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HISTORY 2022.03.20

『吾妻鏡』 ~第11回より~

脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第11回で描かれた主なエピソードをご紹介します。

治承4年(1180)11月17日条

和田義盛侍所別当に補任されました。これは、8月の石橋山の戦いのあと安房国へ向かった際に義盛がこの職を望み、許諾されていたためです。

治承4年(1180)12月11日条

平清盛が五男・重衡を園城寺に派遣し、寺の衆徒しゅうとと戦わせました。これは、以仁王の乱の際に園城寺の僧侶が以仁王にくみし、平家と敵対したからです。翌12日、園城寺は焼失しました。

治承4年(1180)12月12日条

鎌倉に源頼朝が暮らす新たな御所(大倉御所)が完成しました。

治承4年(1180)12月12日条

源頼朝が大倉御所に入ると、御家人たちが侍所に参上。頼朝を鎌倉のあるじと認め、主従の契りを交わしました。

治承4年(1180)12月28日条

平清盛の五男・重衡が南都を焼き払い、東大寺、興福寺の堂塔をはじめ、仏像や経論が灰となりました。

治承5年(1181)1月11日条

梶原景時が初めて源頼朝の御前に参上しました。頼朝景時のことを非常に気に入ったそうです。

治承5年(1181)閏2月4日条

平清盛が亡くなりました。自らの死に際し清盛は、葬儀や仏事をどのように行うのかだけではなく、子孫らはひたすら東国を帰服させる計略を立てて実行せよ、と遺言を残したそうです。

治承5年(1181)3月10日条

源行家義円が墨俣川に陣を張り、平清盛の五男・重衡率いる平家軍と対峙たいじしました。しかし、平家軍の前に敗れ、義円は討ち取られました。

養和2年(1182)2月14日条

政子が懐妊し、源頼朝の嫡男誕生の期待が膨らむ中、三浦義澄に預けられていた伊東祐親が自害しました。御所にいた義澄は走って館に戻りましたが、その時にはすでに死体は片付けられていたそうです。

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