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INTERVIEW 2022.09.11

三善康信役・小林隆さんインタビュー

~鎌倉幕府の緩衝材のような存在に~

オファーを受けた際の感想をお聞かせください。

ありがたいことに、三谷大河に参加するのは3作目です。三谷さんとは、劇団で一緒だったころから大河ドラマの話をずっとしていました。初めて三谷さんと喫茶店で話をしたときに「どういう作品が好き?」と聞かれたので「テレビだったら、『黄金の日日』、舞台だったら『ラ・マンチャの男』」と答えたら、彼もその2つだったんです。そこから話が盛り上がって、まさかその何十年後に彼が「新選組!」(2004年)を書き、メインキャストに私を選んでいただき、「真田丸」(2016年)、そして今回と…、本当にありがたいのひと言です。しかも今回はタイトルが「鎌倉殿の13人」ということで調べてみたら、三善康信は13人のひとりで、しかも82歳まで生きていると。つまり作品の最後のほうまで登場する役なので、「これは大変だなぁ」といううれしさと、「背負った荷物は大きいぞ」というプレッシャーの両方を感じました。

「鎌倉殿の13人」における三善康信はどのような人物だと思いますか。

ドラマの中では第3回で源頼朝に挙兵を促す手紙を送っていましたが、史実としても、康信伯母おば頼朝乳母めのとのひとりだったということで、月に3回くらい京から頼朝に手紙を出していたみたいなんです。これは相当な頻度ですよね。頼朝にそれだけ肩入れした理由は、京での平家の政治体制に思うことがたくさんあって、愛想を尽かしていたからだと思うんですよ。その結果鎌倉に来て、幕府を初期から支え、初代の問注所執事となり、自分の一族がその後も継いでいく。どうやら九州に「問注所」という姓を名乗った末裔まつえいの方がいるそうで、そのくらい鎌倉での仕事に誇りを持ってやっていたのだと思います。大江広元のような積極的に政治の表舞台に出るタイプではありませんが、裁判事務というか、争いの元となった当事者に寄り添って着実に仕事をこなしてきた人なんじゃないかなと。当初は「慌て者」と紹介していただきましたが、それくらい「この人のためになんとかしてあげたい」という思いが強かった相手が頼朝だったのであろうし、亡くなったあとは頼家であったはずなのだろうけど、世話役が13人にも増えてしまったことで彼に不信感を与えてしまい…。

史実の康信平清盛が亡くなる前後でもう剃髪ていはつしているのですが、今回のドラマでは、13人の宿老による政治が始まったタイミングでというように描かれています。これは自分の勝手なイメージなのですが、頼家のやる気をなくしてしまった責任を必要以上に感じて出家したのではないかと。本編で説明はされませんが、そんなつもりで演じていました。そういう意味でも康信も苦労人のひとりだと思いますし、どんどん義時も厳しいことをするようになっていますが、そこでもまた緩衝材のような存在でいたいと思って演じています。

三代鎌倉殿・源実朝はどのような印象ですか。

清流のような人。そしてその清流に住まう若あゆのような、とてもきはいいのだけれど、きれいな水じゃないと生きていけないみたいなイメージかな。そしてご存じのようにすばらしい歌人ですよね。彼の編纂へんさんした『金槐和歌集』を買って読んでいるのですが、本当にすてきな歌がたくさんある。正岡子規が「柿本人麻呂のあとは実朝だ」というくらい評価をしていたというのも知って、「なるほどな」と思いました。実朝はとてもいろんなものが見えていて、わかってしまうがゆえに、あまり心を開かない。愛情も深いですから、人の痛みを見て見ぬふりできない優しさがあって、さらに品もありますよね。康信としては、頼家をうまく導いてあげられなかったという後悔を実朝に注ぎたいと思っています。

康信はそんな実朝に和歌を教える立場ですね。

脚本家いわく「康信は基本的には歌の才能はない人」らしいです。でも、第33回にあった実朝に和歌を教えるシーンは楽しかったです。まだ柿澤くんになる前の、嶺岸煌桜みねぎしきあらくんとのシーンですね。政子さんから、「あるとき寝ようとしたら雨が降りはじめて、あの子はのきの雨だれを一晩中寝ずに眺めていたらしい。だからあの子はとてもいい歌を詠むのではないかと思っている。和歌を教えてあげられますか?」と言われて先生になったので、教えるときに「タタタタタ」というリズムを、実朝の目を見ながら、雨だれが落ちてくるようにやってみました。煌桜くんがすごく真剣に聞いてくれて、深い目をしてくれたことが印象に残っているシーンです。「ほら、あのときの雨だれを思い出して」という思いを込めてみました。

康信は粛清の多い鎌倉幕府をどのように感じ、どう立ち回ろうとしているのでしょうか。

『方丈記』などを読んでみると、当時はさまざまな天災があったり疫病が流行はやったりしていて、京の街にも多くの遺体が放置されているような厳しい状況だったそうです。それを目の当たりにしていた康信は、「朝廷はちゃんと政治をしているのか」というような葛藤を抱いて苦悩し、そんな中で頼朝に希望の光を見つけたのではないか思います。そして、康信は鎌倉へ下向したわけですが、鎌倉は京とは違い、“しきたりなんてどうでもよくて、生身の人間がいっぱいいる”という印象ですね。まずびっくりしたのは、坂東武者たちの声のデカさ(笑)! 京に愛想を尽かした人間からするとすごく輝いては見えるのですけれど、まぁ荒っぽくて、「すごいところに来ちゃったな」と康信自身もきっと思ったことでしょう。
でも、鎌倉に初めて来たのは第19回だったのですけれど、そこで康信が言っているんですよ。「いさかいの仲裁は得意中の得意。精いっぱい努めます」って。これが康信のキーワードだと思っています。なるべく争う双方の話を聞いて、そのうえで負けるほうに「理屈的にしょうがない。こっちが正しいよ。なんとかおさめてくれ」となだめる。大事ですよね。そういった立ち回りも京で学んできたと思います。ドラマの描写にもあるように、文字が書けたり読めたりするスキルを持った文官の人たちは貴重な存在です。康信としては、鎌倉幕府が繁栄していくために必要な力として日々奮闘しています。

放送されているドラマを見た印象はいかがですか。

史実としてどのようなことが起こったのかを知ってはいても、現代を生きる私たちには想像がつかないことが多いじゃないですか。それをテンポよく、すごくリアルな人間関係のうえで描いているのがすごいなと感じます。自分は三谷さんの作品が大好きですが、今回は特に見事ですよね。あんまり褒め過ぎるのも良くないかもだけど…(笑)。片岡愛之助さんが演じられた三郎(北条宗時)の「平家をぶっ潰すぜ!」など話題になるセリフも多くて、「大河ドラマを現代語でやられたら…」というご意見が一定数あるのはわかるのですけれど、だからこそ時代劇なのに登場する人物たちみんなを等身大に感じるんですよね。しかも、おそらく欠点のない人はいなくて、みんないい面もあるし、しょうもない面もある。これがまた三谷作品のおもしろい要素のひとつではないでしょうか。そういう等身大の人物たちが争う姿を見ているからこそ、ちょっとメンタルが追いつかないというかね…。きっと三善康信も、あとでそれをどうにか消化し、回復しないといけないのだけれど、消化が追いつかないような感じで日々生活していたんじゃないかなぁと思ったりもしています。実は机に「三善康信 法名善信ぜんしん 御仏みほとけと共に前進」という、まぁちょっとシャレですけど(笑)、標語をつくって貼ったりしているんです。「どんなことがあっても必ず前に進むんだ。生きていくために戦い、御仏と共に前進」ということを、坂東武者から学んでいるのかなと感じるので。そんなこともドラマを見ながら、また、演じながら思っています。

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