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COLUMN 2022.06.05

教えて! 仏教美術考証・塩澤寛樹さん

~再現!平安末期から鎌倉初期の仏像 前編~

仏教美術考証のお仕事とは、どのような内容でしょうか?

例えば、これまでの放送で源頼朝が仏像に対して礼拝するシーンが何度かありましたが、このときに映っている仏像は美術スタッフがゼロから制作したものです。

ゼロから制作しているんですね。

そうなんです。それで、描かれるシーンの時代や状況などに合わせて、私のほうでモデルとなる資料を探して美術スタッフにお渡ししています。データを取れると簡単なんですけれど、そういうわけにもいかないので、なるべく写真を多角的に集めるように心がけています。それから制作過程では、修正などのアドバイスをさせていただいています。

なるほど! では、実際にドラマ内で登場した仏像についてお聞かせください。まず、第1回で頼朝が祈っていた仏像ですが、これは観音菩薩かんのんぼさつですか?

観音菩薩です。

当時、一番多く作られた仏像は観音菩薩なのでしょうか?

平安後期から鎌倉初期において、一番多く作られたのは阿弥陀如来あみだにょらいだと思います。

では、なぜ観音菩薩なのでしょうか?

頼朝は二寸(約6㎝)の正観音しょうかんのん像を念持仏ねんじぶつとしていたことが『吾妻鏡』に記されており、観音菩薩を信仰していたことが明らかなので、観音菩薩が選ばれました。大きさは個人が身近に置く像なので、比較的小さいものを想定しています。また頼朝は、流罪となるまでは京に住んでいましたから、この仏像は京で手に入れ、伊豆に持ってきたという想定です。光背がないのは、途中で壊れてしまったという想定ですね。

この観音菩薩には、どのようなコンセプトがあるのでしょうか?

平安末期から鎌倉初期というのは、仏像が大きく変わっていく時期でもあるんです。平安時代は、優しいというか穏やかな表現が好まれました。それが鎌倉時代になると、内側から水晶板をはめ込む玉眼ぎょくがんという技法が普及するという技法上の変化も関係するんですけれど、本当にそこに生きているような、非常にたくましくて力強い表現が好まれるようになっていくんですね。この観音菩薩は、頼朝が流罪になる前に京で手に入れたという想定ですから、平安時代に好まれた穏やかな仏像を制作しています。

頼朝がもとどりにも入れていたミニ観音菩薩には、どのようなコンセプトがあるのでしょうか?

髻観音とも呼ばれている像で、先ほどの二寸の正観音菩薩像です。元の像は残っていないので、どんな像だったかは分かりません。そこで、実はすごく古い7~8世紀のスタイルをマネて作ってみました。古くて小さいものを頼朝が手に入れていて、大事に持っていたということがあってもいいかなと。史料には何も書かれていないので、少し想像を膨らませてみました(笑)。

7~8世紀の仏像には、どのような特徴があるのでしょうか?

ちょっとかわいらしい感じに仕上がっていますよね。眠ったような雰囲気というか、目鼻立ちもあまりぱっちりしていなくて、全体的なプロポーションもちょっと頭でっかちで子どもの体形みたいな感じ。7世紀後半には、そんなタイプの像が一つの流行だったんです。

第11回で頼朝が祈っていた観音菩薩には、どのようなこだわりがあるのでしょうか?

これはお顔が少ししっかりというか、膨らみが強くてちょっと強い感じになっていますよね。平安から鎌倉へという時代の変わり目を意識しました。鎌倉時代らしいものというのは頼朝が鎌倉に入ってしばらくしてから、北条時政が願成就院がんじょうじゅいん建立こんりゅうするくらいの時期にならないと出てこないんです。なのでこの観音菩薩は、まだそこまでたどりついていない、過渡期的な感じのものを作りました。

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