HISTORY 2022.05.15
脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第19回で描かれた主なエピソードをご紹介します。
去る8月28日に小除目こじもくによって多くの源氏が朝恩を賜り、源義経が伊予守の官職を得ました。これは、去る4月に朝廷に行っていた申請が受け入れられた結果のようです。
平治の乱で命を落とした源頼朝の父・義朝と、従者の鎌田正清の首が鎌倉に到着。頼朝は、片瀬川辺りで文覚の門弟が首に掛けて奉っていた遺骨を受け取り、御所へと帰ったようです。
土佐坊昌俊が60余騎の軍士を引き連れて、源義経の宿所を襲撃。義経はわずかな家人とともに自ら門戸を開いて戦い、昌俊を退けました。
土佐坊昌俊による源義経の宿所への襲撃を知った源行家は、義経のもとに駆けつけました。
源義経の求めに応じ、後白河法皇が源頼朝追討の宣旨を出しました。
源義経、源行家を討伐するため、源頼朝が京へ向けて鎌倉を出発しました。
源義経、源行家が再起を図るため京を離れ、西海へと向かいました。
この日、後白河法皇から源義経、源行家の両人を探し出して捕らえるようにという院宣が出されました。
この日、北条時政が京へ入り、源義経、源行家の反逆について源頼朝が不満を感じていることを後白河法皇に細かく申し入れました。
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