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高知局 小原アナが見た 東日本大震災の被災地・岩手~【後編】

陸前高田市・取材を終えて
  • 2024年02月16日

東日本大震災からことしで13年。その1月1日に「能登半島地震」が発生しました。

「南海トラフ巨大地震」もいつ起こるかわかりません。
今後30年以内に70~80%の確率で起こるとされています。「高知で暮らす私たちもその備えを進めていかなければ」と、改めて考えさせられました。
「南海トラフ巨大地震の被害を少しでも軽減するために何が必要か」。
私の故郷で東日本大震災の被災地である岩手県を訪ね、その教訓を取材しました。

取材後記の後編です。

自分の納得できる避難場所を!~陸前高田市~

陸前高田市を象徴する“奇跡の一本松”。

過去、たび重なる津波からまちを守ってきた松の数がおよそ7万本あるといわれる、高田松原。津波で流される中、唯一残ったのがこの“奇跡の一本松”です。津波に耐えて奇跡的に残ったが、海水による深刻なダメージを受けて2012年5月に枯死が確認されました。しかし、復興のシンボルとして後世に残していくために、モニュメントとして保存整備され、いまに残っています。

モニュメントとして残る“奇跡の一本松”

この奇跡の一本松から、およそ1キロの場所に建つのが米沢商会ビル。

高さおよそ15メートルの津波が押し寄せ、周辺の建物を飲み込みました。その様子を目の当たりにしたのが、ビルの屋上にある煙突の上で命が助かった、米沢祐一(よねざわ・ゆういち)さんです。

 

米沢祐一さん

津波から逃れることに必死だった米沢さん。高さ15メートルを超える煙突の上から見えたのは「見渡す限りの360°すべてが、あるはずもない“黒い海”だった」と話します。震災後、米沢さんはこのビルを震災遺構として残すため、解体はしませんでした。自分の命を救ってくれたビル。その煙突部分に、当時の津波の高さを示す“パネル”を残しました。私も煙突に上らせていただきました。

ビルの煙突に上る小原

15メートル以上の煙突の上にのぼると、足がすくむほどの高さで、津波が足のすぐ下まで到達したとは考えられないほどでした。しかし、当時の米沢さんは、足のすぐ下まで津波が押し寄せていたために、15メートルを超える高さに「怖さ」は感じなかったと言います。

東日本大震災による陸前高田市全体での被害は、死者1557人・行方不明者201人と、県内最多。地域で指定されていた避難所で、推定300人~400人余りの方が犠牲になり、その中に、米沢さんの両親と弟もいました。

米沢商会ビル

指定避難場所の「市民会館」に避難していた、米沢さんの両親と弟。津波が市民会館を飲み込む様子を、米沢さんは煙突の上から見ていたと言います。

小さいときから「何かあったら市民会館に逃げる」、それが体に染みついていました。「もし、自分も市民会館に逃げていたら、いまここで生きていることはなかったかもしれない」と話す米沢さん。「自分と同じ思いをしてほしくない。自分の命は自分で守る。その場所が本当に安全な場所かどうか、家族でもう1回確かめて“納得できる避難所”に避難してほしい」と願っています。

地元・岩手を取材して

岩手県滝沢市出身の小原和樹です。(滝沢市は震災当時、市制移行前で日本一人口の多い村でした)

滝沢市は当時、震度6弱の揺れ。中学1年生だった私は、終業式を終え帰宅途中でした。自宅から50メートル手前、「あー、やっと家だ。お腹すいた~」と思った矢先に、大きな地震。腰を落としてバランスを取りながらでしか立っていられないような揺れだったことを、いまでも鮮明に覚えています。

そんな私が岩手県の沿岸部を訪れたのは11年ぶり。生徒会の防災教育の一環で沿岸地域を訪れた中学時代の2011年夏以来でした。当時最初に感じたのは「何もない」でした。土台部分しか残っていない家や、道のあちこちに積み重なった木々。日常で使われていた“まち”そのものが消えていました。

今回の取材で久しぶりに岩手の沿岸部を訪れたときに感じたのは、地域の「あたたかさ」でした。震災以降、その地を離れた人もいると思います。その中で、地元の道の駅でみた「笑顔」や漁港で働く人の「姿」。明るい未来のために、希望に満ち溢れた「まち」にするために、その思いが集結しているように感じました。やっぱり私は、生まれ育った「岩手」が大好きなんだな、と改めて感じると同時に、「第2の故郷・高知で同じ被害を繰り返してはいけない」、そう強く思いました。

11年ぶりの岩手 ※撮影は釜石市

私がアナウンサーを目指したきっかけは「東日本大震災」の経験でした。震災当時、中学1年生だった私は、ダウンジャケットを着て、布団を4枚重ねながら夜を過ごしました。寒い3月の夜、私の耳に聞こえたのは、ラジオの先にいるアナウンサーの声でした。人のことばで「こんなにも“あたたかい気持ち”になるんだ」と、救われたのをいまでも覚えています。

いつ起こるかわからない「南海トラフ巨大地震」。高知でできる「備え」を、放送と言葉と取材で貢献できることはないか。その思いから、ふるさと・岩手取材が実現しました。何かのご縁に感じます。これからも、これまで以上に「誰かのため」に全力を尽くせるアナウンサーを目指していきます。

※死者・行方不明者データは令和5年12月31日現在(岩手県復興防災部防災課参考)

  • 小原和樹

    コンテンツセンター・アナウンス

    小原和樹

    夕方6時台放送の「こうちいちばん」メインキャスター。 岩手県で生まれ育ち、震災当時は中学1年生。
     「こうちいちばん」では、防災コーナーも担当。

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