物語は一気に
本能寺へと加速する。
脚本家 池端俊策インタビュー

松永久秀。
その男の本当の意味とは?

『平蜘蛛(ひらぐも)』の茶釜はそれ自体に意味があります。松永が伊呂波太夫に託した言葉にあるように、「それを持つ者は誇りを失わぬ者、志高き者、心美しき者」だということです。その平蜘蛛を松永は光秀に渡した。
そこには2つのメッセージが込められています。「光秀、お前が麒麟を呼ぶんだよ」、そのためには「信長とは縁を切りなさい」と・・・。伊呂波から平蜘蛛を受け取ったときに、光秀はこれらのメッセージも同時に受け取ったのです。

このエピソードを思いついたとき、すべてがつながったと思いました。僕としては大発見だった。
光秀に鉄砲を調達してくれる、おもしろい人物として第1回から松永久秀を登場させました。そのときは、これからふたりは友だちになっていくんだろうなという予感くらいしかなかったけど、平蜘蛛のエピソードを思いついた瞬間に、光秀にとっての松永、その本当の意味が構築されました。
光秀が心理的に変わっていく、信長や義昭を支える2番手の立場から自身が自立する転換点を、平蜘蛛を使って松永が仕掛けたということです。そういうことができる人物がほかにいるかというと、これが意外にいない。仕掛け人としては、松永は最高の人物だと思います。

松永の罠が、ここにある。

信長に平蜘蛛のことを聞かれて、光秀は知らないとウソをつきます。そこには、信長に対する後ろめたさも、ためらいもあるが・・・渡さないだろうと思ったんです。
比叡山の焼き討ちでは女、子どもまでも殺し、三淵も腹を斬らされて、身内さえも殺していく。それを目の当たりにした光秀は、信長に松永が一番大事にしたものを「はい、ここにあります」とそう簡単に差し出すはずはない。
松永も自身の死をもって光秀を試している。「信長にウソをつけよ、ここで平蜘蛛を渡したら、お前は一生2番手のままで終わるぞ」と。光秀はその意をくんでいるから、ウソをつく。きっと光秀と松永は気持ちが通じ合っていたのだと思います。ふたりは一番の友だち、親友だったのではないかと。

大声で泣くことで、
次へ進む。

信長が、ひとりで泣いている。その意味は、脚本では詳しくは書いていません。松永を殺してしまったからかもしれないし、多くの名品が灰となったからかもしれないし、帰蝶が言うように「高い山に登ってしまい不安になっている」のかもしれない。はっきりとした意味をドラマの中ではもたせなかったけど、信長が孤独だったのは間違いないですね。
世の中には、泣かないと決断できない、次へ進めない人がいるんです。泣けない人は、ずるずる引きずって悲しんだり、悩んだりして決断できない。信長のように大声で泣いてしまうと、意外とスッキリするものです。自分の不安や弱い部分を涙で断ち切ってしまう。信長は、つらいときの逃げ方を本能的に知っていたのだと思います。

光秀の
信長への不信感。

「大きな国をつくろう」と光秀と語り合った信長は、今もそこにいるし、そこは変わっていないはず。ただ、彼の人の殺し方をみると常軌を逸しているし、家臣に対する扱いも到底納得できるものではない。まわりにいる者たちはみんな、次は自分の番かもしれないと疑心暗鬼だったろうし、肉体的にだけでなく精神的にも疲弊していたと思います。しかも絶えず戦、戦、戦で、それをおもしろがっているようにも見える。そんな信長をそばで見ていた光秀が「この人には人徳がない。この人の下にいても決して平和な世は望めない」と考えるようになっても不思議ではないですよね。

本能寺への導火線に
火がついた。

第40回の最後で、僕は光秀に「信長様を帝(みかど)がいかがご覧なのかおたずねしたい」と言わせました。きっと帝は信長のことを評価していないはずだと光秀は感じていて、それを会って確かめたかった。そして、もし自分が政権を取ることになれば、帝がそれを許されるかどうかの心証を得たかったのではないか。
歴史家にはいろいろな意見がありますが、正親町天皇は信長を快く思っていなかったと思っています。表面では褒めても、本心は違っていたのではないか。でなければ、信長が献上した蘭奢待(らんじゃたい)を、わざわざ敵対する毛利にあげるわけがない。そこに真理があると思います。

武家の棟梁(とうりょう)である将軍・義昭と帝。そのふたりに背を向けられた信長が穏やかな世をつくれるはずがない。この回は、やがて光秀が本能寺へと向かうきっかけになる回だと思っています。本能寺への導火線に火がついた。そして、それを仕掛けたのは松永久秀なのです。

光秀が見た
本能寺とは?

このドラマのユニークでおもしろいところは、光秀の視点で戦国の世やそこで活躍した武将たちを描いているところです。光秀の視点で見ると、これまでとまったく違う風景が見えてきます。
たとえば斎藤道三も、光秀の視点で描いたから今回のような人物像になった。もし、道三の主観で描いていたら違う人物像になっていたはずです。主人公が誰かによって、世界が全部変わってしまう。そこが、ドラマのおもしろさです。

第41回から第44回の最終話まで、これまでの戦国ドラマとは違う視点で時代を見るという醍醐(だいご)味が凝縮されています。そして物語は、本能寺に向かって一気に加速していきます。光秀の視点で描くと、本能寺の変はどのように映るのか?どのような意味を構築できるのか?
信長の視点とは違う、歴史的な視点とも違う本能寺が見えてくるはずです。そこを、楽しんでいただければと思います。

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