なぜおしゃれな洋服?『らんまん』モデルのファッションに迫る
- 2023年05月16日
朝ドラ『らんまん』第7週で万太郎(神木隆之介さん)が洋服デビューしました。
モデルの植物学者・牧野富太郎博士は帽子やちょうネクタイ姿で知られています。
でも、植物採集の時までオシャレしていたのはなぜでしょう。
「恋人である植物に会うのだから」と話していたのは本当?
生前交流のあった人や家族の話から、実際の牧野博士の姿を探りました。
(高知放送局 ディレクター 篠塚茉莉花)
万太郎が洋服デビュー
『らんまん』第7週で、万太郎は東京大学という特別な場所に行くため、初めて洋服姿になり、帽子とちょうネクタイを身につけました。
見違えた姿に長屋のみんなはビックリ!
万太郎、洋服の身軽さにテンション上がってます。
実際、万太郎のモデル・牧野富太郎博士は、若い頃から晩年までの写真で洋服を着ている姿が残っています。
せっかくよさげなスーツを着ているのにお尻が汚れちゃうんじゃ・・・と心配になるのですが、「恋人である植物に会うのだから」と植物採集の時にオシャレをしていたという話もあります。
なかなかのこだわりっぷりですね。
本当にそうだったのか、調べてみました!
取材開始早々 衝撃の回答
まず話を聞いたのは、高知県立牧野植物園の村上有美さん。
牧野博士が植物採集の際に「恋人である植物に会うのだから」と洋服を着ていたのは本当ですか?
村上有美さん(高知県立牧野植物園 文庫班長)
「結論から言うと、牧野博士がそのような発言をしていたという記録は残っていません」
・・・え?
村上さん
「おそらくですが、牧野博士は自分のことを『植物の愛人』と言っていたので、推測でそういう話が出回っているのかもしれませんね」
たしかに、自伝で植物に対する愛を繰り返し語っています。
「私は植物の愛人としてこの世に生まれ来たように感じます」
(牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』講談社学術文庫 2004年)
こんな歌まで・・・
「年をとっても浮気は止まぬ 恋し草木のある限り」
(同上)
いくつになっても植物に恋い焦がれる気持ちがストレートに表れています。
そのあふれんばかりの愛情表現が"植物に会うため"オシャレをしていたという推測につながったのかもしれません。
新しいものが好きだった牧野博士
では牧野博士が洋服を着る理由はなんだったのでしょう。
村上さん
「なぜ洋服を着ていたのかはわかりませんが、牧野博士は新しいものに対する関心は高かったようです。
写真を見ると、20歳ころは和服ですが、1887年(25歳)ころの写真では、すでに洋服を着ています」
調べてみると、牧野博士の新しいもの好きを示すエピソードが見つかりました。
生前の牧野博士と交流があった上村登さんによる伝記『花と恋して 牧野富太郎伝』(高知新聞社 1999年)には、博士が明治初期、地元・佐川にいた頃にほかの人よりも早くペンシル(鉛筆とは呼ばなかったとのこと)を使い、ザンギリ頭にしたという話が紹介されています。
「いつも上等の流行の着物を身につけていた」と博士の幼なじみも語っていたようです。
牧野博士はオシャレ好き!?
生前の牧野博士と交流があった人たちが書き記したことばからは、牧野博士が服装にこだわりを持っていたことがうかがえます。
「牧野博士は大変にハイカラで、身だしなみはいつもきちんとしておられました」
(牧野富太郎・武井近三郎『牧野富太郎博士からの手紙』高知新聞社 1992年)
「服装なども最新流行のものをよく身につけ、よいと思うものは随分思い切った派手な柄のものでも平気で着こなし、それがまた博士にはよく似合うのであった」
(上村登『花と恋して 牧野富太郎伝』高知新聞社 1999年)
「ごじしんはなかなかのスタイリストであった。冬の中折帽はイタリアのボリサリノがいいといっておられた。・・・(中略)・・・夏も冬もきちんと背広姿で、かたいコチコチのカラーをして黒の蝶ネクタイをつけておられた」
(向坂道治「牧野富太郎博士の採集スタイル」『採集と飼育』日本科学協会 1969年
資料提供:練馬区立牧野記念庭園学芸員 田中純子さん)
一方、牧野博士の子どもや孫のことばからは、違う側面も見えてきました。
鶴代さん(牧野博士の娘)
「私の小さい頃の想い出ですが、研究中というものは、一切身なり服装にもかまわず、専心的にやっておりました。ほんとうに、父の研究時代というものは、特殊な、おもしろい格好をしておりました」
(牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』講談社学術文庫 2004年)
牧野博士の孫・澄子さんから直接話を聞いたことがあるという、高知県立牧野植物園元職員の里見和彦さんにも話を聞きました。
里見和彦さん
「植物採集の際、基本的には服装に気を遣っていたようですが、孫の澄子さんからは『家の中では着るものに無頓着で、着物に長靴をはくなど、ちぐはぐな格好でも気にしていなかった』と聞いています」
時には、植物採集の場でも・・・
里見さん
「博士は生活が豊かでない時期が長かったので、みんなで植物採集に行った時、上は冬服、下は夏服のズボンというちぐはぐな格好をしていたことがあったそうです。
足元は夏だけど上に行くと冬になることを『私は飛騨の高山』とギャグにし、貧しさを笑い飛ばしていたというようなエピソードを本で読んだことがあります」
孫の澄子さんによると、植物採集から帰ってきた牧野博士の背広ポケットに泥が入っていたこともあったようです。
オシャレ好きで服装に気を遣っていた牧野博士ですが、研究や植物採集に集中するうち、服装を気にしていられなくなることもあったということかもしれません。
結局、牧野博士がなぜ、植物採集での洋服姿にこだわりをもっていたのか、実際のところはわかりませんでした。
ただ、博士本人が語った植物に対する愛情や、生前を知る人たちの話を聞くと、大好きな植物に常に真剣に向き合っていたことは伝わってきます。
推測であっても、恋人である植物に会うためオシャレしていたというエピソードが生まれるのが、なんだかわかる気がしました。
ドラマでは装い新たに万太郎の東京での研究生活が始まりました。
今後描かれる服装や小物にも注目したいですね。