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【被災地の声】輪島市町野町 親子2人 支え合った20年「おやじがおったから」浅井孝仁さん

  • 2024年02月26日

2024年1月1日に発生した、石川県能登半島地震。

2月19日午後2時の時点で、石川県内で「災害関連死」の疑いを含め、241人の死亡が確認されています。

父の孝造さんを亡くした浅井孝仁さん。20年前に母を亡くしてから、ずっと父と2人で暮らしてきました。

「おふくろが亡くなった時に、おやじから帰ってきて欲しいと頼まれて」
「おやじは俺がみとらにゃなと思ってたんですけど、こういうことになってしまって…」

浅井孝仁さんの声です。

元日、勤務先の介護施設で

輪島市町野町に住む浅井孝仁さん(51)は、高校卒業後、仕事の都合で石川県を離れましたが、26歳の時、母親が病気で亡くなったのをきっかけに実家に戻りました。

当初は父親の孝造さん(76)と祖父母との4人暮らしで、祖父母が亡くなった20年前からは孝造さんと2人で暮らしてきました。

1月1日、地震が起きたとき、孝仁さんは勤務先の介護施設にいました。

1人で自宅にいる孝造さんのことが頭をよぎったものの、ほかの社員が出勤して来られるかわからない状況の中で、目の前の利用者への対応や介護を続けました。

孝仁さん
「職員が来ない状態なんで、おる人間でなんとかしなきゃというので、ずっと仕事する感じになってしまったんですけど。ほかの人たちは家族無事やったと聞いたので、自分とこはどうなんやろと」

「そうですか」としか言えなかった

結局、職場を出たのは翌2日の昼すぎでした。

道路が寸断されるなか車で自宅を目指しました。

普通なら1時間ほどで着くところが、う回を繰り返し、自宅のある集落に入る道路に到着したころには7時間以上過ぎていました。

しかし、道は土砂崩れでふさがっていて、車では通行できなくなっていました。

「山自体がもう崩れて、木も何もかも一緒になって崩れて道路ふさいで田んぼにまで流れ込んでる状況だったんで、そこを越えないと町野には入ってこれなかったんで、しかたなく越えました。怖いというより、揺れてもしゃあないんで、とりあえず行かなきゃという思いしかなかったですね、その時は」

孝仁さんは車を降りて真っ暗な中、崩れた木や土砂の上を歩いて乗り越えてなんとか集落に入り、自宅にたどり着きました。

「真っ暗やったんで、家着いた時に気付かなかったんです。その時、近所にいた方が教えてくれて、こういう状況やよっていうのを教えてもらいました」

目の前にあったのは1階部分が潰れた自宅でした。

「孝造さんは1回目の揺れで外に出たあと、自宅に戻っていった。そのあとすぐに2回目の揺れが起きて家が倒壊した」

近所に住む人から、そう聞かされました。

「その時はまだ、自分としてはあまり理解できていなかったと思います。教えてくれた人に『そうですか』としか言えなかった。自分の中で消化しきれていませんでした」

当時、輪島市町野地区につながる道路は寸断され、なかなか救助は来ませんでした。

「家の状況見るかぎり1人や2人でなんとかなる状況じゃなくて、行政の方に動いてもらわないとどうしようもない状態やったんですけど、どこからも町野に入ってこれない状況やったんで」

消防の捜索で父親の孝造さんが見つかったのは、地震から4日後の1月5日でした。

1階にあった仏間の入り口付近で倒れているのが見つかり、すでに亡くなっていました。

「体の体勢とか見た時に、なんもできんままだったんだってわかったので、苦しまんかったんかなって、それだけは思ったんですけど。家も無くなった状態で、これからは俺1人なんかなって、そう思いました」

「何事もない生活がおやじのため」

父親の孝造さんは現役時代は消防士として働き、緊急出動することもありました。

輪島消防署に勤務していたころの帽子

火事が起きた際、厳しい顔つきで現場に向かう姿が印象に残っているといいます。

孝造さんが緊急出動の際には車で送り届けるなど、男2人、支え合って暮らしてきました。

近所の人からは「男親と長男が2人でここまで仲がいいのは珍しい」と評判でした。

「俺が知ってるのはお酒飲んでるこの顔やね、ふだん知っとるのは。みんなでわいわいやるのが好きでお酒飲んでるとき本当にうれしそうに飲むんで、それ見るだけでも楽しいですね。2人しかおらんくなったときは2人で頑張って行こうって、それしかなかったですね。もめるっていうことも全然ないですし、なんか変わらない日常をずっと送っていたという感じですね」

 

倒壊した自宅から見つかった父 孝造さんの写真

「常に一緒におるから、俺はたぶんおやじがおったから今までおれたんやと思うし、ほんとやったら(父親を)みとってあげたかったんですけど。今回こういうことになってしまってそれができなかったのは、ちょっと悔しいですね」

「『こんなに変わったぞ』みたいなのは望まない人だと思うので、無事に、何事もなく生活を続けていくことが、一番おやじのためになるのではないかと思っています」

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