武士じゃないかな?」

えり 「実は、荘園という土地の支配システムが武士を生んだんですよね、先生?」

本郷先生 「そのとおり。『職の体系』には、土地の持ち主が誰なのかわからない、あいまいだっていう大きな問題があったんですね。荘園がほかの勢力に侵害された、そのときに在地領主はどうすればいいか?」

悠也 「貴族とか、皇室に、助けを求められるようにしているはずだから、助けに来てくれるんじゃないかな?」

本郷先生 「例えば関東の土地でそれやったら、京都から関東まで助けに来てくれないでしょう?時間かかるよね。そうなると、戦いが起こったら殺されちゃうよね?だから自分の身は自分で守るっていうことを、在地領主はしなくちゃいけない。」

詩乃 「寄進しても結局は自分の手で守んなきゃいけないんですね。」

本郷先生 「そこでまさに自力救済(じりききゅうさい)ということを前提として、彼らは武装をし、それで自分の力で自分を守った。で、そこに武士が生まれた、そういう話になるんですよ。荘園という土地支配のシステムこそが、必然的に武士を生んだと言っても間違いではない。この時代の武士は、荘園システム中では下司(預所)として経済力を蓄えていった。そして武士は武士団を作った。その代表的な存在が、平氏であり、源氏であるということになるわけです。」


それでは次回もお楽しみに!

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