【教育】高知県の不登校の中学生が羽ばたく日
- 2023年04月12日
この春、不登校だった1人の少年が中学校を卒業し、新たな一歩を踏み出しました。
不登校の支援に特化した教室で出会った仲間や先生との出会いを通じて、教室に戻れるようになりました。
1年半にわたって密着取材した元・不登校の記者が彼の歩みを振り返ります。
(高知放送局記者 奥村敬子)
教室に行きたいのに…
私は高校1年生のころ、保健室登校をしていました。
第1志望の高校に入って、憧れの制服を着て高校生活を満喫するはずが、いつしか学校や教室に行くことをしんどく感じるようになりました。
毎朝、「きょうこそは学校に行こう」と思って制服を着て、学校に向かっても、登校する途中で引き返してしまったり、せっかく学校までたどりつけても、教室に入るのが怖くなって保健室に逃げ込む日々が続きました。
「学校まで来られたのに、なんで教室に行けないんだろう」。
悔しいやら、情けないやらで、保健室の隣にあったトイレで何度もひとり涙しました。
学校にも、家にも居場所がない。行き場のない気持ちを抱えていました。
教室への橋渡し役
その後、紆余曲折を経て、小さい頃からの夢だった記者になって知ったのが、おととしから高知県でも始まった「校内型適応指導教室」という取り組み。
高知県は中学生の不登校の割合が2年連続で全国ワースト。
この状況を打破しようと県と高知市の教育委員会が新たに導入したのです。
「学校までは行けても、教室には入れない」。
そんな子どもたちが教室に戻るための橋渡し役を担います。
まさに昔の自分のような子どものための場所ではないか!
そう思った私は、どんな教室なのか知りたいと思い、おととしの夏休みに高知市の城東中学校「タンポポルーム」を初めて訪れました。
不登校の子どもたちに居場所を
不登校の子どもたちが安心して来られる居場所を作るために、タンポポルームでは、生徒それぞれに合わせた指導を徹底しています。
一人ひとりの性格や特性を把握した専属の教員がきめ細かく目を配り、生徒と担任や保護者の間をつなぐ調整役を担います。
ほかの人の目が気になったり、1人でいたい生徒がマイペースに自習するための個別ブースや、仲間たちと一緒に授業を受けるための集団授業エリアなども設けられています。
自分のペースでその日の調子に合わせて勉強できる仕組みが整えられているのです。
私が高校生の頃にもこんな場所が欲しかった!記者になった今なら、少しでも後押しできるかもしれない。そう思って私は密着取材を始めました。
しゃべらない少年
夏休み明けに出会ったのが、当時2年生だったりょうすけさん。
私がタンポポルームに行くと気軽におしゃべりしてくれるほかの生徒たちと違って、いつも私のことをぽつんと遠目に見ていて、話しかけにくい存在でした。
でも、登校したり休んだりする生徒も多い中、りょうすけさんは毎日必ずタンポポルームにいました。
りょうすけさんは、学校への不信感をきっかけに小学5年生の頃から不登校になりました。
母親に「学校に何の意味があるんだ」とこぼすこともあったそうです。
タンポポルームができて、毎日、学校に顔を出せるようになってからも学校では話そうとしませんでした。
りょうすけさんは工作が得意です。タンポポルームを立ち上げた時も教室の壁を塗り直してくれたり、荷物を置くための棚を作ってくれたりと大活躍だったのだと先生は誇らしげに教えてくれました。
教室の片隅に置かれている巨大なゲーム機もりょうすけさんが作りました。
学校ではしゃべりたくないけれど、みんなに遊んでもらいたいからと自作の説明書も用意してくれていました。
インタビューは筆談で
タンポポルームに通い続けて4か月がたった頃、私は「そろそろカメラを回さないと…」とテレビ局ならではの悩みを抱えていました。
先生の了解を得て、帰りの会の中で、生徒たちにインタビューなどの取材を受けてもいい人はいないかと聞きました。
すると、りょうすけさんはひとりだけ、顔出しで取材を受けてもいいと言うのです。
それまで何度、話しかけてもひと言も話してくれなかったりょうすけさん。
「タンポポルームを続けていくためなら」と取材を引き受けてくれて、うれしいのはもちろん、とても驚いたのを覚えています。
ただ、学校では話さないと決めているりょうすけさん。
りょうすけさんの誕生日会の日に初めて行ったインタビューは筆談でした。
りょうすけさんがしゃべった!!!
去年2月。担当の先生に久しぶりに電話すると驚きの報告がありました。
なんと、りょうすけさんが学校のみんなの前でしゃべったというのです。
2年生の生徒が将来の夢について発表する「立志式」に参加し、「ゲームを作る人になりたい」と自分の夢を語ったというのです。
彼に一体どんな心境の変化が!?
びっくりした私は、後日、りょうすけさんに筆談でその理由を聞きました(その当時はまだ、限られた相手にしか話してくれませんでした)。
りょうすけさん
「友達が発表すると聞いて、自分もやると決めた。」
「急に話したら変に思われるんじゃないかと思って、(それまでは)話すタイミングがつかめなかった。」
先生にとってもその日は忘れられない1日となりました。
新学年マジック!?
去年4月。新学期を迎えて、みんながどう過ごしているのか様子を見に行こうとタンポポルームに遊びに行きました。すると、りょうすけさんをはじめ、顔見知りの生徒が誰もいないのです。
先生に一体どうしたのか聞いてみると、「みんなが行くなら自分も自分も…って、みんな新学年で新しいクラスに行くようになったんです」とあっさり言われました。
ガラガラになったタンポポルームを見て、みんなの成長がうれしい反面、なんだかちょっぴりさみしい気持ちになりました。
みんなあんなに教室に行くのを渋っていたのに、足りなかったのは背中を押してくれるちょっとしたきっかけだけだったのか。信頼できる仲間や、疲れた時に安心して羽を休められる場所さえあれば、頑張れる。そう思い知らされました。
「クラスが楽しくて後悔してる」
3年生になったりょうすけさんにも変化が生まれていました。初めて体育祭に出場。修学旅行はみんなと一緒に長崎に行きました。
クラスのみんなと練習を重ねて合唱コンクールにも出場し、受験生として勉強にも励み、ずっとやりたかったのにできなかった“学校生活”を送りました。
卒業を目前に控えた、最後のクラスマッチの日。
クラスの一員としてサッカーをしたりょうすけさんは、私の取材にこう話しました。
りょうすけさん
「普通にクラスになじめて、クラスでいろんな授業とか受けるのが楽しいです。
教室に行きだして『楽しい』って思えるようになったんで、
もっと早く学校に行ってたら楽しかったんじゃないかなって後悔があります。
教室に入れなかったときの後悔が今あるので、高校では悔いのない生活を送りたい。」
始まりの春
りょうすけさんを取材した1年半はいい意味で驚きの連続でした。
ちょっとしたきっかけの積み重ねで人はここまで変われるんだとつくづく思いました。
工作が得意なりょうすけさんは、ゲームを作るための専門的な知識を学ぼうとこの春から工業高校に進学しました。不登校の経験を通じて自分の行きたい道が見つかったことは、りょうすけさんの大きな自信になると思います。
高校生になって、新しい環境に戸惑うこともあるかもしれませんが、タンポポの綿毛のようにのびのびと自由に自分の道を歩んでほしいです。
いよいよ新学期。
不登校だった私が高校に再び行けるようになったのも実は、新学年になるタイミングでした。
はじめは勇気がいるけれど、案外、周りのみんなは普通に受け入れてくれるものです。高校生の頃に出会った友達は、私にとって今でも特別な友達です。
不登校の子どもたちは周りの大人が思うよりもいろんなことを考えています。大人のみなさんは子どもたちの成長を温かく見守ってもらえればと思います。