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COLUMN 2022.06.05

教えて! 仏教美術考証・塩澤寛樹さん

~再現!平安末期から鎌倉初期の仏像 後編~

第21回の願成就院がんじょうじゅいんの仏像について教えてください。まず、こちらは阿弥陀如来あみだにょらいですよね。

はい、阿弥陀如来です。

これまでの観音菩薩とは違いCGになりますが、どのような点に注意をして再現をされたのでしょうか?

現存している願成就院の阿弥陀如来像は、指の先をはじめいくつか欠けてしまっているところがあるので、それを補い、色も再現しています。一番難しかったのは、お顔の目の周りの部分ですね。時期はわからないのですが、実はある時点で像が倒れて破損してしまい、修復されたのが今のお顔なんです。ですから、目の周りを含めて表情というか、お顔の想像復元をするのが一番難しいところでした。

どのように想像復元をされたのでしょうか?

願成就院の阿弥陀如来像は運慶の作品ですが、この像と近い時期に運慶が制作し、お顔の表情がちゃんと当初のものだと分かる像がありますので、それらを参考にしました。

運慶の作った仏像には、どのような特徴があるのでしょうか?

前編で、鎌倉時代になると、本当にそこに生きているような、非常にたくましくて力強い表現が好まれたというお話をさせていただきましたが、これがまさに運慶の作品の特徴です。圧倒的な重量感を持ちながらも身体からだが強く引き締まっているので、重たくないけどたくましく力強い。例えるなら、もう現役は引退されていますが全盛期の横綱・貴乃花のような肉体で、筋肉質です。だから本当に厚みもあり奥行きもあるのですが、決して鈍重ではないんですよね。そして、表情も力強い。この像は目も、人間の目の構造と非常によく似た玉眼ぎょくがんという構造を採用しているので、本当に生きているかのようなお顔になることが多いんですよ。

源頼朝や北条時政をはじめ、当時の人たちは多くの寺院を建立こんりゅうし仏像を制作していますが、どのような思いがあったのでしょうか?

東大寺の大仏も聖武天皇が個人的に信仰していたからできたのではなくて、国家守護のような形で作られました。これは奈良時代からそうなのですが、当時は国家と仏教とが一体となって発展していく、「王法=政治」と「仏法=釈迦が説いた教え」が相携えて発展するのであり、どちらかが欠けてはダメだというように考えられていたんです。だから、権力者が寺院を建立するというのは、個人の信仰もありますけど、政治的でもあり、社会にとっても大切な意味を持っていたのだと思います。

風俗考証の佐多芳彦さんにお話を伺った際に、当時は「末法の時代」だと教えていただきました。「末法の時代」になって仏像にも変化が起こったのでしょうか?

末法の時代では、仏教の発展にたくさん貢献すると、それによって極楽に行けると考えられていました。ですから、寺院の建立や仏像の制作には、「私はこんなに立派なものをたくさん作って仏教の発展にこんなに尽くしたんだ」という個人的な動機もあったようですね。末法の時代は、自力で悟ることはできないとされていましたので、阿弥陀如来に救ってもらわなきゃいけないと。

なるほど。死後の世界で極楽に行けるように願いを込めて、阿弥陀如来が一番多く作られたんですね。

はい。阿弥陀如来が断然多くなったのは、そういう意味があるみたいですね。

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