HISTORY 2022.04.24
『吾妻鏡』 ~第16回より~
寿永3年(1184)1月27日条
鎌倉に飛脚がぞくぞく到着し、去る1月20日の合戦の結果、木曽義仲を誅殺したことが知らされました。中でも梶原景時の報告はすばらしく、討ち取った人々や捕虜の名簿が付けられていたため、頼朝が感心したようです。


寿永3年(1184)2月7日条
源義経は特に勇敢な武士70余騎を選んで引き連れ、寅の剋(午前3時~5時)に一ノ谷の後ろの山=鵯越に到着しました。


寿永3年(1184)2月7日条

源義経が勇士を率いて、シカやイノシシなどしか通ることができないほどに険しい鵯越から攻撃。これに平家は慌てふためき、敗走しました。