左手のピアニスト 自分の表現を求めて
2022年05月12日放送
取材・守屋瞭アナウンサー
金沢市などを会場に開かれ、先週閉幕したクラシック音楽の祭典「風と緑の楽都音楽祭」。
病気で右手が不自由になり左手だけで演奏するピアニストたちのコンサートが開かれ、多くの観客を魅了しました。
きょうリポートでご紹介するのは「左手のピアニスト」。
ピアニストにとって、何よりも大切な手や指の自由を失いながら、自分の音楽を追い求める女性の姿を守屋アナウンサーが取材しました。
左手が奏でる音色。
瀬川泰代さん(34歳)です。
片手だけで演奏するピアニストとして活動を続けています。
瀬川さんは『局所性ジストニア』という病気のため、右手の指のほか、左手の薬指なども思うように動きません。
不自由な指にかかる負担を減らすため、指の「腹」の部分を鍵盤に押し当てるようにして音を鳴らしていきます。
瀬川さんが病気を発症したのは高校3年生のころ。
ピアニストという幼いころからの夢をかなえるため練習を続けていましたが、突然指が動かせなくなりました。医師から宣告されたのが、完治が難しい「ジストニア」という病気でした。
(瀬川さん)
「お医者さまから言われたときから練習すらできなくなって。ピアノを奏でようとすれば涙が出るみたいな、今まで得てきたものや、学んできたものを、すべてを失ってしまうような感覚でした」。
自分が目指してきた演奏がもうできない。
前向きになれない日々が続く中、瀬川さんを勇気づけた人がいます。
脳出血のため右半身がマヒしてからも“左手のピアニスト”として世界的に活躍を続ける舘野泉さんです。瀬川さんは、地元の広島県にコンサートでやってきた舘野さんに会いに行き、直接話を聞いたということです。
(瀬川さん)
「その時の舘野さんにしか表現できない音楽にすごく心を打たれました。両手でも左手でも音楽は音楽なんだということを、すごく強く自分で実感することができたと思います」。
左手での活動を始めた瀬川さん。演奏を行った国はこれまで14か国にのぼります。
(瀬川さん)
「両手で演奏していたときよりも深い学びがありました。音楽の本質とは何か。伝える大切さを海外で学ぶことができました」。
音楽祭のコンサートを8日後に控え、瀬川さんは病院を訪れていました。指の症状は今も少しずつ広がっています。
(瀬川さん)
「前よりもいいと思うんですけど」
(医師)
「前回と同じように注射を打ちましょう。痛み止めですから、すぐ効いてきますよ。もう一か所打ちますよ」。
演奏を続けるため、痛みを伴う処置に瀬川さんは耐えていました。
(医師)
「指の感じはどうでしょう」。
(瀬川さん)
「少し軽くなった気がします」。
本番の3日前。この日は当日共演するオーケストラのメンバーとのリハーサルです。
瀬川さん。これまでオーケストラと共演する機会は限られていて、少しプレッシャーも感じていました。
(指揮者)
「あと一声か、二声か、大きな形で音を出した方が良い」
その様子を見ていたのは、コンサートで弾く曲を手がけた作曲家の池辺晋一郎さんです。
(池辺さん)
「瀬川さんなりの表現をして欲しいし、若々しい新鮮な解釈をして欲しい。リハーサルを聴いている限り、そういうプロセスをたどっている最中ですね。本番でもそれを発揮すると思っています」。
そして迎えた本番の日。
(瀬川さん)
「曲の魅力を伝えることが第1だけど、瀬川泰代が演奏しているので、きょうまででつらかったこともうれしかったことも、音楽を通して伝えられたらいいなと思っています」。
瀬川さんは、自分の音楽を観客に届けきることだけに集中し、演奏に臨みました。
曲目は、左手のピアニストたちのために作曲された協奏曲『西風に寄せて』。
体全体を鍵盤に預けるような、力強い演奏でした。
(瀬川さん)
「すごく楽しかったです。演奏を通してお客さんに幸せな思いになってもらいたい。
まだまだ自分だから伝えることができる音楽があると思うので、これからも演奏活動を続けることができたらいいと思います」。
(松岡アナウンサー)
右手は椅子の高さ調整をするときも、楽譜をめくる時も問題は無いのに、ピアノを弾く時だけは動かない。本当に難しい病気ですよね。
(熊谷キャスター)
治療も続けていらっしゃいましたが、専門医によると、瀬川さんの病気「ジストニア」は症状の出方や、出る場所にも、さまざまな場合がありますが、楽器の演奏をする人たちに特に多く見られるということです。症状をなかなか周囲の人に理解してもらえず、つらい思いをするケースも多いということです。