NHK高校講座

世界史

今回の学習

第30回

近代中国の始まり 〜アヘン戦争〜

  • 世界史監修:立教大学教授 上田 信
学習ポイント学習ポイント

1.繁栄の頂点から 2.アヘン戦争 3.新しい国のかたちを求めて

  • 今回の旅のテーマ

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは、「近代中国の始まり」です。

眞鍋さん 「これまで見てきた中国の歴史は、明の時代までだったよね。」

永松さん 「その明に代わって中国を統一したのが、“清” という王朝です。清の時代、平和と繁栄が続いて領土は拡大し、大帝国が築かれます。しかし、清は皇帝が支配する中国最後の王朝でもあったんです。」

眞鍋さん 「最後ということは、清朝までと、その後の中国とでは大きく変わるということだね。」

永松さん 「そういうことです。今日は、近代中国の始まりを清朝からたどっていこうという旅です。」

  • 訪れる場所と時代
  • 近代中国の始まり

今回のビューポイントは、

1.繁栄の頂点から
2.アヘン戦争
3.新しい国のかたちを求めて

の3点です。

訪れる場所は、中国を中心とする東アジア。時代は、17世紀から20世紀までです。

まずは、約130年続いた清の繁栄と、それを支えた支配のしくみを探ります。
しかし、清は19世紀後半から衰退の一途をたどり、終焉(しゅうえん)を迎えることになります。それは、何が原因だったのでしょうか。

マジカル・ヒストリー・ツアー、近代中国の始まりをたどる旅へ、出かけましょう!

  • 女真族が打ち立てた王朝

眞鍋さん 「清の前の明は、漢民族の王朝だったけど、清はどうだったのかな?」

永松さん 「清は、中国東北部に勢力を持っていた女真(じょしん)族という民族が打ち立てた王朝です。女真族は、狩猟採集や毛皮などの交易を主に行っていました。後に、満州族と名乗るようにもなります。」

眞鍋さん 「中国で大多数を占める漢民族を、その満州族という異民族が支配したという形なんだね。」

永松さん 「そうです。その支配方法は独自のもので、清は繁栄を極めました。」

1.繁栄の頂点から
  • 河北省
  • 清東陵

マジカル・ヒストリー・ツアー、まず始めは、中国河北省の清朝時代につくられた皇帝陵墓からです。
世界遺産「清朝の皇帝陵墓・清東陵(しんとうりょう)」を訪れます。広大な敷地に、5人の皇帝や妃の陵墓が並んでいます。
陵墓の建築物は、明の時代から続く、瓦屋根をあしらった中国の様式です。

  • 裕陵
  • チベット仏教の仏が刻まれた地下宮殿にある

第6代皇帝 乾隆帝(けんりゅうてい)が眠る裕陵(ゆうりょう)では、皇帝の棺は巨大な地下宮殿に納められています。
宮殿の壁を覆うのは、チベット仏教の仏たちの見事な彫刻です。清朝の皇帝は、チベット仏教の仏に囲まれ、中国風の皇帝陵墓に葬られています。

これは一体、何を意味しているのでしょうか。その謎を解き明かすために、マジカル・ジャンプ!

  • 清が中国を統一
  • 弁髪

17世紀のはじめ、女真族が中国東北部に “後金(こうきん)” という国を打ち立てます。彼らは国の名前を “清” に改め、さらに南に勢力を伸ばしました。
1644年、清は北京に都を移し、それまでの漢民族王朝であった明に代わって中国を統一します。

清は中国を支配するにあたり、明の制度を引き継ぎますが、独自の政策も行いました。
中央官庁の役人は、満州人と漢人を同等に登用し、宮廷の正式文書も満州文字と漢字の両方を用いるなど漢人との融和策を図ります。
しかしその反面、満州人男性独自の風習である “弁髪(べんぱつ)” という髪型を強制し、漢人を厳しく支配しました。

  • 乾隆帝
  • 乾隆帝の時代、清の領土最大

清朝第6代皇帝・乾隆帝の時代、モンゴルやチベットなども支配下に収め領土は最大になり、清は繁栄を極めます。

清朝の皇帝は、四つの顔を持っていたといいます。
まず、「満州族のリーダー」としての顔です。次に、「漢民族を支配する皇帝」としての顔。モンゴルに対しては、モンゴル族帝王の呼び名である「ハン」を受け継ぎ、ハンとしての顔を持ちました。そして、当時満州族やモンゴル族にも信仰されていた「チベット仏教最大の保護者」としての顔もありました。

このように、清朝の皇帝はそれぞれの民族に向けた顔を持ち、多民族を治めることができました。
都の北京では満州やモンゴル、チベットなど全国から商人が集まり、物の行き来も盛んで人々の生活は豊かでした。
清の初めには1億だった人口は、乾隆帝の時代に3億に達し、清王朝は最盛期を迎えます。

  • スタジオ写真

眞鍋さん 「清の皇帝は四つの顔を持つことで、きちんと支配をしてたんだ。びっくりしたのは、弁髪!あれは、中国の文化だと思っていたけど、もともとは満州族の風習だったんだ。」

永松さん 「そうなんです。それだけ弁髪の強制は厳しく、漢民族に浸透したと言えますね。」

眞鍋さん 「そうやって栄華を極めていた清だけど、その後はどうなっていくのかな?」

永松さん 「その無敵の清に、対等な国交と自由な貿易を求める国が現れます。それが、イギリスです。やがて、両国は戦争に突入することになります。」

2.アヘン戦争
  • 広州

マジカル・ヒストリー・ツアー、続いては、中国南部の都市・広州を訪れます。
広州は、古くから中国の海洋貿易の拠点として栄えた町です。清朝乾隆帝の時代、欧米との貿易をこの広州の港だけに限定していました。
ここ広州は、中国の近代化にとって重要な舞台となります。

一体どんなことがあったのでしょうか。それを探るために、マジカル・ジャンプ!

  • 産業革命が始まる
  • 紅茶

18世紀中頃から、イギリスでは産業革命が始まっていました。
機械による生産技術が飛躍的に発展し、綿製品などの工業製品を大量に生産できるようになります。イギリスは、それらの製品を売るために、市場の拡大を海外に求めるようになっていきます。

さらにイギリスは、どうしても手に入れたいものがありました。貴族から労働者まで、人気が高かった紅茶です。
その紅茶を作っていたのが、中国でした。イギリスは、中国から大量の紅茶を買い入れ、貿易赤字になっていました。その赤字を解消するため、綿製品などを売り込もうとします。

  • ジョージ・マカートニー
  • アヘンを密輸し紅茶を買っていたイギリス

イギリス政府から清に派遣されたのが、外交官のジョージ・マカートニーでした。マカートニーは、皇帝乾隆帝と会見し、対等な国交と自由な貿易を求めます。
しかし、乾隆帝は「朝貢(ちょうこう)」という関係しか認めませんでした。
朝貢は、周辺諸国の君主が中国皇帝の徳に敬意を表して貢ぎ物をする見返りとして、中国皇帝が返礼品を与えるという関係です。

しかし、この後、中国清朝の社会を大きく変動させる出来事が起きます。
まず一つは、貧富の差の拡大から農民の不満が強まって起きた、「白蓮(びゃくれん)教徒の乱」と呼ばれる反乱です。
※蓮の「連」は、正式には二点しんにょう

そして二つ目が、イギリスが持ち込んだアヘンでした。
当時イギリスは、インドで栽培された麻薬のアヘンを清に密輸し、そこで得た銀で紅茶を買っていました。
この結果、中国ではアヘン中毒者が激増し、清はその対策に迫られることになります。

  • アヘン戦争勃発
  • 香港と五つの港

当時、イギリスの貿易が唯一許されていたのが、広州の港でした。清は、アヘンの密輸を取り締まるため、広州で強硬策を取りました。アヘンを見つけると没収して廃棄し、さらに、イギリスとの貿易を禁止しました。

これに対し、イギリスは武力で対抗します。1840年にアヘン戦争が勃発すると、イギリスの近代的な武器と兵力を前に、清は大敗を喫しました。
イギリスに敗れた清は、不平等条約を結びます。香港を植民地として譲り渡したほか、5つの港を開いてイギリス人が自由に取引できることや、賠償金の支払いなどを認めさせられました。

  • 新たな民衆の反乱も起きた

眞鍋さん 「イギリスは、インドに対しても強い姿勢で支配をしてきたよね。それに続いて中国に対しても、アヘンを使ったり、かなり支配的な関係を築いているんだね。」

永松さん 「そうなんですよ。そのアヘン戦争が、清朝衰退の始まりでした。アヘン戦争の敗北で社会不安が拡大し、清朝を倒そうとする新たな民衆の反乱も起こりました。清は危機感を感じ近代化を進めようとしますが、そこにまた別の国が現れ、戦争が起きます。」

眞鍋さん 「今度はどこ?」

永松さん 「それは、日本です。その結果、清はますます衰退し、新しい国の形を求める運動が起こるようになるんです。」

3.新しい国のかたちを求めて
  • 北京
  • 故宮

マジカル・ヒストリー・ツアー、最後は、中国の首都・北京を訪ねます。
世界遺産「故宮(こきゅう)」は、古くは「紫禁城(しきんじょう)」と呼ばれ、明・清王朝の政治の中枢となったところです。
1406年に建設が始められてから、清朝滅亡までの約500年間、皇帝がここを居城としました。現在は、博物館として使われています。

中国の新しい国の形を求める動きは、どのように進んだのでしょうか。それを知るために、マジカル・ジャンプ!

  • 帝国主義
  • 列強に侵略される清

19世紀後半、清朝でも産業の育成や軍備の近代化を図る「洋務(ようむ)運動」と呼ばれる動きが活発化します。しかし、清朝体制の維持を前提として西洋化しようとしたため、表面的な改革に終わりました。

同じ時期、資本主義が急速に発達したヨーロッパの国々は、その繁栄を競い合うように、植民地を求めて世界各地に進出します。この動きは「帝国主義」と呼ばれ、その後の世界を大きく揺るがしていきます。

日本も欧米列強にならい、植民地獲得を目指しました。
1894年、朝鮮半島の主導権をめぐって日本と清王朝が衝突し、日清戦争が勃発します。日本は、清の主要艦隊を壊滅させ、戦いに勝利しました。

日清戦争の敗北で清の弱体ぶりが明らかになると、イギリスをはじめドイツ・ロシア・フランスなどが、清に勢力を伸ばしました。
清は、列強国による侵略を受け、植民地にも等しい状況に置かれます。
清の経済は落ち込み、政治は腐敗しました。そのため、苦しい生活が続いていた庶民の間に不満が高まっていきます。

  • 孫文
  • 辛亥革命

そんな中、清朝打倒を目指し活動していたのが、孫文(1866〜1925年)でした。孫文は、外国支配からの脱却と、民族の自主自立を民衆に訴えます。

1911年、清朝の軍隊の反乱をきっかけに、辛亥革命が起きました。翌年の1912年、孫文は中華民国の建国を宣言し、アジア最初の共和国が誕生します。
こうして、孫文の革命は成功したかに見えましたが、その後も中国の混乱は続きました。

  • 内戦が続く

眞鍋さん 「あれだけ栄華を誇った中国王朝の歴史も、外からいろいろな国が圧力をかけてくることで、悲惨なことになってしまったんだね。」

永松さん 「そうですね。孫文が亡くなった後、中華民国では、孫文がつくった国民党と共産党が激しく対立し内戦が続いていくことになるんです。」

眞鍋さん 「この状況から新しい時代を作るというのは、かなり大変そうだね。でも、中国もいろいろな国との関わり合いの中で国の形が作られていくという、グローバルな時代に入っていったんだね。」

Deep in 世界史
  • 上田信先生
  • イギリスの蒸気船の映像

マジカル・ヒストリー倶楽部の歴史アドバイザー、上田 信先生(立教大学 教授)に歴史の深いお話をうかがいます。
今回は、情報戦という視点からアヘン戦争を考えます。

上田先生 「アヘン戦争の結果は、イギリスの勝利でした。先ほど見た映像で、アヘン戦争を描いた絵が出てきました。その中で、中国の帆船が燃えている奥の方で、イギリスの艦隊が描かれていました(写真右)。イギリスの蒸気船は、インドから派遣されたわけですが、その石炭の供給地は、中国の沿海では全くありませんでした。もし、アヘン戦争が持久戦に持ち込まれたら、石炭が無くなってイギリス側が勝つ可能性は極めて低かったと考えられています。」

  • 勝敗を決したのは情報戦
  • ウィリアム・ジャーディン

上田先生 「勝敗を決したのは、戦争が始まる前の情報戦にあったと思います。その情報を集めたのが、イギリス・スコットランド出身のウィリアム・ジャーディン(1784〜1843年)という、アヘンを扱った密貿易の商人でした。このウィリアム・ジャーディンが書いた、直筆の手紙を持ってきました。」

  • 手紙の抜粋

上田先生 「ジャーディンは、パーマストンという当時のイギリス外務大臣に会って、アヘン戦争のきっかけとなったアヘンの処分について相談を受けたと書かれています。そのときジャーディンは、長年中国で活動した経験からジャーディン・ペーパーという報告書を書いて、アヘンをきっかけとする戦争をどのように進めたらいいかという提言を行っています。」

ジャーディン・ペーパーには、以下のような内容が書かれていました。

『艦隊は北京の近くまで迫り、清朝皇帝に(清朝がイギリスに与えた)侮辱について謝罪するように直接に迫り、破棄させたアヘンの代金を支払わせ、公平な通商条約を結ばせ、北方の諸港、すなわち厦門(アモイ)・福州・寧波(ニンポー)・上海、もし可能であれば潮州を自由に交易できるように開港させるべきです。』


上田先生 「短期決戦をするためには、清朝の皇帝に直接迫るべきだと書かれています。」

  • 清朝のウイークポイントを見抜いていた
  • 次回もお楽しみに

上田先生 「清朝は、大多数の漢民族を少数の満州人が支配するという帝国でした。そのため、イギリスの艦隊が北京に迫ってきたとなると、清朝皇帝は中国全体の将来よりも自分たちの身の処し方ということを優先する。早い段階で、戦争に負けたと言うに違いない。ジャーディンは、長い中国での活動の中で、そういった清朝のウイークポイントを見抜いていました。実際に、アヘン戦争というのは、ほぼジャーディンの提案通りに進んでいく形になったわけです。」

二人 「先生、どうもありがとうございました。」

眞鍋さん 「やっぱり、勝敗を左右するのは情報ですね。」


次回もお楽しみに!

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