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HISTORY 2022.08.14

『吾妻鏡』 ~第31回より~

脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第31回で描かれた主なエピソードをご紹介します。

建仁3年(1203)7月20日条

源頼家が急に病にかかりました。苦痛はただごとではないほどだったようです。

建仁3年(1203)7月25日条

源仲章の使者が京から鎌倉に到着。去る16日に在京御家人を動員し、阿野全成の息子・頼全を誅殺したことが伝えられました。

建仁3年(1203)8月27日条

源頼家の病状が危険な状態となり、関西三十八カ国の地頭職を弟・千幡(のちの源実朝)に、関東二十八カ国の地頭、および、そう守護職を長男・一幡に譲与する配置が行われました。

建仁3年(1203)8月27日条

頼家の弟・千幡と長男・一幡への分割譲与の話を聞いた比企能員は、ひそかに立腹し、恨みを抱いたようです。

建仁3年(1203)9月2日条

北条時政の使者が比企能員のもとを訪れ、「さまざまな事柄を話し合いたい」という時政の意向を伝えました。これに対し能員は、「武装した郎党を引き連れて向かうべき」という息子らの忠告を制し、丸腰で時政のもとへ向かいました。

建仁3年(1203)9月2日条

郎党2人、雑色5人というわずかな供を連れて北条時政の館を訪れた比企能員が、仁田忠常らによって誅殺されました。

建仁3年(1203)9月2日条

逃げ帰った従者から比企能員が討たれたことを告げられた比企一党は、館に立て籠もり、攻め寄せる義時らの軍勢を迎え撃ちました。死を恐れず奮戦した比企一党ですが、軍勢の勢いには対抗できず、館に火を放ち滅亡しました。

建仁3年(1203)9月5日条

源頼家の病気が少し回復し、かろうじて命を長らえました。

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