
口内炎と診断されていた舌がん
2年前、堀さんは舌の裏に白いできものを発見、医師から口内炎と診断されました。しかし、治るどころか痛みはひどくなる一方。半年が過ぎた頃、耐え難い痛みに襲われた堀さんは、パソコンで自分の症状を調べて、がく然とします。
「“口内炎 治らない”と検索したら、舌がんの人の写真がたくさん出てきて、その写真を見ると、私とまったく同じ舌の状況。ああもうやばいかなと自分自身で覚悟して、その夜は眠れませんでした」
大学病院で診察を受けたところ、進行した舌がんでした。
手術を決意させた娘の言葉
堀さんはこれまでさまざまな病と闘ってきました。特発性重症急性膵炎、特発性大腿骨頭壊死症、関節リウマチ、神経障害性疼痛などの痛みに耐えてきました。舌がんの告知を受けたとき、もう手術を受けようとは思えなかったといいます。
「どこにもぶつけようもないような、怒りじゃなくって悲しみ。これ以上、痛いことをもう経験したくないので、自分の人生をこれ以上、何かをして延命しなくてもいいかなと」
堀さんを思いとどまらせたのは、次女の言葉でした。
「泣きながら言われたんですけど、娘から『生きてほしい』と懇願されて、はっと思って、生きなきゃ!って」
自分の命は自分だけのものではない。そう気づかされた堀さん、家族のために手術を受けようと決意します。
「あなたには使命がある」
舌の6割近くを切除し、太ももの皮膚や皮下組織を舌に移植するという11時間にも及ぶ大手術でした。手術には耐えた堀さんでしたが、手術後、鏡に映った自分の姿を見て、衝撃を受けます。
「腫れ上がって、舌に大きな肉の塊がある自分の顔を見たとき、涙がバーッと出て、気持ちがどん底に沈んで、なんで生きてしまったんだろう、もう生きなかった方がよかったのかなって思ってしまって」
そんな沈んだ気持ちを変えてくれたのは、主治医のある言葉でした。
「われわれ医師は、患者さんの体を治したり、命を救うことはできるけれど、患者さんに勇気を与えたり、励みになったりということはできないですから、ぜひ復帰して、そういう存在になってください」
堀さんは、「なんで生きてしまったんだろう」と思ったことを後悔し、新たな使命をもらったと感じたといいます。
少しずつ前を向けるようになった堀さん。食べ物を飲み込む嚥下の訓練や、発声練習に懸命に取り組むようになります。

食道がんの告知
リハビリに励み、退院の望みが出てきた堀さんに、さらなる悲劇が襲います。食道がんが見つかったのです。
「食道がんの告知を受けたときのショックの方が大きくて。夫に『またがんだね』って言ったら、夫が『やあラッキーだよ』って。『舌がんがなかったら、食道がんが見つかってなかったんだよ』って言われたんですね」
夫の言葉に対し、堀さんは、もう前向きになれないと感じ、声を上げて泣いたといいます。ところが、夫と思いをぶつけ合うことで、心が穏やかになっていきました。
「がんになったことがないから、あなたは私の気持ちが分からないんでしょう!」と堀さんが言ったのに対し、夫から「分かんないよ。でも、君はがん患者の家族の気持ちが分からないでしょ」と言い返されました。しかし、夫のこの言葉で、堀さんは楽になり、食道がんの手術を受けようと思えるようになっていったと言います。
「お互い理解できていなかった部分っていうのが、お互いの立場で吐き出すことによって、溜まっていたものが、スッと体から流れ出したような気持ちになって、理解できるようになったっていうような場面があったんですよね」

がんからの贈り物 “キャンサーギフト”
堀さんはいま、ボイストレーニングと歌の練習に励んでいます。もう一度、歌うこと。それを目標にしたのです。

そんな堀さんの支えとなっているのが、ブログに寄せられるファンからのメッセージです。
「『もう一回歌が聴きたい』『負けるな』。そういう言葉をたくさんいただいて。そのなかで、がんサバイバーの方々がくださった言葉の中に、“キャンサーギフト”という言葉があって」
がんを乗り越えた先には、必ずギフト、プレゼントが見つかるはず。そういう言葉でした。
堀さんは、小さな命にも敏感になったといいます。入院中、枯れてしまい、ごみの日に捨てようと思っていたオリーブの木。水をあげ続けていたところ、再び緑の葉を付け始めました。終わったように思えた命が、また輝き出す。まるで自分のことのように思えたといいます。
「退院した時に、なんか人生観が変わっていた。生きているだけで幸せというか、耳から聞こえる風の音、鳥の声、雨の音、前とは全然違って、全てが素晴らしいと感じられる感性と体に変わっていた。それが“キャンサーギフト”だったんだって」
