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【被災地の声】石川県輪島市山岸町 高義明さん「耳が不自由な母 すぐに助けられず悔い」

  • 2024年01月23日

2024年1月1日に発生した、石川県能登半島地震。

疲れが出て体調が悪化する人や、避難生活の中で亡くなる人も相次いでいます。

そんな大変な状況の中で取材にこたえてくださった被災者の方たちがいます。

輪島市山岸町の高義明さんの声です。

93歳母が自宅の下敷きに

輪島市中心部の山岸町に住んでいた高はるみさん(93)は、地震で倒壊した自宅の下敷きとなり、その後、救出されたものの搬送先の病院で亡くなりました。

息子の義明さんによりますと、実直で我慢強い性格で、厳しくも優しい母親だったということです。

母親の高はるみさん(93)

義明さんは地震が起きたとき妻と市の外にいましたが、親戚から「実家が崩れている」と連絡を受けました。

深夜に戻りつくと、2階建ての住宅の1階部分が押しつぶされた状態になっていました。

懸命に呼びかけたものの、はるみさんは高齢で耳が聞こえにくく反応はありませんでした。

「確実に生存している人を」

近くの消防署に向かい救助を求めましたが、当時、市内では多くの建物が倒壊し、中心部で大規模な火災も起きていました。

市内のいたるところから救助を求める通報が相次いでいたため、確実に生存している人を優先せざるを得ないと伝えられたということです。

はるみさんは地震翌日の夕方、意識がある状態で自衛隊に救助され、一時、会話ができる状態にまで回復しました。

しかし2日後の4日、義明さんが見守る前で静かに息を引き取ったということです。

高義明さん

「働きものの母でしたが、足を悪くしてからは家にいることが多くなっていました。娘を早くに亡くしたため私がたったひとりの子どもで、たまに顔を見せるととても喜んで出迎えてくれました。仕事があるため頻繁には帰省できず、自分としては親孝行しきれていなかったので申し訳ないと思っています」

「できれば早く助けて欲しかった」

義明さんは、すぐに助けてあげられなかったことを、今でも悔やんでいるといいます。

高義明さん
「母が最後に残したのは『奥さんと2人仲良くしなさい』という言葉でした。育ててくれて感謝の気持ちしかないですし、できれば早く助けて欲しかったです。あれだけの災害が起きてしまったのでしかたないとも思いますが、耳が不自由で呼びかけに応じられないのにどうしろと言うのでしょうか。すぐに助けてあげることができずに真冬の寒い中で長い時間、痛い思いをさせてしまったことが悔やまれます」

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