マルトリートメントが子どもの脳に与える深刻な影響が見えてきた一方、傷ついた子どもたちと向き合う医師たちは、子どもの脳はダメージを受けても回復可能であると訴えます。経験豊富な医師たちの言葉から、重要なポイントを探ります。

“虐待を受けたからといって終わりではない”
アメリカで40年以上、マルトリートメントによって傷ついた子どもたちの治療に取り組んできた精神科医のベッセル・ヴァンダーコークさん。
医学生だった時代「一度脳の機能にダメージを受けると治すことはできない」と教わりましたが、脳科学の研究が進むにつれ、それは間違いであったことを学んだと言います。
「虐待やネグレクトを受けたからといって一巻の終わりではありません。治療を重ねれば、ダメージを修復したりなかったことにできるのですから」(ヴァンダーコークさん)

心を込めた“だっこ”が大事
ヴァンダーコークさんが行う治療プログラムでは、“子どもが安心を感じられる体験を重ねること”を大事にしています。心地よい体験をすることが、脳の機能回復を助けると考えられるためです。

日本の小児精神医学に大きな影響を与えてきた医師の渡辺久子さんも、ヴァンダーコークさんと同じように「安心感」を与えることが傷ついた子どもの脳の回復に重要だと考えています。

「抱きしめられるときの安心感が子どもの脳と心と体の発達を活性化するのだと思うの。愛されている実感を記憶し、心身の機能を上げるためには心を込めただっこが大事だと思います」(渡辺さん)
同調する動きが脳の修復を助ける
もう一つ、ヴァンダーコークさんと渡辺さんが脳の神経ネットワークの再生を促進するのに有効だと考え、ともに治療に積極的に取り入れてきたのが、キャッチボールのような互いに呼吸を合わせる運動です。

「私たちが傷ついた子どもたちの治療で最初にするのは ボールを使った遊びです。それまで恐怖に体が固まっていてもボールで遊び始めると、自分が投げたボールを誰かが受け取ってくれることに喜びを感じ、リラックスして安心を感じるようになります」(ヴァンダーコークさん)
「子どもはこちらが“投げるよ”と言うと投げようとする意図を読みます。意図に集中してどの瞬間でボールが来るかということを読みながらキャッチする。その時キャッチするという動因を活性化しなければならない。投げてくる、それをキャッチするというやり取りの中で脳が活性化されていくわけ」(渡辺さん)
※動因:心理学で人間の行動をかりたてる内部の力を指す
虐待が子どもの脳に与える影響を調べている脳科学者で小児神経科医の友田明美さんも、傷ついた子どもたちの治療を重ねる中、二人と同様の経験をしてきました。

「親と子の関係性を上手に修復するためには同調する作業が大事なんですね。リズムを上手にシンクロさせる作業。治療の中で、キャッチボールだけでなくバドミントン、テニスなどをやっていただくということもしてきました。そういうことで親と子の心理的な絆が育まれていくんじゃないかと思います」(友田さん)
友田さんが見せてくれたのは愛着障害で診察室を訪れた子どもの脳画像。脳には回復の可能性があることを教えてくれると言います。

初診時はご褒美を感じ、意欲に関わる線条体の働きが極端に低下していましたが、7か月後には線条体の活動(黄色の部分)が戻ってきたのです。
「子どもの話を聞いてあげたり、親を褒める。こうした作業によって親が自信をもってわが子を褒めるようになり、線条体の一部の働きが戻ってきていることも見て取ることができました」(友田さん)
さまざまな研究や臨床の知見から見えてきたマルトリートメントと子どもの脳の関係。子どもの脳は傷つきやすい一方で、良い変化にもしっかり反応してくれることが分かってきました。
一方で友田さんはマルトリートメントの責任を親だけに押しつけるべきではないといいます。
「そもそも人間は、狩猟生活を送っていた太古の時代から共同して子どもを育ててきました。しかし核家族化が進んでいる今、“一人で完璧な子育てをしなければいけない”という迷信が広がっています。マルトリートメントを繰り返す親は頼れる人がおらず、相当ストレスをためていることが多い。早い時期にそのストレスに周りが気づき、サポートすることがとても大事です」(友田さん)
社会全体で子ども、そして子育てする親たちを支えるー。私たちひとりひとりにこうした意識が広がっていくことが、子どもたちをマルトリートメントから守り、健やかに成長させるために必要なことなのです。
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