HISTORY 2022.01.30
脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。第4回で描かれた主なエピソードをご紹介します。
山内首藤経俊に合流を呼びかけるため、使者として向かった安達盛長ですが、「呼びかけに応じないばかりか、さんざん悪口を言われた」と報告しています。
源頼朝は占いを行わせ、山木兼隆攻めの日時を「17日寅卯とらうの剋こく(午前3時~7時)」に決めました。
源頼朝は土肥実平、岡崎義実らを一人ずつ人気のない部屋に呼び、「今まで口に出して言わなかったが、お前だけが頼りだ!」と丁寧に声をかけました。ちなみに、工藤茂光、佐々木盛綱も頼朝から声をかけられています。
佐々木定綱・経高・盛綱・高綱の兄弟4人が未ひつじの剋こく(午後1時~3時)に北条に到着。源頼朝は感動の涙を浮かべながら「お前たちが遅れたから、けさ合戦することができなかった」と声をかけました。
祭りでにぎわう牛鍬大路うしくわおおじを避け、蛭嶋ひるがしま通りを進むことを進言する北条時政。これに対し、源頼朝は「大事を始めるのに裏道を使うことはできない」と却下し、合戦ではまず火を放つように命じました。
堤館に到着した源頼朝の郎党たち。味方が館の後ろに回り込むと、佐々木秀義の次男・経高が前庭へと進み、矢を放ちました。「是これ、源家げんけの平氏を征する最前の一箭也いっせんなり」と記されています。
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