NHK高校講座

世界史

今回の学習

第6回

東南アジア世界の形成

  • 世界史監修:東京大学名誉教授/放送大学客員教授・水島 司
学習ポイント学習ポイント

東南アジア世界の形成

  • 政井マヤさんと富田早紀さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • 東南アジア

東南アジアは、古代よりインド、中国と「海の道」でつながっていました。
人々を惹きつけてやまない特産品もあり、東西海上交易の重要な拠点となります。
ここでは、東西の文化や宗教と、もともとあった固有の文化とが結びつき、現在「世界遺産」となっている数々の宗教建築が造られていきます。
今回は、東南アジア世界が国家や独自の文化を形成した時代を見ていきます。

東南アジア世界の形成
  • 中国の香炉
  • 沈香

マヤさんが箱から取り出したのは、中国の香炉。

早紀 「お香を焚く道具ですね。日本のお香の文化は中国からきたんですか?」

マヤ 「それはどうかしら?早紀さんはお香といえば何を思い浮かべる?」

早紀 「お線香かな。」

マヤ 「仏壇やお墓にお供えするお線香の原型と言われるお香は、仏教とともに日本にやってきたといわれているのね。」

早紀 「仏教ということは、仏教が生まれたインドから、お香もやってきたということですか?」

マヤ 「確かにインドでもお香の文化はあるんだけど、香りを楽しむお香の原料に欠かせないのは東南アジア産の香木なの。特にこれ、沈香(じんこう)という東南アジアでしか採れないお香なんだけれども…。」

早紀 「懐かしい香りがします。」

マヤ 「こうやってお香を楽しむ文化っていうのは、日本独自で発展してきたものなんだけど、 東南アジアの香木が日本、中国、インドのお香の文化と結びつけているような気がして、おもしろいのよね。」

インド文明と中国文明の交差
  • 大陸部と群島部

東南アジアは、インドの東、中国の南に位置し、大陸部と多くの島々からなる地域です。
紀元前後から、インド文明とはインド洋を通じて、また中国文明とは南シナ海を通じてそれぞれつながり、大きな影響を受けました。

  • 扶南のオケオ遺跡(ベトナム南部)
  • 神殿の跡

1世紀から7世紀にかけて、インドシナ半島に「扶南(ふなん)」という国がありました。
現在のベトナム南部に、扶南の繁栄を示す遺跡が残されています。
「オケオ遺跡」です。
発掘調査によって見つかったのは、神殿や倉庫などの建物や、水路、公衆浴場など。

  • 出土品
  • ガネーシャの像

出土品からは、オケオが重要な交易地であったことが分かりました。
象の頭をした彫像は、商売繁盛をもたらすインドの神「ガネーシャ」をかたどったもの。

  • 荷札
  • 中国の銅鏡

数々の品々とともに出てきたのは荷札(画像・左)です。
「貴重品」「注意」などと書かれた古代のインド文字から、インドとの取引が行われていたことが分かります。
また、中国から渡ってきたものも出土しました。
後漢時代のものと思われる銅の鏡、銅鏡(画像・右)です。

  • ローマ帝国の金貨
  • オケオは海のシルクロードの中継地点だった

さらに、発掘時に注目を集めたのが、2世紀ごろのローマ帝国の金貨(画像・左)です。
1世紀末に、西はローマから東は中国にいたる「海のシルクロード」と呼ばれる交易ルートがありました。
オケオはその重要な中継地点だったのです。

  • 帆船
  • 季節風

商人達は季節風(モンスーン)を利用する帆船で商品を運びました。
季節風とは、夏の間は海から大陸に向かって吹き、冬になると大陸から海に向かって吹く風のことです。

  • アラブやインドの商人は夏の季節風で西から東南アジアへ
  • 中国商人は冬の季節風で中国から東南アジアへ

アラブ商人やインド商人は夏の季節風にのって西から東南アジアへ。
中国商人は冬の季節風にのって中国から東南アジアへそれぞれ商品を運びこみました。
こうして中継地オケオには東西から品々が集まり、盛んに取引が行われたのです。

  • 水島司先生

今回教えてくださるのは、東京大学名誉教授の水島司先生です。

水島先生 「まさか東南アジアにまで、ローマの取引がはっきり証明できるようなものがあるとは、おそらく多くの人は思っていなかったと思うんです。だからオケオ遺跡は、歴史学の中で重要な役割を果たしているわけですね。
金貨が出てきたのを覚えていらっしゃると思うんですが、何を買ったんだと思われます?」

早紀 「香木ですか?」

水島先生 「香木も取引されていたといわれているんです。ただ、もう少し後ですね。本格的に日本に入ってくるのは、だいたい12〜13世紀ぐらいといわれています。
東南アジアでしか生産されず、育つことができない、非常によく知られていて、重要な役割を果たしたのが、こちらです。」

  • クローブ
  • モルッカ諸島

水島先生が取り出したのは、香辛料の「クローブ」

水島先生 「ヨーロッパ世界では生産しませんから、古くからとても珍重されていました。ですから非常に高い価値を持ったんですね。」

早紀 「クローブは、東南アジアのどこで採れるんですか?」

水島先生 「このおもしろい形をしたところの、ちょっと東側がモルッカ諸島ですね(画像・右)。」

  • インドシナ半島

それではここで、東南アジアの地理を復習しておきましょう。
オケオがある半島のことを、「インドシナ半島」といいます。

水島先生 「インド、チャイナでインドシナ。まさにインドと中国の間にある場所なんですね。」

  • マレー半島とスマトラ島
  • ジャワ島

そして、オケオの南の方にマレー半島、スマトラ島があり、スマトラ島に並んでいるのがジャワ島です。

熱帯の資源と開発
  • 大陸部はモンスーン気候
  • 群島部は熱帯雨林気候

東南アジアを特徴づけるのは、大陸部と群島部で異なる気候条件です。
インドシナ半島のある大陸部は雨期と乾期に分かれるモンスーン気候で、稲作に適しています(画像・左)。
一方、たくさんの島々からなる群島部のほとんどは、一年を通して雨の多い熱帯雨林気候です(画像・右)。
熱帯雨林気候は、人が生活するには厳しい環境ですが、ここでしか採れない貴重な特産物がありました。

  • クローブ
  • ナツメグ

香辛料です。
中でも現在のインドネシアのモルッカ諸島で採れるクローブ(画像・左)は、オケオが栄えた1世紀ごろから海上交易の重要な商品でした。
また、中世のヨーロッパの高級料理に欠かせなかったナツメグ(画像・右)も、東南アジア群島部が原産です。
こうした香辛料は薬として珍重され、肉の臭みを取ったり腐るのを防いだりするのに使われました。

香辛料は莫大な富を生み出すことになります。
15世紀からのいわゆる大航海時代以降、ポルトガル、スペイン、そしてオランダが、莫大な富をもたらす香辛料を求めて進出してくるのです。
東南アジアの香辛料は、大航海時代を導く原動力となったのです。

  • 海を通らないのはどうして?
  • 小さい島もたくさんあり浅瀬で船が自由に動けない

早紀 「東南アジアを通る海のシルクロードはマレー半島の上を通っているけど(画像・左)、なんで海を通らないんですか?」

水島先生 「ここがマラッカ海峡なんですけど(画像・右)、この海のルートもあったことはあったんですが、非常に小さい島もたくさんあって、しかも浅瀬で船が自由に動けない。そのため、海賊が多いんです。海賊の話は近年まであり、そう考えると古代においても海賊が海上交易に脅威を与えていたんじゃないかと考えられます。そのため、この陸のルートが使われたと。」

マヤ 「でも、後にはマラッカ海峡を通る航路というのが一般的になるわけですよね。」

水島先生 「そうです。これはいくつか理由が考えられますが、ひとつには群島部に安定した強い国家が生まれたといわれているんです。それはマラッカ海峡の両側、マレー半島とスマトラ島に拠点を置いた『シュリーヴィジャヤ』という国家の誕生です。おそらく、この国が成立したことによって、(マラッカ海峡を通る)船の通行の安全が、ある程度確保されたのではないかと思えるわけですね。こうして海のルートが確立すると、海上輸送力が飛躍的に向上する。ですから、交易が非常に活発化する時代が訪れるわけです。
一方、かつての交易拠点だったオケオは、船がマラッカ海峡を通りますと、オケオを素通りしてしまう。そのため逆に衰退してしまうという、かなり大きな変化が生じてくるわけですね。」

独自な文化形成
  • シュリーヴィジャヤ王国とシャイレーンドラ朝

4世紀ごろから始まる東南アジアでの王国の成立にはインドの影響がありました。
交易が盛んになると、インドからは商人だけでなくバラモン達も渡って来ます。
バラモンは、王を権威づける儀式を執り行い、その地位を確立させます。
「王権思想」がもたらされ、東南アジアで国家が成立したのです。

7世紀には、マラッカ海峡を挟んでシュリーヴィジャヤ王国が成立します。
この王国によってマラッカ海峡の通行が安定すると、輸送量が増え、海上交易の拠点として発展していきます。
8世紀には、シュリーヴィジャヤと並ぶように、シャイレーンドラ朝が、ジャワ島に成立します。
そしてこの王朝の下で、いくつもの重要な宗教的建造物が生まれます。

  • ボロブドゥール寺院
  • ムラピ山

世界遺産として知られるボロブドゥール寺院(画像・左)。
階段ピラミッド状の構造で、一辺は120メートル、建造時の高さは42メートルもありました。
この巨大な石造りの寺院は、仏教を信仰し厚く保護したシャイレーンドラ朝の王が造らせました。
最上階は、悟りを得た者の世界を表しているといわれます。
仏教はインドから伝わりました。
しかし、石を階段状に積み上げ、最上部に崇拝の対象を置く構造はインドでは見られません。
この構造は、この地の山への信仰と関係があります(画像・右)。
仏教が伝わるはるか以前、ジャワの人々にとって山は聖なる場所であり信仰の対象でした。

  • 古代ジャワに造られた宗教遺跡

インドの影響を受ける以前のジャワ島で造られたといわれる宗教遺跡。
石を段々に積み上げた巨大な山は、祖先への祈りをささげる場所だったと考えられています。
ボロブドゥール寺院の造りには、山へのこうした信仰から生まれた石造りの伝統を見ることができます。

  • ボロブドゥール寺院とプランバナン寺院
  • プランバナン寺院

ボルブドゥール寺院が建てられた、およそ百年後、ジャワ島にもうひとつ寺院が建てられています。
ヒンドゥー教の寺院「プランバナン」です。
こちらも世界遺産となっています。
プラバナンにも、ジャワ島の山岳信仰の影響が見られます。

  • レリーフ

ライオンや鹿などのレリーフはこの寺院を「聖なる山」と結びつけるといわれています。
インドから伝えられた仏教とヒンドゥー教。
それぞれが山への信仰とともに、大切にされていたことが分かります。

  • マラッカ
  • ヒンドゥー教の寺院

  • イスラームのモスク
  • 中国の仏教寺院

東西交易の重要ルートであったマラッカ海峡の周縁地域は、その後も繁栄を続け、世界各地から人々が集まりました。
13世紀には、イスラームを信仰するムスリム商人がやってきます。
この町ではひとつの通り沿いに異なる宗教の施設が並んでいます。
マラッカの町の歴史的な街並みは世界遺産に登録されています。

マヤ 「東南アジアの王国の建設はバラモンがかなりサポートしたということで、ヒンドゥー教が盛んなのかなと思ったんですけれども、仏教やイスラーム教も東南アジアは受け入れているんですね。

水島先生 「そうなんです。だからかなり性格の違うものも受け入れる、非常に柔軟な精神風土みたいなものがありますね。そうした環境の中ですと、他者を排除してその中で均質を保つといった発想はなかなか生まれないですね。むしろ多様なものが混じり合って併存するのを許そう、それをどんどん受け入れよう、そういう下地があるっていうふうに考えたいですね。」

  • ジャワ更紗

マヤ 「異文化との融合で独自のものが生まれた例として、この布なんだけど、見たことある?『ジャワ更紗(さらさ)』という布で、本当にいろんな模様があるんだけど、いろんな文化を取り込むひとつの例かなと思って。」

  • ワヤンの人形
  • ワヤンの細かな装飾

マヤ 「東南アジア独自の文化のひとつに、『ワヤン』という影絵芝居があるんです。そのワヤンに使われる人形がこちら。本来は影絵なので色は映らないんですが、細かな色の装飾が施されているんです。1000年も前からインドの叙事詩などがワヤンで演じられてきたということで、幻想的ですよね。」


それでは次回もお楽しみに!

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