2022年02月21日 (月)山城と国宝をつなぐ道 ~神戸市西区「太陽と緑の道」~


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「山の上の建造物」というと、何を思い浮かべますか?

これまでの「兵庫山歩道」を振り返ってみると、

祠や山寺、茶屋、ケーブルカーやロープウェイの駅。

それから電波塔なんかもありましたが・・・。

 

 

今回クローズアップするのは「山城(やまじろ)」。

自然の地形を活かしつつ、人が手を加えて、

防御機能をさらに高めた要塞のことです。

そうした、信長・秀吉の時代の山城跡が

神戸市内にも複数残っているとは、

神戸局3年目になりますが、まったく知りませんでした。

 

中でも保存状態がとてもよい山城跡があるという、

神戸市西区櫨谷町(はせたにちょう)の寺谷(てらたに)地区。

 

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とても心落ち着く、里の風景です(山城の方向とは異なりますが)。

特に目をひいたのは川の流れ。

堤防はあるものの、植物に囲まれながら自由に蛇行する様子は、

以前勤務していた北海道でよく見た風景とも重なりました。

 

今回のご案内役は兵庫県山岳連盟副会長の黒田信男さん。

普段からこの周辺をよく歩くそうで、

ロケ中に出会った何人かの方々とは顔見知り。

まさにご近所さんのように親しく言葉を交わす姿に、

大いにびっくりしました!

 

 

では、今回のルート図をご覧ください。

 

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スタート直後にさっそく見どころがやってきます。

 

 

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ぱっと見、ただの里山のようですが、石碑が二つ立っていますね。

画面中ほどに「満福寺」、さらに右に縦長の「端谷城跡」。

でも、とても城跡があるとは思えないなあと感じつつ、

左端に見える階段を上ります。

 

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あったのは、お寺の境内。

・・・なのですが、ここがかつての「三の丸」だそうです。

 

それでもピンとこない中、庫裏の脇の細い坂道を登ると。

 

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突然、大きくえぐれた地形が見えてきます。

これが「堀切(ほりきり)」といわれる山城の構造物で、

尾根の部分を人為的に切断して、敵の侵入を困難にさせるもの。

 

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底から見上げると、こんな具合!

堀切の深さ、険しさが伝わるでしょうか。

鎧に武具、重い装備を身に着けた侍たちにとっては

よじ登るのも一苦労のうえ、

上からは姿も見えない敵が攻撃してくるのですから、

攻略するのは厄介だったことでしょう。

 

今から440年ほど前、攻め落とそうとする羽柴秀吉の軍勢と、

死守しようとする衣笠範景勢のせめぎ合いが繰り広げられた場所。

そこに、歴史好きの黒田さんの

「血で血を洗う戦いがここで・・・」なんていう解説が加わると、

少しぞくっとしつつ、気分は一気に戦国時代の侍に!

 

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「堀切」はちょうどこの図の中央あたり。

さあ、二の丸、本丸へと攻め登りましょう!

 

 

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ここが「二の丸」。明らかに人為的な、平らな空間が広がります。

思ったより高度が上がっていて、画面の奥、南側からは・・・

 

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このとおり、海まで見下ろせました。

ここが「砦(とりで)」であることを改めて実感します。

そして反対の北側に進むと、

 

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さらに一段上がって、ついに「本丸」に至りました。

案内板によると、このあたりで標高140m。

端谷城最後の城主・衣笠範景は、ここで最期を迎えたのでしょうか。

 

これほどの遺構が明確に残っているとは

麓からはまったくうかがい知ることもできませんでしたが、

登ってみれば確かに、かつての姿を明瞭に伝える山城跡でした。

この間、なぜか私の頭の中では

前々回の大河ドラマ「麒麟がくる」のテーマ曲が

エンドレスで鳴り続けていました・・・。

 

 

端谷城跡をじっくり見学したあとは、

西区伊川谷町にある「太山寺(たいさんじ)」へ向かいます。

 

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歩くのは、神戸市が昭和47年に設定したハイキングコース、

「太陽と緑の道」です。

神戸市のホームページを見ますと、

コースはNo.27までありますが

欠番(廃止)や休止となったコースも複数あるため、

現在は北区と西区を中心に総延長167㎞とのこと。

これから歩くのは「コースNo.26:太山寺~寺谷~木幡」の、

寺谷→太山寺の区間です。

 

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やや年季が入って薄れている部分もありますが、

画面真ん中少し上に「現在地」の表示。

そこから時計回りに進みます。

途中にも「城の址」と記されていて、ここも山城跡です。

その後、西から回り込むようにして太山寺に至ります。

 

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初めは舗装路でしたが、次第に固められた砂利道になり、

緩やかな登りが続きます。

文字通りの「太陽と緑の道」を、いいペースで進みます。

 

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今回唯一、要注意と思われる分岐はこちら。

画像右側、道標の「寺谷バス停」方面から来るので、

そのまま「仏谷池」方面にまっすぐ進んでしまいそうですが、

実際はここでヘアピンカーブを右回りして、

画面左下から中央に伸びる道を下るのが正解。

なお、「仏谷池」方面へ真っすぐ進むと、

「コースNo.27」の休止区間に入ってしまいます。

 

 

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道沿い左手に案内板が現れました。

本日2つめの山城跡、「高畑(たかはた)城跡」です。

なのになぜこんな中途半端な撮り方なのかといいますと、

背後の藪の深さをお見せしたかったから。 

そして、百戦錬磨の黒田さんでさえ、

かつて雨の日に等高線1本分(=10m)ほど滑落!

泥だらけになってよじ登り、

身をもって山城の防御性を体験した場所、なのだそうです。

 

どうりで黒田さん、端谷城跡での解説にも説得力があったわけです。

そんなわけで今回、高畑城跡の奥までは踏み込みませんでした。

 

 

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コース後半にはいくつかこんな場所もあり、

気をつけながら進みます・・・ が、

あれ? 思ったより脚が上がらない??

ことし最初の「山歩道」、

それなりのブランクが脚に来ていたようです・・・。

 

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ゴール地点の「太山寺」は、奈良時代・716年の建立。

長い歴史を物語る貴重な文化財を見ることができます。

まず目にする仁王門は、国の重要文化財。

 

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そして、本堂は国宝。

これもまったく知らなかったのですが、

神戸市内にある国宝の建築物は、実にこの一棟だけ!

間口が20m以上あり、堂々たる風格を感じさせる建物です。

 

ご住職のお話では、

火災で焼失したあと、鎌倉時代に再建。

前回の東京五輪の年(昭和39年)に解体修理を受けていて、

そのとき瓦葺きから銅板葺きに変わったとのこと。

そして、なんともすごいポイントは、

御本尊の薬師如来は『秘仏』なので御開帳されたことがなく、

ご住職ですら目にしたことがないそうです!!

 

tanaka_220221_20.jpg こちら、「阿弥陀如来坐像」は

鎌倉時代初期の作とされ、国の重要文化財です。

団体拝観の場合は阿弥陀堂内での見学が可能だそうで、

私たちもこのように間近に拝ませていただきました。

 

こんなふうに、鎌倉時代の建築物や仏像に囲まれたせいか、

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のテーマ曲も

何度か頭に浮かびましたが・・・

 

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なにせ陽射しがいっぱいの境内。

冬鳥のジョウビタキやシロハラの姿もありました。

そうした穏やかさ故か、「脳内エンドレス再生」とはならず、

静かな、落ち着いたひとときを過ごしました。

 

 

兵庫に暮らし、神戸を拠点に働いていても、

知らなかったことがまだまだ身近にいっぱい。

そうした発見の多い、今回の「兵庫山歩道」でした。

それにしても、比較的緩やかな登り下りであったのに

思ったより脚に疲労がきたのはちょっと残念・・・。

何のことはない、最も知らなかったのは

「自分の今の脚力」だったとは!

 

だいぶしょぼいオチをもって、今回はこれにて。

次回は3月、またお目にかかりましょう。

 

今回の番組動画はこちら >>

投稿者:田中 崇裕 | 投稿時間:18:30

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