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COLUMN 2022.03.20

教えて! 風俗考証・佐多芳彦さん

~当時の陰陽や占いはどのくらいスゴい?~

第7回で全成が風を起こそうとして失敗しましたが、当時の人は陰陽おんみょうや占いなどをどのくらい信じていたのでしょうか?

“どこまで信じていたのか”というのは、わかりません(笑)。ただ、陰陽や占いは民間信仰レベルで広がっていたと思います。例えば陰陽師と呼ばれる人たちが、結構それで生活しているわけですよね。「鎌倉殿の13人」で描く時代よりも前になりますが、有名な安倍晴明は朝廷の陰陽寮という役所に所属している正式な役人なわけです。で、オフの日に貴族から声がかかったりすると行っちゃうわけですよ、副業かな。おそらくですが、陰陽寮出身の人たちや係累の人たちが陰陽や占いを行い、それが広がっていったのだと思います。職人尽絵しょくにんづくしえなんかを見ていると、お坊さんの姿をして占いをする人などがチラホラと出てくるので、民間の占い師であるとか、民間の占いっていうのは当時かなり普及していたんだと思いますね。

現代と同じように「運気」を占ったりしていたんですよね?

そうですね。ほかにも“引っ越しに日がいいか”とか、“家の向きはどっち向きがいいか”とか、そういう占いは結構やっていましたね。

呪詛じゅそのような呪いも当時はよく行われていたのでしょうか?

民間信仰ではあったといわれていますね。人の憎しみはたぶん時代を超えると思うんですけど(笑)、このころは時代の問題もあるんですよ。末法まっぽうの時代というのが1052年にあって、そのあとの世の中は暗いんです。戦も火事も強盗も、みんな末法だからだっていう考え方が当時の人々の心中にはあるんですよ。

末法とは何でしょう?

末法とは、「すえ」の「法」と書くんですけど、仏の力が全くなくなってしまう絶望的な時代がくるという仏教の宗教観でしょうか。1052年にそんな時代に入ったと信じられ、「鎌倉殿の13人」で描く時代はその社会的不安の真っただ中だったわけですね。世の中がそういう世相になっちゃっているんですよ。だから占いや呪詛のようなものに、みんながすがるっていうんですかね。社会不安の中で、そういうものが“もてはやされる”面はあったと思います。

平家の横暴も、平家の起こすことも、たぶん当時の人々は「これはやっぱり仏が力を失った末法の世の中だからだ」と思っていた。後白河法皇がつくった今様いまようの歌謡集『梁塵秘抄りょうじんひしょう』の中にも、「極楽歌」のような「自分も死んだら極楽に行きたいよ」っていう歌がたくさんあるんですよ。やっぱりそれを見ると、平安末期から鎌倉初期というのは、実はものすごくどんよりとした嫌な時代だったんだろうなと思いますよね。

だからこそ頼朝は信仰心があつく、よく祈っているのですか?

そうですね。頼朝自身や周囲の人々に仏の加護がありますように、とか、民衆の不安を取り除きたいというのもあるでしょう。人々は民衆の不安を取り除く人を信じますよね。たぶんそういう行動が「この人は神仏を大切にする人だ」と映り、御家人たちも変わっていったということもあったのではないでしょうか。「自分たちもそうしなきゃな」って思うでしょうし。頼朝にとって祈ることは、国づくりのひとつの指針だったのかもしれません。

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