特集

HISTORY 2022.04.24

『吾妻鏡』 ~第16回より~

脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第16回で描かれた主なエピソードをご紹介します。

寿永3年(1184)1月20日条

源頼朝御使おつかいとして、範頼義経が数万騎を率いて入京。範頼は勢多(現在の滋賀県大津市)から入京し、義経は宇治(現在の京都府宇治市)から入京し、義仲軍と対峙たいじしました。

寿永3年(1184)1月20日条

勢多・宇治の両道から迫る鎌倉軍に対し、義仲は側近の今井兼平をはじめとする武士たちを派遣して防戦。しかし、すべて敗北しました。

寿永3年(1184)1月20日条

近江国粟津(現在の滋賀県大津市粟津町)付近で、相模国の住人・石田次郎により木曽義仲が誅殺されました。

寿永3年(1184)1月27日条

鎌倉に飛脚がぞくぞく到着し、去る1月20日の合戦の結果、木曽義仲を誅殺したことが知らされました。中でも梶原景時の報告はすばらしく、討ち取った人々や捕虜の名簿が付けられていたため、頼朝が感心したようです。

寿永3年(1184)2月4日条

平家はこのころ、摂津国播磨国の境にある一ノ谷(現在の兵庫県神戸市須磨区)に城郭を構えていました。この日は、平清盛の三回忌を迎え、仏事を行っていたそうです。

寿永3年(1184)2月5日条

とりこく(午後5時~7時)、源範頼義経摂津国に到着。7日のこく(午前5時~7時)をもって矢合わせの時と決定しました。

寿永3年(1184)2月7日条

源義経は特に勇敢な武士70余騎を選んで引き連れ、とらこく(午前3時~5時)に一ノ谷の後ろの山=鵯越ひよどりごえに到着しました。

寿永3年(1184)2月7日条

源義経が勇士を率いて、シカやイノシシなどしか通ることができないほどに険しい鵯越から攻撃。これに平家は慌てふためき、敗走しました。

特集

新着の特集をご紹介します