【Q&A】認知症になったら尊厳死を選びたい 安楽死について

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きょうの健康「認知症」シリーズは、認知症の人に周囲がいかに寄り添い理解するかという内容で、参考になりました。また結局は家族の負担になることも改めて認識させられました。
私は、自分が重度の認知症になったら尊厳死を選びたいと思います。どんな病気でも家族には負担でしょうが、認知症は本人の意思や理性に反して想定外の行動をとるところが異なると思います。そのために若い世代の生活は一変してしまうでしょう。そのような犠牲を自分の家族には払わせたくありません。
もちろん、認知症であっても、経済的に余裕があったり周囲を傷つけなかったりと好条件がそろっていて、穏やかな余生を過ごせる人は、それでいいのです。
認知症で尊厳死を選ぶということについて、医師の皆さんはどのようにお考えか、お聞かせいただけませんか。(47歳)

専門家による回答

ご質問の方がおっしゃっている「尊厳死」は、消極的安楽死の意味に近いのではないかと思います。つまり、不治の病にかかって死が近づいたら、精神的な苦痛や、肉体の苦痛を取り除く治療は積極的に行うが、延命治療は行わないというものです。またはその時に行っている延命治療を中止するというものです。
現在、そういった最期を望む方が増えました。それは認知症であっても、認知症でなくても同じです。しかしこのことについては人によって考え方が違います。最後まで病気と闘い、一日でも長く生きようとするのも人生、治療よりも家族との時間を大切にするのも人生ですので、元気なうちに自分はどうしてほしいかを、家族に伝えておくことは大切です。親が子どもの希望を聴いておくことも重要です。交通事故や若くして予後不良の病気にかかることもあるからです。

なお、家族に迷惑をかけまいと自殺する方がおられますが、そうした方のご家族が迷惑をかけられなくてよかったと安どしているわけではないでしょう。認知症、あるいはアルツハイマー病の人を身近に経験しているか否か、経験しているとすればどういった経過であったかによっても、認知症に対する先入観は異なります。

たとえば、家族が認知症の自分に対してどうあってほしいのかを十分に聴いたうえで、最終的に自分がどうしたいのかを優先し、それを家族に分かってもらうというのが理想です。ただ、人生の時間はどんどんと過ぎていき、気がついたら病気が見つかり、その治療に対する選択を次々と迫られるのが、現実なのかもしれません。

ご質問からはずれますが、まだ認知症が軽いうちに、ご本人が尊厳死の意思表示をすることについては私も悩んでいるところです。今回の放送では認知症の精神症状を取り上げました。そういう症状がある方もおられますが、本人や家族が苦しんでいる事例は割合として多くありません。私の外来に通う多くの人は笑顔で幸せに暮らし、旅行や趣味などを続けておられます。
本人に治療や介護保険のサービスや人の支援を受け入れる寛容さがあり、家族が本人の精神症状を受け入れる寛容さがあれば(中等度、高度の場合は受け入れるのは難しいのですが、症状の始まりは軽いわけですから)、精神症状や行動症状が消えてしまいます。

ただ、それまでの家族関係が円滑なものではなかったり、緊張を伴うようなものであったり、よそよそしい関係の場合は、認知症になってから頼ったり頼られたりすることは難しいでしょう。精神症状や行動症状は出やすいでしょうし、強くなりやすいでしょう。それまでの家族の課題が凝縮して突出してきます。そのような場合は、無理をせず早めに自分から施設に入所してしまうほうが、お互いに幸せかもしれないと思います。

(2018年6月11日(月)〜13日(水)放送関連)

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