NHK高校講座

世界史

今回の学習

第25回

アメリカ合衆国の独立とフランス革命

  • 世界史監修:東京大学教授 西崎 文子
学習ポイント学習ポイント

1.アメリカ独立革命 2.フランス革命 3.ナポレオンの台頭と没落

  • 今回のミッション

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは、「アメリカ合衆国の独立とフランス革命」です。

眞鍋さん 「一見、繫がりがなさそうなアメリカの独立とフランス革命だけど、何か関係あるの?」

永松さん 「これが関係大ありなんです!今回は、その二つがどう関係していたのかを見ていきます。この時代以前は、国王や君主などが、一方的に人々を支配していました。ところがアメリカの独立とフランス革命を境に、近代としては初めて、政治の舞台に本格的に国民が登場するようになるんです。」

眞鍋さん 「世界史にすごく大きな影響を与えた時代なんだね。」

  • 訪れる場所と時代
  • 王政から共和政へ

今回のビューポイントは、

1.アメリカ独立革命
2.フランス革命
3.ナポレオンの台頭と没落

の3点です。

訪れるのは、主に、現在の北アメリカとフランス。時代は、18世紀後半から19世紀初頭です。

まずは、ニューヨークのリバティー島にある自由の女神像を見に行きます。アメリカの独立と、フランスとの関わりを象徴するものです。
そして、フランス、パリの中心にそびえる凱旋門を訪ねます。フランス革命の混乱に終止符を打った、ある人物が作らせました。

国王中心の時代から、国民の時代へ。その変換点を知る旅に、出かけましょう!

  • 自由の女神像

眞鍋さん 「革命が起こって、大きく時代が変わったのが今回なんだ。」

永松さん 「この自由の女神像(上写真)は、実際には地上から高さ93メートルもある巨大なものです。右手に掲げているのは、世界を照らす自由の炎と言われています。眞鍋さんは、実際に行ってみてどうでしたか?」

眞鍋さん 「遠目から見てもすごく大きかったし、やっぱりこれを見ると、アメリカに来たな〜って実感するね。」

永松さん 「この自由の女神像が示す、アメリカとフランスの繫がりが分かるツアーを考えてみました!」

1.アメリカ独立革命
  • 自由の女神像

マジカル・ヒストリー・ツアー、まず初めは、ニューヨーク・リバティー島を訪れます。
ニューヨーク湾にそびえ立つ、自由の女神像は、独立100周年を記念してフランスから贈られたものです。

アメリカの独立は、フランスとどのように関わっているのでしょうか。
時代を遡って、マジカル・ジャンプ!

  • 代表なくして課税なし
  • ボストン茶会事件

18世紀半ば、フランスとの戦争で逼迫(ひっぱく)した財政を立て直すため、イギリス本国は植民地アメリカに対して砂糖や印刷物に課税することを決定します。
しかし、この決定には植民地の代表は参加していませんでした。一方的な負担の押し付けに、植民地側は反発します。「代表なくして課税なし」との考えに基づき、この決定を拒否しました。
しかし、イギリス本国はさらに、北米での茶の販売独占権を東インド会社に与えます。

すると、ついに植民地側の不満が爆発します。1773年12月、ボストンに停泊していた東インド会社の船を襲い、茶箱を海に投げ捨てました。
このボストン茶会事件がきっかけとなり、1775年、植民地軍とイギリス本国軍との間で戦争が始まりました。

  • トマス・ペイン
  • 独立宣言

1776年、トマス・ペインの著した『コモン・センス』が発売されます。
その中で「イギリスの支配から脱し、アメリカが独立するのは “常識(common sense)” である」と主張しました。この本は、大ベストセラーとなりました。

そして、1776年7月4日、「独立宣言」が発表されます。

独立宣言には「すべての人が平等であること」、「生命・自由・幸福を追求する権利を与えられていること」、そして「人民主権の思想」が盛り込まれていました。これは、後の民主主義や人権の思想に大きな影響を与えました。

  • アメリカの独立承認
  • 共和政の国が誕生

独立戦争では、当時世界最強と言われたイギリス軍に対し、アメリカの苦戦が続いていました。そんなアメリカを助けて、独立戦争に真っ先に参戦したのがフランスでした。
フランスなどの参戦もあって、形成は逆転します。植民地側の勝利が決定的になり、1783年のパリ条約で、イギリスはアメリカの独立を承認しました。

こうして近代初の、国王などの君主がいない国となる、共和政の国が誕生します。このことは、ヨーロッパ中に衝撃を与えました。

  • ラファイエット

眞鍋さん 「近代初の共和政の国か。アメリカが自由の国というイメージは、ここが始まりだったんだ。フランスが参戦したおかげで勝ったわけだから、アメリカとフランスは深い関係があるということなんだね。」

永松さん 「そして、アメリカの独立に大きく貢献した人物が、フランス革命にも関わっていくんです。その代表的な一人が、『コモン・センス』を書いたトマス・ペインです。トマス・ペインは、アメリカの独立後にフランスに渡り、フランスの憲法草案作成に関わりました。そして、もう一人、フランスの貴族出身のラファイエットです。アメリカの独立戦争では、アメリカ軍の副官となって戦いました。このラファイエットが、フランス革命に繫がる、ある出来事に関わっているんです。」

2.フランス革命
  • アンシャン・レジーム
  • ルイ16世

18世紀、アメリカが独立し自由を勝ち取ったころ、フランスではまだ絶対王政が敷かれていました。
「アンシャン・レジーム」と呼ばれる旧制度の下、税金を払わなくてよい第一身分の聖職者・第二身分の貴族・税金を納めなくてはならない第三身分の平民に身分が分けられていました。多くの民衆は政治的権利を奪われ、貧しい暮らしを強いられていました。

そこへさらに、ルイ14世の浪費やアメリカ独立戦争への参戦による財政難が、民衆を圧迫していました。この財政難を乗り切ろうと、ルイ16世は、第一身分と第二身分からも税を取り立てようとします。
このとき、それぞれの身分の代表者を集めた議会 “三部会” を開くことを提案したのが、アメリカ独立戦争を戦ったラファイエットでした。

  • 憲法制定国民議会
  • バスティース襲撃

そして175年ぶりに、三部会が開かれました。
アメリカの独立を目の当たりにし、自由の尊さを知ったラファイエットは、ここで憲法制定国民議会を開きます。憲法によって国王の権力を制限し、国民の権利を保障する立憲君主制を導入しようとしました。

しかし、立憲君主制を受け入れられないルイ16世は、これを軍隊で弾圧しようと画策します。そのとき、不穏な動きを感じ取った民衆が立ち上がりました。
1789年7月14日、パリ市民が、国王による専制政治の象徴とされていたバスティーユ要塞(ようさい)を襲撃しました。
これが、フランス革命の始まりです。

  • 人権宣言
  • 二つの自由の女神像

そして翌月、人権宣言が発表されました。これは、自由と平等という、人間の基本的な人権を表した画期的なものでした。

アメリカの独立に大きな影響を受けて始まった フランス革命の100年後、今度はアメリカからお返しとして、自由の女神像が送られました。
二つの女神像は、自由を求めて共に戦った、アメリカとフランスの絆を象徴するものとなっています。

  • 国内のシステムを変えようとした

眞鍋さん 「フランス革命が、アメリカの影響で起こったというのは知らなかったな。でも確かに、一緒に戦って自由を勝ち取ったアメリカを横目に見てたら、『何でうちの国は?!』って思ってしまうよね。これでフランスの人々にも、自由と平等が訪れたということ?」

永松さん 「いやいや、まだ革命は始まったばかりです。アメリカの独立は、イギリスを切り離すだけで済みました。しかしフランスの場合は、既にある国内のシステムをがらりと変えようとしたわけですから、まだまだ乗り越えなくてはいけないことがたくさんありました。」

3.ナポレオンの台頭と没落
  • エトワール凱旋門

マジカル・ヒストリー・ツアー、最後は、フランス・パリにあるエトワール凱旋門を訪ねます。
これは、フランス革命の混乱のさなかに、ある人物が作らせたものでした。なぜ、このような豪華な門を作らせたのでしょうか。
フランス革命の時代へ、マジカル・ジャンプ!

  • 共和政への移行を宣言
  • ロベスピエール

1792年、国民公会は王政を廃止して、共和政への移行を宣言します。その翌年には、国王と王妃をギロチンにかけて処刑してしまいました。
国王が処刑されるという事態に衝撃を受けたヨーロッパ諸国は、対仏大同盟を組んで、革命政権を倒そうと戦争を仕掛けてきました。

一方 国内でも、意見の違いから派閥が乱立しました。貧困な都市の民衆に支持されたジャコバン派が、ロベスピエールを中心として独裁政治を行い、反対するものを次々に処刑しました。
しかし、ロベスピエールの恐怖政治は反発する者も多く、結局はロベスピエール自身が処刑されてしまいます。

  • ナポレオン・ボナパルト
  • ナポレオン、皇帝に即位

そんな混乱の中で、ある人物が頭角を現しました。若き軍事の天才、ナポレオン・ボナパルトです。ナポレオンは、対仏大同盟との戦いに連戦連勝します。
エトワール凱旋門は、ロシア・オーストリアとの戦いに勝利したナポレオンが、1806年にその勝利を記念して建設を命じたものでした。

1804年、ナポレオンは、国民投票で圧倒的な支持を得て皇帝に即位しました。そして、フランス革命の終結を宣言します。
ナポレオンによる、第一帝政の始まりです。

  • ナポレオンの勢力範囲
  • セントヘレナ島に流されるナポレオン

フランスを守るために始まったナポレオンの対外戦争は、その後、侵略戦争となって続きます。しかし、ロシアへの遠征に敗退したのをきっかけに没落が始まります。
1815年、ワーテルローの戦いでイギリスとプロイセンの連合軍に敗れ、セントヘレナ島に流されました。

  • ナポレオン法典
  • フランスの統治体制の変遷

眞鍋さん 「フランスは共和政に憧れてフランス革命を起こしたのに、ナポレオンが皇帝になったら、結局共和政ではなくなるということだもんね。」

永松さん 「そうですね。そんなナポレオンですが、現代の民主政治にとって非常に重要なものも残しています。その一つが、『ナポレオン法典』です。革命によって確立した法の下の平等、私有財産の不可侵、契約の自由などが盛り込まれたフランスの民法典を作ったのです。これはその後、多くの国の民法に影響を与えました。日本も影響を受けているんです。」

眞鍋さん 「日本にも影響を与えたなんて、すごいんだね。それで、ナポレオンの後、フランスの国内はどうなってしまうの?」

永松さん 「ナポレオンの第一帝政の後、王政に戻ってしまいます(右図)。そして第二共和政、ナポレオン三世による第二帝政、そして第三共和政…と行ったり来たりしました。ちなみに、現在の体制は、第五共和政と言われています。

眞鍋さん 「ちょっと迷走してる感じが見て取れるよね。フランスの人は、一度自由と平等を知ってしまったから理想を追い求めていたけど、古い体制との間で揺れ動いていたんだ。」

Deep in 世界史
  • 西崎文子先生
  • 大西洋革命

マジカル・ヒストリー倶楽部の歴史アドバイザー、西崎 文子先生(東京大学 教授)に歴史の深いお話をうかがいます。
今回は、大西洋革命(アトランティック・レボリューション)についてです。

西崎先生 「今回は、アメリカの独立とフランス革命とが、どのように繫がっていたかということを見てきました。これは、違う言葉では『大西洋革命(アトランティック・レボリューション)』と言われることがあります。この二つの革命をきっかけにして、アメリカ大陸とヨーロッパとの大西洋の両側の地域で、その後いろいろな革命が起こることになるんです。」

  • 黒人奴隷の反乱が起こる
  • 中南米諸国の独立 地図

西崎先生 「特に注目したいのは1791年、アメリカの南にあるカリブ海のサン・ドマングで、フランス革命の影響を受けて黒人奴隷の反乱が起こるんです。ナポレオンの時代にあったフランスは、この革命を鎮圧しようとしますが、最終的には1803年に敗れてしまいました。」

永松さん 「奴隷軍が勝ったんですか?」

西崎先生 「そうです。1804年には、黒人による共和国、ハイチが誕生しました。今でもある国ですよね。その他の中南米諸国でも、1810年代から20年代にさまざまな革命が起こり、スペインなどから独立して共和国が誕生しています。このように、革命というものが伝染して、広まっていくわけです。」

  • アジア・アフリカでも独立の動き
  • 次回もお楽しみに!

西崎先生 「19世紀の終わりごろには、アジアやアフリカの植民地でも、独立を求める人々の動きが出てきます。その人々も、アメリカ独立革命やフランス革命の自由・平等・人民主権といった理念に共鳴して立ち上がりました。そして皮肉なことに、イギリスやフランスのような支配している国に対して『君たちが言い出したその理念を、なぜ私たちには与えてくれないのか?』という論理展開で独立を求めていくようになるわけです。」

眞鍋さん 「自由と平等という考え方が、世界中に広がっていった時代だったんですね。時代の大きな転換点だったということが、改めて分かりました。」

二人 「先生、どうもありがとうございました!」

眞鍋さん 「自由で平等な国が近くにあると、やっぱりいいなって思うものだよね。」

永松さん 「そうですね。フランスもさまよった時期がありましたが、自由を維持するのも大変ですね。」

眞鍋さん 「そうだね。手に入れるのも大変だし、維持するのも大変だね。」


それでは、次回もお楽しみに!

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