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HISTORY 2022.06.19

『吾妻鏡』 ~第24回より~

脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第24回で描かれた主なエピソードをご紹介します。

建久4年(1193)8月2日条

源範頼が起請文を書き、兄・頼朝へ献上しました。これは範頼が謀反を企てていると頼朝が聞き及び、尋ねられたためです。

建久4年(1193)8月2日条

大江広元を介して弟・範頼の起請文を確認した源頼朝は、「名に源の字を載せている。これは一族であるという主張であり、忠義から外れた過分な考えであるため、この起請文は偽りだ」と断じたそうです。

建久4年(1193)8月17日条

源範頼伊豆に下向しました。帰参の時期は定められておらず、配流であったようです。

建久4年(1193)8月24日条

岡崎義実が出家しました。

建久5年(1194)8月14日条

源頼朝おいにあたる一条高能が京から下向し、鎌倉に到着しました。

建久5年(1194)8月18日条

大姫一条高能に嫁ぐように内々に計っていた政子ですが、大姫は決して承諾することはなく、そのようなことになれば入水じゅすいすると語ったそうです。

建久6年(1195)2月14日条

源頼朝は、御台所政子や子供である大姫頼家と一緒に京へ向けて出発しました。

建久6年(1195)3月4日条

源頼朝御台所政子や子供である大姫頼家らと共に入京しました。

建久6年(1195)3月13日条

東大寺の再建に多額の支援をした源頼朝。東大寺の大仏を鋳造した宋(現在の中国)の技匠・陳和卿に会うことを望みましたが、陳和卿は「多くの人命を絶ち、罪業の深い頼朝に会うことはできない」と固辞したそうです。

建久6年(1195)3月29日条

源頼朝の招きに応じて六波羅の御亭を訪れた丹後局が、政子大姫と対面しました。頼朝丹後局に砂金200両をはじめとした贈り物をしたようです。

残念ながら、建久7年(1196)~建久10年(1199)1月までの記事は欠落しています。

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