NHK高校講座

世界史

今回の学習

第38回

アフリカ諸国の独立

  • 世界史監修:明治大学教授 溝辺 泰雄
学習ポイント学習ポイント

1.植民地支配からの独立 2.アパルトヘイトの克服 3.21世紀アフリカの課題

  • マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは、「アフリカ諸国の独立」です。

永松さん 「アフリカの国々は、第二次世界大戦後に、次々と独立を果たしました。しかし、独立後も険しい道を歩むことになったんです。今回は、それがわかるツアーを用意しました。」

  • 訪れる場所と時代
  • アフリカ諸国の独立とその後

今回のビューポイントは、

1.植民地支配からの独立
2.アパルトヘイトの克服
3.21世紀アフリカの課題

の3点です。

旅の舞台は、アフリカ大陸。時代は、19世紀末から現在にかけてです。

現在、著しい経済成長を続ける西アフリカのナイジェリアを訪れます。1960年の独立からここまで発展するまでには、苦難の歴史がありました。それは、どのようなものだったのでしょうか。
南アフリカには、巨大なネルソン・マンデラの銅像があります。長年続いた人種隔離政策を撤廃させたマンデラの生涯とは、どのようなものだったのでしょうか。

マジカル・ヒストリー・ツアー、植民地支配から独立したアフリカ諸国の歴史が分かる旅へ、さあ出かけましょう!

  • ボビー・オロゴンさん
  • エカーサ=こんにちは

眞鍋さん 「植民地支配からどうやって独立したのか気になるけど、その後もアフリカは大変な苦労が続いたんだ。」

永松さん 「そうなんです。今回はアフリカということで、ゲストの方をお呼びしております。ボビーさん!」


今回はナイジェリア出身のボビー・オロゴンさんに、ゲストとしてお越しいただきました。

ボビーさん 「どうもー!エカーサン、エカーサン、エカーサン!!」

眞鍋さん 「オカアサン……って言いました?」

ボビーさん 「僕の生まれたナイジェリアのイバダンという町の言葉なんだよ。エカーサンとは、民族の言葉で、『こんにちは』だよ!」

永松さん 「では、ボビーさんと一緒に、現代までの100年間のアフリカの歴史が分かるツアーを見ていきましょう。まずは、植民地支配からナイジェリアなどのアフリカ諸国が、どのように独立していったのかが分かるツアーです。」

1.植民地支配からの独立
  • ナイジェリア
  • ラゴス

マジカル・ヒストリー・ツアー、最初に訪れるのは、ボビーさんの出身国ナイジェリアです。
最大の都市、ラゴスの人口は、約1600万。アフリカでも有数の大都会です。
近年ナイジェリアは、年平均6パーセント前後の経済成長を続け、世界の注目を浴びています。

しかし、ナイジェリアが発展するまでには、苦難の歴史がありました。
それは、どのようなものだったのでしょうか。時間をさかのぼって、マジカル・ジャンプ!

  • ナイジェリアはイギリスに支配された
  • バンドン会議

19世紀末以降、アフリカ大陸のほぼ全土が、ヨーロッパ列強によって植民地化されました。
ナイジェリアは、イギリスに支配されていました。
植民地では白人が現地の人々から土地を奪い、低賃金で働かせ、税金を徴収するような搾取が行われていました。

1945年には、第二次世界大戦が終結します。
それまでアフリカを支配していたイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国は、大戦によって疲弊しました。
1955年、反植民地主義や平和共存などを唱えたアジア・アフリカ(バンドン)会議が開かれます。これにより、アフリカ諸国の独立運動に拍車がかかりました。

  • ガーナ独立
  • アフリカの年

1957年、ンクルマを指導者としたガーナが、サハラ以南のアフリカでは初めて独立を果たします。
そして1960年、ナイジェリアはイギリスから独立します。この年は、コンゴやカメルーンなど、17カ国が独立しました。
1960年は、「アフリカの年」と呼ばれました。

しかしそれらの国々は、アフリカの人たちが決めた国境によるものではなく、イギリスやフランスなどが引いた国境によって作られたものでした。
そのことが、独立後も大きな問題を生みます。その一つが、ナイジェリアで起こったビアフラ戦争(1967〜70年)でした。

  • 三大勢力
  • 民主的手続による選挙

多民族国家ナイジェリアは、イボ・ハウサ フラニ・ヨルバという三大勢力で構成されていました。
1967年、イボ人が「ビアフラ共和国」としての分離独立を宣言します。
これを認めないナイジェリア連邦政府との間で、ビアフラ戦争が始まりました。

さらに大国による軍事援助が行われ、フランスはビアフラ共和国を、イギリス・ソ連は連邦政府を支援します。大国の代理戦争となったことで、ビアフラ戦争は長期化しました。
ビアフラ戦争は、最終的にイボ人側の敗北に終わったものの、この後も民族間の軋轢(あつれき)を生んでいきました。

内戦終結後もナイジェリアは混乱が続き、軍事政権が強圧的に政治を進めました。
一方で、国民は粘り強く民主化を求めていきました。

1999年に、軍事政権から民主政治に移行します。
2015年の総選挙では、ナイジェリア史上初めて、民主的手続きによる選挙によって政権交代が実現しました。

民族問題や宗教問題などを抱えながらも、ナイジェリアは近年、民主化の進展とともに飛躍的な経済発展を続けています。

  • 250以上の民族が存在している

眞鍋さん 「もともといろいろな民族の人たちがいたところに、ヨーロッパが入ってきて勝手に国境線を決めてしまったから、いろいろな問題が起こってしまったんだね。」

ボビーさん 「そのとおりでございます。ナイジェリアには、250以上の民族が存在していて、言葉も250以上ある。そんな中で、いきなり今日から一つの国だ、『ナイジェリア』と言われても、ピンと来ない人がいるわけですよね。」

眞鍋さん 「やっぱりヨーロッパが入ってきたことで、アフリカの人たちの生活ががらっと変わってしまったんだ。」

永松さん 「そうした植民地時代の影響は、アフリカのほかの国でも長く根深く残っていました。」

2.アパルトヘイトの克服
  • プレトリア
  • ネルソン・マンデラの銅像

マジカル・ヒストリー・ツアー、続いては、南アフリカの首都プレトリアを訪ねます。
ここに、高さ9メートルの巨大な銅像があります。南アフリカで長年続いたアパルトヘイト、人種隔離政策の廃止を訴え続けた、ネルソン・マンデラ(1918〜2013年)の銅像です。
マンデラは、「南アフリカの父」と呼ばれています。

マンデラが廃止を訴えたアパルトヘイトは、どのようなものだったのでしょうか。マジカル・ジャンプ!

  • 南アフリカ連邦成立
  • アパルトヘイト法制化

1910年、いくつかの植民地などが統合され、南アフリカ連邦が成立しました。
オランダ系などの白人入植者は、現地の人々の権利を制限するだけではなく、人種の隔離を推し進めました。

1948年、南アフリカ政府は、人種隔離政策(アパルトヘイト)を法制化しました。
この政策により、有色人種への差別が強まっていきます。
バスも公衆トイレも、白人用と有色人種用に分けられました。「有色人種」とされた人たちには、職業を選ぶ自由もなく、白人との恋愛や結婚も禁じられました。

こうした激しい差別に、現地の人たちは、激しく抵抗します。

  • ネルソン・マンデラ
  • アパルトヘイト全廃

反アパルトヘイト運動の中心だったのが、ネルソン・マンデラでした。
大学生の頃から有色人種の権利回復を訴え続けてきたマンデラは、1962年、南アフリカ政府によって投獄されます。国家反逆罪として、終身刑が言い渡されました。


マンデラは、人種平等・反植民地運動の象徴となり、抵抗運動はマンデラの釈放要求を軸に激しさを増していきます。この抵抗運動は、国際的な支持を集めるようになります。そして南アフリカは、世界中から経済制裁を受けるようになりました。

1990年、マンデラは27年ぶりに釈放されました。
マンデラは、すべての人種の平等と民族の融和を訴えます。
そしてついに、1991年、アパルトヘイトは廃止されました。

1994年、全人種による選挙が初めて行われ、マンデラを大統領とする新生南アフリカが誕生しました。

マンデラは、次のようにスピーチをしています。

「もう決して 二度と再び 絶対に繰り返してはなりません。この美しい国で 人間が他の人間を抑圧するようなことは」

  • アパルトヘイト全廃はナイジェリアでも大ニュースだった

眞鍋さん 「これは南アフリカの出来事でしたけど、このニュースはナイジェリアでもかなり大きく扱われましたか?」

ボビーさん 「もう大騒ぎですよ。20世紀最大のニュース!良かったです。(自分を)30年近く刑務所に入れていた人たちに、出所後一緒に政権を立て直そうと言ったというのは、すばらしくないですか。」

眞鍋さん 「そうですね。仕返しするのではなく、水に流す。」

ボビーさん 「流して一緒に一つの国として。当然その国は、前より強くなるわけじゃないですか。」

眞鍋さん 「そうですね。」

3.21世紀アフリカの課題
  • ルワンダ
  • アフリカの奇跡

マジカル・ヒストリー・ツアー、最後は、中部アフリカにあるルワンダを訪れます。
町は、未曾有の建設ラッシュに沸き、いたるところでホテルやオフィスビルの工事が進んでいます。
このルワンダの飛躍的な発展は「アフリカの奇跡」と呼ばれています。

しかし、ルワンダでは、20世紀末に民族の対立から80万人が虐殺されるという悲劇がありました。
一体どうやって悲劇を乗り越え、復興を遂げたのでしょうか。マジカル・ジャンプ!

  • ベルギーの植民地に
  • フツとトゥチ

ルワンダは、第一次世界大戦後、ベルギーの植民地になりました。
ルワンダには、“フツ” と “トゥチ” という民族が平和に共存していました。
しかしベルギーは、少数派だったトゥチの人たちに権力を与え、社会的地位や教育面などで優遇しました。
一方、人口の8割以上を占めるフツの人たちは、長年冷遇されていました。

  • ベルギーから独立
  • フツがトゥチへ報復

1962年、ルワンダはベルギーから独立します。
独立後、多数派のフツが政権を握るようになります。フツの人たちは、トゥチへ報復を始め、紛争が多発しました。
そのため、混乱から逃れようと、多くの国民がヨーロッパやアメリカなど世界各地へ逃れていきました。その数は200万人以上と言われています。

  • 虐殺が起こったルワンダ内戦
  • ルワンダの新しい政府は対立を超えた国家を目指す

1990年、隣国ウガンダに逃れていたトゥチの人たちが、軍隊を組織してルワンダに侵攻し、内戦が勃発します。
1994年、フツの急進派が国民を扇動し、トゥチや穏健派のフツの人たち80万人以上を虐殺するという大事件が起こりました。
その後、トゥチの軍隊が首都を制圧し、内戦は終結しました。

紛争後の新しい政府は、フツでもトゥチでもない、民族の対立をこえた国家を目指していきます。
そして、独立後の混乱を恐れて世界の各地に逃れていたルワンダの人々約100万人が帰国しました。
ルワンダは、民族の融和と、帰国した多くの人々の力で発展を続けています。

  • チーター世代

眞鍋さん 「あんなに大虐殺があったことも驚きましたが、そういうことがあって、現在のルワンダは安定しているんですか?」

ボビーさん 「安定はしてきていますね。今、アフリカ自体が新しい世代に入ってきているんです。チーター世代に、みんな入っているんです。」

チーター世代とは、ICT技術や高度な専門知識を活かして、自分たちの力で現状を変えていこうとするアフリカの若者世代のことをいいます。

眞鍋さん 「チーター世代?どんな意味ですか?」

ボビーさん 「待つより、みんな自分で起こす。」

眞鍋さん 「パワフルなんですね。」

ボビーさん 「パワフル。これからの世代は、楽しみなんじゃないかな。」

眞鍋さん 「チーター世代!」

Deep in 世界史
  • 溝辺先生
  • 女性議員割合ランキング

マジカル・ヒストリー倶楽部の歴史アドバイザー、溝辺 泰雄先生(明治大学 准教授)に歴史の深いお話をうかがいます。
今回は、アフリカの女性パワーについてです。

溝辺先生 「さっそくですが、抜き打ちテストをしたいと思います。右の表は、2015年の世界のランキングを示したものですが、トップ10の中にアフリカの国が4つあります。これは、いったい何のランキングでしょうか?」

眞鍋さん 「日本が、119位ですね。すごく低いですね。」

溝辺先生 「正解は、これは国会下院(日本では衆議院)にいる女性議員の占める割合を示したランキングなんです。」

眞鍋さん 「ルワンダ、すごいですね。女性が進出しているということですか?」

  • 女性の地位向上の取り組みが進んだ
  • 男女平等の実現に向けて力を入れている

溝辺先生 「アフリカでは、1990年代以降に民主化が進んでいきました。1990年代というのは、世界的に見ると、女性の地位向上に向けた取り組みが急速に進んだ時代でもありました。」

一例として、1995年に北京で開催された、第4回世界女性会議があります。そこでは、ジェンダーの平等や女性へのエンパワーメント(自立促進のために社会的な力を与えること)の促進を、各国が積極的に取り組んでいくことが表明されました。
そのため、アフリカでも多くの国が、こうした新しい考え方を取り入れて民主化をスタートさせていったといいます。


溝辺先生 「さらに今日勉強したルワンダと南アフリカは20世紀の後半に、人種や民族を理由とした、現代史の中でも非常に悲劇的な出来事を経験した国々でした。そういう経験を乗り越えるために新しい政府では、人種や民族の平等だけでなく社会的に抑圧されていた いろいろな人たちの権利を守っていこうと、男女平等の実現に向けてもすごく力を入れているんです。日本も、今のアフリカの状況から学ぶことというのは、少なくないのではないかと感じますね。」

三人 「先生、どうもありがとうございました。」

  • 一番重要なのは教育
  • 次回もお楽しみに

眞鍋さん 「今日はアフリカを見てきましたけれども、これから楽しみですね。アフリカは。」

ボビーさん 「やっぱり一番重要なのは、教育。教育さえ間違っていなければ、素晴らしい未来が待っているんじゃないかなと、僕は信じていますね。」

眞鍋さん 「日本からは遠いですけど、これから日本も、もっともっとアフリカのことを知っていかないといけないですね。」


次回もお楽しみに!

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