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中道この道逃げる道

第11回「@宮城 南三陸町 前編」(2020年2月6日放送)

東日本大震災の発生からまもなく9年を迎えます(放送時)。
3回にわたり、宮城県の被災者の証言などをもとに備えるべき注意点を考えます。2回目は宮城県南三陸町です。
震度6弱の揺れと高さおよそ20メートルの津波に襲われた南三陸町は、東日本大震災以前にも津波に襲われています。代表的な事例が、昭和35年5月に発生したチリ地震津波です。マグニチュード9.5の巨大地震で、津波は太平洋を横断。南三陸町ではおよそ5メートルの津波を観測し、41人が犠牲となりました。
その経験などをもとに町づくりが進められてきましたが、東日本大震災ではチリ地震津波を大きく上回る津波に襲われました。過去の経験にとらわれず、避難の行動を起こす重要性について考えました。

チリ地震津波を超えた津波“想定は上回る”

チリ地震津波を超えた津波“想定は上回る”(1)

仙台空港から車でおよそ1時間半。津波で甚大な被害を受けた南三陸町には、いたるところに津波に襲われたこと知らせる看板が見られます。

チリ地震津波を超えた津波“想定は上回る”(2)

町を歩くと、東日本大震災の津波を経験した人たちと出会いました。皆さんから共通して聞かれたのは、現実は想定を上回ることを前提に避難行動をとってほしい、ということでした。

男性①
沿岸部の人たちは、津波に対する警戒心が常にあります。ましてや、1年に1回は、チリ地震津波の教訓を思い出して、避難訓練を行ってきました。ところがチリ地震津波が到達しなかったエリアの人は、チリ地震津波が来ないから、こっちは大丈夫だろうと構えていました。
男性②
私の妹も、妻の姉も亡くなっています。結局まさかここまで来ないでしょというのが、うっかりしていて、津波に飲まれました。

津波から奇跡的に生還 しかし悲しみは何年も続く

津波から奇跡的に生還 しかし悲しみは何年も続く(1)

過去の津波の高さにとらわれ、高台へ避難しなかったことを悔やんでいる方がいます。南三陸町の職員・三浦勝美(みうら・かつみ)さんです。

津波から奇跡的に生還 しかし悲しみは何年も続く(2)

三浦さんや同僚は、3階建ての庁舎の屋上に向かいました。
防災行政無線から大津波警報と避難を呼びかけるアナウンスが流れる中、津波は土煙をあげて庁舎の屋上に迫ってきます。庁舎の屋上に逃げた判断は、かつての津波の経験を踏まえた甘いものだったと振り返ります。

津波から奇跡的に生還 しかし悲しみは何年も続く(3)
岡村さん
地震が発生した後、津波が来て、どう逃げようと思われましたか。
三浦さん
この建物って、チリ地震津波の7メートルの津波なら耐えられるという話も聞いていたのですが、それを超えた津波が来てしまいました。過去の津波を超える津波が来るとわかっていたら、誰も屋上に残らないはずですよね。ただ、そこまでを想定していなかったので、留まってしまいました。
津波から奇跡的に生還 しかし悲しみは何年も続く(4)
三浦さん
誰かが、何かにつかまれ、って号令を出したんですよ。そして、私はこのアンテナの根本にすぐにしがみついたんです。だんだん、足元冷たくなって、いよいよ来たと。そしてだんだん、体が持っていかれそうになって。しがみついている間に、中指一瞬、離れた瞬間に、手を伸ばしたまま持っていかれました。
三浦さん
水を飲んで、とにかく上にあがろうとするんですけれど。息が続かなくて、だめだと諦めた瞬間に、海面に出ました。たまたま流されてる方向を見たら、畳あったので。畳にすがりついたら、その場では助かりました。
津波から奇跡的に生還 しかし悲しみは何年も続く(5)

畳をつかみ流れに身を任せていたとき、三浦さんの目の前に病院の建物が迫ってきました。偶然が重なり、病院の建物によじ登ることができました。防災対策庁舎の屋上から流されたのは、およそ30人。助かったのは三浦さんだけでした。津波に流される中、三浦さんの目には同僚の姿が焼き付いています。

三浦さん
自分が引き波に流されている途中、1人の女性職員が何かにつかまって助けを求めていたんです。声で誰か分かりました。でもなんともできなくて。結果的に、その女性職員は亡くなってしまいました。2週間後に、庁舎で津波に流された方は私以外みんな亡くなったと聞いて、本当にがく然としました。それを知ってから、やっぱり、悲しさというか、もうほんとに、何年も、5年ぐらい続いて、自然に泣けてくる状態がありました。人前では泣かないようにしましたけれど。

身近な人たちを悲しませないためにも行動を

身近な人たちを悲しませないためにも行動を(1)

三浦さんは「家族や周りの人たちのためにも、命を守る行動をとってほしい」と訴えます。

三浦さん
津波で、同僚の職員も、知っている後輩も、先輩も、地元の方々もいろんなお付き合いしている方々も亡くなりました。私たちは、残された家族、地域、悲しみを知っているんです。とにかく逃げて、命はなんとしても守って、すべての方に助かってもらいたいです。
中道アナ 編集後記
「私たちは、残された家族、地域、悲しみを知っている。だからこそ命を守ってほしい」。三浦さんが南海トラフ巨大地震に備えなければならない私たちへのメッセージとして、ゆっくりと、静かな声で話してくれた言葉です。三浦さんは、東日本大震災の発生から間もなく9年となるいまでも、津波に飲み込まれたことを思い出すと言います。私たちが身近な人たちを悲しませないためにも、最善の行動をとることの大切さを教わりました。
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