脳はマルトリートメントの影響をどう受けるのか

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子どもの脳にさまざまなダメージを引き起こすマルトリートメント。そのとき脳の中では何が起きているのでしょうか。マウスを用いた細胞レベルでの最新研究によって、脳の神経回路や免疫機能の面からメカニズムの解明が始まっています。

脳の神経回路や免疫機能の面からメカニズムの解明が始まっている

ネグレクトが脳の神経回路に与える影響

奈良県立医科大学准教授で精神科医の牧之段学さんは、子どもの頃親からネグレクト(=育児放棄)を受けて育った人の診療を続けてきました。

精神科医の牧之段学さん精神科医の牧之段学さん

ネグレクトを受けた経験のある人の中には、脳の前頭前野の機能が低下している人が多くいました。前頭前野は人や社会との関わりによって発達し、機能が高まることが分かっています。

前頭前野

牧之段さんはこの機能低下は、「ミエリン」が適切に形成されないからではないかと考えました。ミエリンとは神経細胞同士を結ぶ神経線維に巻き付く絶縁体です。
ミエリンが正常に巻き付いた線維では、電気信号がミエリンの間をとびとびで伝わるため、伝導速度が向上します。

ミエリン
神経線維に巻きつくミエリン(白い部分)
電気信号がとびとびに伝わる仕組み
電気信号がとびとびに伝わる仕組み

しかしネグレクトによって人との関わりが少なくなるとミエリンが正常に形成されず、情報伝達のスピードがバラバラになることで様々な障害が出ることが考えられるのです。

この仮説を確かめるため、牧之段さんはマウスを用いてある実験を行いました。ネグレクトと似た状態を作るため、離乳したばかりのマウス1匹を仲間から2週間隔離。その後成長してから脳を観察したのです。

マウスを用いた実験
マウスを用いた実験
神経線維の断面図 神経線維を囲む黒い部分がミエリン
神経線維の断面図
(神経線維を囲む黒い部分がミエリン)

その結果、隔離されたマウスでは前頭前野のミエリンが薄く、正常に形成されていないことが分かりました。

さらに隔離されたマウスは行動面でも落ち着きがなく攻撃的になっていました。前頭前野の機能に障害が起きているためと牧之段さんは考えています。

人の場合も、同様にミエリンの形成が不十分になっているのではないか。牧之段さんはそう考え、次のステップとして人間の脳のミエリンの形成過程を調べ、最適な治療に結び付けようとしています。

「いつミエリン形成が活発になって、いつ神経活動がダイナミックに変化していくかについてのデータを集めて、最適な介入(治療)時期を選定したいと考えています」(牧之段さん)

牧之段さんインタビュー

強いストレスが脳の免疫細胞を過剰に活性化

一方、九州大学大学院准教授の加藤隆弘さんが注目したのは脳の免疫細胞「ミクログリア」。ミクログリアは脳に細菌などの異物が入ると直接食べたり、攻撃物質を出したりして排除する役割があります。

ミクログリアが異物(赤い点)を食べる様子
ミクログリアが異物(赤い点)を食べる様子
九州大学の加藤隆弘准教授
九州大学の加藤隆弘准教授

しかし強いストレスを受けるとミクログリアが過剰に活性化し、脳の正常な細胞まで攻撃することがあると考えられています。加藤さんらはマウスを2時間拘束してストレスを与え、その後のミクログリアの状態を調べました。
その結果、拘束されたマウスは、記憶をつかさどる「海馬(かいば)」で、ミクログリアの攻撃物質「TNF-α」の量が20倍近くも多くなっていたのです。

海馬のTNF-αの量

「認知症ではミクログリアが活性化することで脳の障害が徐々に起こり記憶障害になります。同様に幼い子どもでもストレスがかかるとそれがミクログリアを活性化させ、何らかの精神症状を起こしているのではないかと考えています」(加藤さん)

一方、ミクログリアはBDNF(脳由来神経栄養因子)という物質を出し、神経細胞を保護したり新たに作り出したりする別の役割も持っています。加藤さんはこうしたミクログリアの機能をいかし、治療に役立てる研究に挑んでいます。

「だっこされるようないい体験によって、ミクログリアからBDNFなどの神経新生物質が出ます。こうした物質によって脳を良い方向に持っていく“ミクログリア治療”というものが今後の精神疾患やトラウマ治療に非常に重要じゃないかと考えています」(加藤さん)

加藤さんインタビュー

地道な基礎研究によってマルトリートメントを受けた脳の中で起こるミクロなメカニズムが少しずつ解明されつつあります。次の記事では、小児精神医学の治療現場から見えてきた、ダメージを受けた子どもの脳を回復させる道筋についてお伝えします。

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記事「見えてきた 子どもの脳を回復させる道筋」

この記事はサイエンスZERO 2021年7月11日(日) 放送
「“子どもの脳”を守れ 脳科学が子育てを変える」を基に作成しました。

情報は放送時点でのものです。

再放送は2021年7月17日(土)午前11時 Eテレ

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