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HISTORY 2022.07.31

『吾妻鏡』 ~第29回より~

脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第29回で描かれた主なエピソードをご紹介します。

正治2年(1200)1月20日条

三浦義村御家人たちの追撃により、梶原景時景季親子らが討ち取られました。

正治2年(1200)1月23日条

三浦義澄が亡くなりました。享年74。

正治2年(1200)4月9日条

4月1日に北条時政遠江守に任じられ、従五位下に叙されました。これを伝える除書(除目の結果を伝える書類)が、9日に届きました。

正治2年(1200)5月28日条

陸奥国葛岡郡の新熊野社いまくまのしゃの僧が所領の境を巡り争っているため、惣地頭である畠山重忠が裁きを求めました。

正治2年(1200)5月28日条

源頼家は新熊野社の僧が進上してきた境の絵図を確認すると、自ら筆を取って絵図の中央に線を引きました。そして、「所領の広い狭いは運による。今後、所領問題についてはこのように裁断する」と申し付けました。

建仁元年(1201)9月22日条

北条時連らが集まり、源頼家による蹴鞠しゅうきく会がまた行われました。ちなみにこの月は、11日、15日、20日にも蹴鞠が行われています。

建仁元年(1201)9月22日条

たびたび蹴鞠を行う源頼家に疑問を抱き、頼時が共に頼家の近習を務める中野能成に「8月に台風によって鶴岡八幡宮の門が倒壊し、国は飢饉にうれえています。このような時に、いまのなされようはどうなのか」と相談しました。

建仁元年(1201)10月6日条

伊豆国北条に下向した頼時が、5日に到着。頼時は8月の台風被害などによる食糧不足と、借りた米の債務に苦しむ百姓たちを憂い、証文を焼き捨てました。また、食事と酒を提供し、一人当たり一斗の米を配布しました。

建仁2年(1202)8月2日条

京から鎌倉に使者が到着し、先月7月22日に源頼家が従二位に叙され、征夷大将軍に補任されたと伝えました。

建仁2年(1202)8月23日条

泰時三浦義村の娘()と結婚しました。

建仁2年(1202)12月19日条

源頼家のお供をしていた平知康が古井戸に落ちました。幸い命は助かったようです。

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