HISTORY 2022.06.19
脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第24回で描かれた主なエピソードをご紹介します。
源範頼が起請文を書き、兄・頼朝へ献上しました。これは範頼が謀反を企てていると頼朝が聞き及び、尋ねられたためです。
大江広元を介して弟・範頼の起請文を確認した源頼朝は、「名に源の字を載せている。これは一族であるという主張であり、忠義から外れた過分な考えであるため、この起請文は偽りだ」と断じたそうです。
源範頼が伊豆に下向しました。帰参の時期は定められておらず、配流であったようです。
岡崎義実が出家しました。
源頼朝の甥おいにあたる一条高能が京から下向し、鎌倉に到着しました。
大姫が一条高能に嫁ぐように内々に計っていた政子ですが、大姫は決して承諾することはなく、そのようなことになれば入水じゅすいすると語ったそうです。
源頼朝は、御台所の政子や子供である大姫、頼家と一緒に京へ向けて出発しました。
源頼朝が御台所の政子や子供である大姫、頼家らと共に入京しました。
東大寺の再建に多額の支援をした源頼朝。東大寺の大仏を鋳造した宋(現在の中国)の技匠・陳和卿に会うことを望みましたが、陳和卿は「多くの人命を絶ち、罪業の深い頼朝に会うことはできない」と固辞したそうです。
源頼朝の招きに応じて六波羅の御亭を訪れた丹後局が、政子、大姫と対面しました。頼朝は丹後局に砂金200両をはじめとした贈り物をしたようです。
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