第19回「@北海道奥尻島(1)」
(2020年11月6日放送)
今回は高知を飛び出し、かつて津波で被災した地域を訪れました。北海道の奥尻島(おくしりとう)です。
平成5年(1993年)7月12日、午後10時17分、マグニチュード7.8の北海道南西沖地震が発生。震源地に近かった奥尻島は、地震発生からわずかな時間で津波に襲われ、死者・行方不明者は198人にのぼりました。
奥尻島と高知は遠く離れていますが、津波から命を守るためには、島の教訓から学べることがあります。2回にわたってお伝えします。1回目は自らの体験を語り続けてきた女性の証言です。
“忘れられる被災地”
被害の大きかった奥尻島南部・青苗(あおなえ)地区の被災後の様子です。
津波と火災によって町は壊滅状態になりました。
現在の奥尻町青苗地区です。
被災から5年後、町は「完全復興宣言」をしました。
一方、過疎高齢化が進み、人口はこの30年でほぼ半減。被災の経験を語ることができる人も年々、減っています。
島で暮らす人に聞いてみると。
- 島民
- 27年前の出来事ですので。体験している方も減ってきているのは事実です。奥尻は忘れられている部分は多くなってきているかと思います。
20年にわたり伝え続ける
津波の記憶を伝え続ける、奥尻島津波館です。
ことし(2020年)、開館20年目を迎えました。
写真や映像を中心に、被災から復旧・復興までの道のりを紹介しています。
安達恵子(あだち・けいこ)さん(65)。開館以来、自らの体験を伝えてきました。島の外から訪れる観光客や地元の子どもたちに、津波の恐ろしさを伝え続けています。
館内で一際、眼をひくモニュメント「198のひかり」です。
埋め込まれたステンドガラス198枚には、島で犠牲になった198人への鎮魂の願いが込められています。
- 安達さん
- 198人といっても、実際には、そんなに実感はわかないと思います。でも、これを見ることによって、こんな数の人数が亡くなったというのが分かると思うんです。
安達さんは、被災当時の光景を、いまも忘れることができないといいます。
“誰もが知っている人たちを亡くした”
地震が発生した夜、安達さんは自宅で過ごしていました。
- 安達さん
- 立ってはいられない揺れでした。たんすを抑えるので精いっぱいでしたから。玄関から出た時には、向こうのほうから白い煙が見えていたんですね。それが燃えている漁船の煙だったと思います。
安達さんは、娘3人と夫とともに、自宅から高台へ避難を始めます。街灯も消え、真っ暗な夜道。聞こえてきたのは、不気味な音でした。
- 中道アナ
- 聞こえた音は?
- 安達さん
- ごう音ですね。そのときは、石を転がしているような、ジェット機が飛ぶような、ものすごい音です。それが、たぶん津波の音だと思うんですね。
自宅を出て、数分で高台へたどり着いた安達さん。眼下に広がっていたのは、炎に照らされた街並み。信じられない光景でした。
- 安達さん
- こっちのほうは火事ですから。燃えている赤い炎は見えていますので。下だけでなく、高台にも火の粉が移るのでないかと覚悟しました。たぶん、うちもダメかなと。
- 中道アナ
- 生き残った方たちも、知っている人たちを亡くしていて・・・
- 安達さん
- 奥尻島では198人、犠牲になったんですね。そのうち107人は、青苗地区で亡くなりました。だから、顔はほとんど知っています。津波はいらないですね。津波は根こそぎ持っていってしまったので。
“とにかく逃げて”
日本海に面した静かな町は、津波と火災で、一瞬にして消え去りました。安達さんも、4人の同僚を失い、職場は津波で流されました
「津波による犠牲者を出したくない」。自らの体験を伝え続けてきた安達さん。ところが、ことし(2020年)は新型コロナウイルスの感染拡大で、予期せぬ状況が続いています。
- 安達さん
- 以前だったら、その黒板は(来館予定で)すべて埋まっていました。それで足りなくて、もうひとつ違う黒板を置いていました。
訪れる人の数は、去年と比べおよそ3分の1に減少。しかし安達さんたちは、自らの体験を伝える準備を続けています。
- 女性
- いまだからちょっと、明るく話せるかなという感じですね。
- 安達さん
- 私とは違う体験話をできる。津波館で体験を伝えるほかの方の話も聞いてもらいたい。
最後に、高知で暮らす私たちへのメッセージを伺いました。
- 安達さん
- “とにかく逃げる”ということしか、伝えられないと思うんです。とにかく1秒でもいいから、すぐ安全なところに避難していただきたい。何も持たなくていいです。ただ足をけがすると困るので、履物だけは履いて逃げてください。
- 中道アナ 編集後記
- 安達さんは「亡くなった方は、顔なじみの方ばかり」で、30年近くたったいまも、悲しみが癒えることはないと話していました。高知県内では、取材をすると、地震や津波の避難を諦める人の声が聞かれます。家族や知人に生涯にわたり悲しみを背負わせないためにも、1人1人がどのような行動をとって命を守るべきか考えいざというときに実践することが、犠牲になった198人と奥尻島の被害から学べる教訓ではないかと感じました。