認知症治療の切り札に!?"血液脳関門"突破の最新プロジェクト

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南米・ブラジルの南の端にあるポルトアレグレという街で、認知症の進行を食い止める特効薬の開発につながるのではと注目を集める、ある薬の治験が行われています。週に一度、市の中心にある大学病院には3歳から16歳までの子どもたちが、母親に連れられて次々とやって来ます。「GAG(グリコサミノグリカン)」と呼ばれる物質が細胞の中にたまることで引き起こされる脳の難病、「ハーラー病」を患う子どもたちです。

新たな治療薬によって、病状が改善されつつあるハーラー病の子どもたち。ハーラー病と認知症の治療薬は同じ課題を抱えている

1000億あると言われる脳の神経細胞にGAGが蓄積すると、運動機能や認知機能に大きな障害が出てしまいます。通常私たちの細胞にはこのGAGを分解する酵素があるのですが、ごくまれに、生まれつきこの酵素の働きが不十分だったり、酵素自体を持たずに生まれたりする子どもたちがいます。そこで子どもたちは、このGAGを分解する薬の点滴を受けるために病院を訪れていたのでした。

認知症薬開発の鍵を握るハーラー病の子どもたち

病室にいた子どもたちの中で、ひときわ症状が重かったのが、10歳のルイス・オリベイラ君です。自分の足で歩くことがままならず、はっきりとした言葉で会話を交わすこともできません。母親のゴレテさんは、1000キロ離れたサンパウロ州ジョアノポリス市に夫と19歳の長男を残し、ポルトアレグレの狭いアパートホテルに滞在しながら、子どもの治療に付き添っています。「これまでさまざまな治療法を試してきましたが、症状はまったく良くなりませんでした。この新しい薬だけが、私たちに残された希望なのです」と、ゴレテさんは点滴につながれたルイス君の枕元で話してくれました。

歩くことも、話すこともままならなかったルイス・オリベイラ君。劇的に症状が改善されつつある。
歩くことも、話すこともままならなかったルイス・オリベイラ君。劇的に症状が改善されつつある。

薬の物質が届かない!脳の血管の"特別な関門"

ハーラー病の患者たちには、これまでも「GAG」を分解する薬を脳に送り込む治療が試みられてきましたが、効果があがらず、患者の中には10歳前後で命を落とすケースも少なくありませんでした。通常、点滴や錠剤の服用などで私たちの血液中に溶けこんだ薬の物質は、血液に乗ってその薬を必要とする臓器へと移動し、血管からしみ出して臓器の内部へ届けられます。それが可能なのは、血管の壁に薬が通れるだけのすき間が開いているからです。一方、脳の血管の壁の細胞は、互いに強く結合しているためほとんどすき間がなく、こうした薬が通り抜けられません。脳の血管には「血液脳関門」と呼ばれる頑丈な防御壁があるのです。

なぜ脳だけに、このような特殊な構造があるのか。それは、血液中を漂うさまざまな物質が無秩序に脳に流れ込んで、神経細胞の働きに支障をきたさないよう、血管が進化してきたためです。つまりこの関門は、脳の働きを健全に保つうえで重要な役割を果たす仕組みです。しかしその仕組みが脳の中に薬を送り込んで病気を治そうとする際には、これを阻んでしまう、いわば「諸刃の剣」になっているのです。

脳の血管壁の細胞は、隙間なくしっかりと結びついているため、薬が脳の内部へ届かない。
脳の血管壁の細胞は、すき間なくしっかりと結びついているため、薬が脳の内部へ届かない。

実は、この子どもの難病であるハーラー病の治療薬の開発に成功すれば、認知症の進行を食い止める特効薬の開発の道筋も見えてくると期待されています。その理由がまさに「血液脳関門」と関係しています。認知症のなかで最も大きな割合を占める「アルツハイマー病」は、一説によれば「アミロイドβ」という有害なたんぱく質が脳にたまり、神経細胞を壊すことで引き起こされると考えられています。このアミロイドβを分解する薬を脳に送りこむことで病気の進行を食い止めようと、これまで多くのアミロイドβ分解薬が作られてきましたが、血液脳関門を突破して脳に届き、アミロイドβを分解していると確認された薬は、まだひとつもないのです。

脳内に薬を届ける新たな仕組みが発見された!

いま治験が進められているハーラー病の新薬に秘められた、血液脳関門を突破するための画期的な仕組みとはいったい何なのでしょうか。この薬を開発したベンチャー企業ArmaGen(アーマジェン)の研究所は、アメリカ・カリフォルニア州のロサンゼルス郊外にあります。薬の開発の指揮をとるのは、「血液脳関門」研究の世界的権威で、15年前にこの会社を設立した、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)名誉教授のウィリアム・パードリッジさんです。

認知症の薬剤開発につながる薬を開発し、治験を進めているウィリアム・バードリッジ博士
認知症の薬剤開発につながる薬を開発し、治験を進めているウィリアム・バードリッジ博士

パードリッジさんが注目したのは、私たちが食事をして血糖値が増えた時、すい臓から血液中へと放出される「インスリン」でした。インスリンも他の物質と同様、血液脳関門で跳ね返されるはずなのに、なぜか関門を乗り越えて血管の壁を越えて脳の中に入り込めることが以前から知られていたからです。インスリンが血液脳関門を越えるメカニズムが分かれば、薬を脳へと送り込む手立てが見えてくるのではないか。

パードリッジさんは苦心の末、その詳細な仕組みをつきとめました。インスリンが血管の壁にある「小さな突起」にくっつくと、血管の細胞膜が小さなカプセルを作ってインスリンを包み込み、そのカプセルごと血管の壁を越えて脳の中まで運んでくれるのです。この仕組みを利用して薬を脳に届けようとパードリッジさんは考えました。

CG 薬は薄い膜状のカプセルに包まれて血管の壁を通過していく

8人中7人の患者さんの症状が改善しつつある

1年半にわたってポルトアレグレで続けられてきた治験は、大きな成果を上げています。現在治験に参加している子どもは全部で11人。そのうち症状が重い患者8人のうち7人に、認知や運動の面で症状の改善がみられているのです。「ハーラー病は、GAGが神経細胞の中にたまり続ける病気で、これまでは症状の進行を抑えるだけでも大変でした。それが改善の兆候まで見せているのですから、薬が神経細胞に届いている可能性が高いと考えられます」と担当医のジュリアーニ医師は言います。

ルイス・オリベイラ君も格段に改善の兆しを見せていて、母親のゴレテさんは手ごたえを感じています。「この子は人と関わり合うのが嫌いで、自分の世界に閉じこもりきりでした。でも今はいろいろなことに興味を示すようになってくれ、私たちとも気持ちを通じ合わせてくれるようになりました。もちろん私たちはこの子の病気がどれほど困難なものか知っています。でも、この薬と出会って私たちは希望を持てるようになりました。奇跡が起きることを願えるようになったのです」

オリベイラ君は、お母さんと気持ちを通じ合わせられるくらいまで、改善した。

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この記事は以下の番組から作成しています

  • NHKスペシャル 放送
    NHKスペシャル「人体」第5集 “脳”すごいぞ!ひらめきと記憶の正体

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