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COLUMN 2022.06.12

教えて! 風俗考証・佐多芳彦さん

~再現! 巻狩り&矢口祝い 後編② 巻狩りの衣装~

文献資料『阿蘇下野狩あそしもののかり史料』を参考とし、映像化された巻狩り矢口祝いについて、風俗考証・佐多芳彦先生に伺いました。

狩りをする御家人たちの扮装ふんそうの特徴を教えてください。

彼らはいわゆる狩装束を身にまとっています。写真の左に笠をかぶっている武者がいますが、これがフル装備です。折烏帽子おりえぼしの上に綾藺笠あやいがさという笠をかぶっていて、ふつうの直垂ひたたれ姿なんですけれど、片手に小手こてを付け、はかまの上から行縢むかばきを履いています。そして、矢の入ったえびらという容器と弓を所持。これが典型的な狩装束です。

流鏑馬やぶさめの際の扮装との違いはありますか?

流鏑馬などでもまったく同じ格好をします。この狩装束が、鎌倉武士たちにとっての狩猟の際の典型的な姿です。

腰あたりにぶら下げている丸いものは何でしょうか?

これは弦巻つるまきといって、弓の弦のスペアを入れたものです。弦は濡れると弱くなりますし、結構切れやすいんですよ。なので、必ず弦巻に予備の弦を入れていつも持ち歩いています。

だから、みんな弦巻をぶら下げているんですね。

はい。ちなみに弦巻は箙とセットなので、持ち運ぶ際には箙とひとくくりにしてあります。ただ、弦巻は左の腰のほうに持ってきたほうが使いやすいので、箙から離して左の腰のほうにぶら下げることのほうが多かったようです。

この時代も刀は2本差しなのでしょうか?

そうですね。腰刀という小さな刀と、太刀たちという大きな刀の2本が、標準的な武士の装備になり、古くから大小、2種類の刀剣が存在していたことが正倉院の宝物や奈良時代の史料からも確認できます。ただ、朝廷の人たちは太刀だけを持っていたことが多かったようですね。写真の腰刀をご覧いただければわかると思いますが、つばがなくて、わりと細身なんですよね。

そういえば、腰刀には鍔がないですね。

はい。これはおそらく武士だけではなく猟師や農民たちも同じだったと思いますが、腰刀がサバイバルナイフのような位置づけで日々の生活道具として活用されていたからだと思います。『粉河寺縁起絵巻こかわでらえんぎえまき』という和歌山県にある粉河寺の縁起を描いた平安末期の古い絵巻物を見ると、右の腰の後ろに腰刀を差している人物が描かれているんですよね。だから腰刀というのは、もともとはふだん使いの小さな刃物で、それが護身用として発展したのだろうと推測します。

ちなみに、いつごろから腰刀にも鍔が付くようになったのでしょうか?

狩った獲物をさばいたり、野菜を切ったりする際に鍔は必要ありませんから、腰刀に鍔が付くようになるのは、明らかに兵器となってからです。ですので、室町時代くらいだと考えられます。戦国時代以後でも、格式を重んじる人たちは鍔のない腰刀を持ちたがっていたようですが。
腰刀と太刀の写真をもう一度ご覧いただくと、2つが別のこしらえで、デザインが違うことがわかると思います。当時の武士のほとんどがそうだったと思いますが、これは腰刀と太刀を別々に手に入れたことを表しています。「大小拵え」という言葉がありますが、2本を同じ仕様でそろえたほうが良いという価値観が生まれるのは、戦国時代から近世にかけてのことです。ですから、鎌倉時代から室町時代の始めくらいまでは、2本差しという概念ではないかもしれませんね。

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