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HISTORY 2022.01.09

源頼朝が「佐殿」と呼ばれるのはなぜ?

北条義時をはじめ坂東武者から「佐殿」と呼ばれる源頼朝。これは平治元年(1159)の平治の乱に際し、頼朝右兵衛権佐うひょうえのごんのすけという官位に就いたことに由来します。官位は「官職」と「位階」の組み合わせです。

「官職」は行政機関の役職!?

右兵衛権佐を分解すると、「右兵衛」「権」「佐」の3つに分けられます。まず「右兵衛」は、役所の名前です。都の行政組織に「兵衛府」という宮門の警護や行幸・行啓の供奉などを担当する役所が左右2府あり、頼朝はそのひとつである右兵衛府に配属されました。ちなみに、「右」よりも「左」のほうが上位になります。次に「佐」は、階級です。兵衛府の場合は4段階あり、佐は次官にあたります。そして最後に「権」は、仮、ないし副という意味です。右兵衛権佐とは、「兵衛府に配属された次官心得」と例えると、わかりやすいでしょうか。

「位階」は貴族の序列!?

「位階」は最上位の「正一位」から最下位の「少初位下」まで全部で30段階あり、数字がより小さいほど上位、「従」よりも「正」が上位、「下」よりも「上」が上位、というように制定されていました。頼朝が就いた右兵衛権佐は、従五位下に相当します。天皇の住まいである内裏清涼殿の殿上間に昇ることを許されるのは基本的に五位以上の位階が必要とされるなど、朝廷からさまざまな特権が与えられており、まさに「貴族」の入り口に立ったといえます。

平治の乱に敗れて流人となった頼朝は右兵衛権佐を解任されているので、第1回で描かれた安元元年(1175)時点ではその地位にありません。しかし地方の坂東武者からすれば、都で高い地位にあった別格の存在であり、敬意を込めて「佐殿」と呼んでいました。

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