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HISTORY 2022.01.30

『吾妻鏡』 ~第4回より~

脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第4回で描かれた主なエピソードをご紹介します。

治承4年(1180)7月10日条


山内首藤経俊に合流を呼びかけるため、使者として向かった安達盛長ですが、「呼びかけに応じないばかりか、さんざん悪口を言われた」と報告しています。

治承4年(1180)8月6日条


源頼朝は占いを行わせ、山木兼隆攻めの日時を「17日寅卯とらうこく(午前3時~7時)」に決めました。

治承4年(1180)8月6日条


源頼朝土肥実平岡崎義実らを一人ずつ人気のない部屋に呼び、「今まで口に出して言わなかったが、お前だけが頼りだ!」と丁寧に声をかけました。ちなみに、工藤茂光佐々木盛綱頼朝から声をかけられています。

治承4年(1180)8月17日条


佐々木定綱経高盛綱高綱の兄弟4人がひつじこく(午後1時~3時)に北条に到着。源頼朝は感動の涙を浮かべながら「お前たちが遅れたから、けさ合戦することができなかった」と声をかけました。

治承4年(1180)8月17日条


祭りでにぎわう牛鍬大路うしくわおおじを避け、蛭嶋ひるがしま通りを進むことを進言する北条時政。これに対し、源頼朝は「大事を始めるのに裏道を使うことはできない」と却下し、合戦ではまず火を放つように命じました。

治承4年(1180)8月17日条


堤館に到着した源頼朝の郎党たち。味方が館の後ろに回り込むと、佐々木秀義の次男・経高が前庭へと進み、矢を放ちました。「これ源家げんけの平氏を征する最前の一箭也いっせんなり」と記されています。

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