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COLUMN 2022.01.30

教えて! 風俗考証・佐多芳彦さん

~烏帽子って、ずっとかぶっているの?~

烏帽子えぼしについて教えてください。

まず貴族たちは、「立烏帽子たてえぼし」が日常着の際のスタンダードなかぶり物です。そのうえで、武士たちはそれよりも格が低い、身分が低いわけなので、その一家の頭領は「立烏帽子」、それ以外はちょっと畳んだ「折烏帽子おりえぼし」とか「侍烏帽子さむらいえぼし」をかぶるという史実に即した設定にしています。なぜ「折烏帽子」かというと、畳んであるところにもとどりをぎゅっと中に入れている。つまり、ちょっと動きが激しくても烏帽子が取れないんです。馬に乗ったり戦に行ったりする際は、さらにそこにひもをかけます。「頂頭掛ちょうずがけ」というんですけど、ひもをかけて顎の下で結び、烏帽子を固定するわけですね。でも、一家の主人はそこまで動きが激しくないわけなので、貴族と同じ「立烏帽子」をかぶるということにしています。

元服からずっと烏帽子を取ることがないんですよね?

はい、烏帽子をずっとかぶっています。ようは“頭の頭頂部を人前にさらす”ということが恥ずかしいことだったんです。たぶん、その文化は貴族方で昔につくられたものなんでしょうけど、それが武士たちにも浸透してるんですね。だからかぶり物を必ずかぶらなきゃいけないって彼らも思っているわけです。それで烏帽子をかぶっています。

それはいつからなのでしょうか?

平安時代に入ってすぐくらいには、もう烏帽子は庶民もかぶっていたでしょうし、武士たちは基本的にかぶっていただろうなぁって思いますね。ただやっぱり烏帽子ってね、都とか、都に関係するところとか、朝廷側の人たちのほうのかぶり物であって、本当の田舎でどれだけ普及していたのかっていうのは…別の問題だろうなと思います(笑)。

なるほど。この烏帽子なんですが、かぶとをかぶる際はどうしていたのですか?

かぶっています。「鎌倉殿の13人」では2種類試していて、ひとつは烏帽子の上に兜をかぶるパターン。この場合は、兜の上に大きな穴が空いていて、そこに烏帽子の端っこと髻の上のところがちょこっと出っぱっている感じになるんですね。それからもうひとつは、烏帽子を髻の上からひもで結んであるパターンです。この場合は、結んだひもの余りがかぶった兜から出ているわけですね。

兜に烏帽子用の穴みたいなものがあるってことですか?

そうです。そういうことなんです。

本当に烏帽子を取らないんですね(笑)。

取らないですね。もうまず取らないです。だからかさをかぶっている際も、その下にかぶっているわけですよ、彼らは烏帽子を。流鏑馬やぶさめをやる際の笠、ありますよね? あれ、綾藺笠あやいがさっていいますけど、この際もちゃんと侍烏帽子をかぶっています。

そんなに大事なんですね、烏帽子。

そうですね。もし人前で烏帽子が風などで飛んだり、落馬して烏帽子が取れちゃったりするのはものすごい恥ずかしいことで、しばらく人前に出てこられないほどです。

でも、風が強かったらピンチじゃないですか。台風の際とか、ムリなのでは…。

なので、ひもで結んで烏帽子を固定しています。だからそう簡単には取れないんですよ。

こういう習慣っていうのは、もともと朝廷側でつくられたものなんです。武士たちはそれに刺激されていたわけですよね。だからそれを受け入れちゃってるんですけど、やっぱり月日を重ねると「なんでそんなことをする必要があるんだ」って思う武士たちが出てくるわけです。「別に理由なんてないじゃんか」って。「烏帽子かぶってないほうが楽だろ」って。それが戦国時代です。だから大河ドラマ「真田丸」では、武士だろうがなんだろうが、朝廷に行くなどの格式のある公式な場を除いて、髻を露出してますよね。後世の武士たちが「やっぱりおかしいじゃんこれ」って言って、これまでの習慣をやめちゃったのがあのスタイルです。

なるほど。肖像画になりますが、武田信玄は烏帽子をかぶっていて、織田信長は烏帽子をかぶっていませんね。

あれはね、やっぱり世代を感じますね。武田信玄像であるとか、折烏帽子をかぶっている肖像画は、だいたい下に着ているのが直垂ひたたれの系統なんですよ。肖像画とは供養像が多いのですが、烏帽子と直垂の組み合わせがフォーマルだというのが当たり前だと思っている世代は正装で描かれるわけです。だけど、信長みたいに常識をちょっと逸脱しだした世代においては、肩衣かたぎぬのほうが彼らにとってのフォーマルな部分があるんですね。だからかぶり物はもうかぶらないし、肩衣の場合も基本的に烏帽子はかぶらないことになっている。合理的に着やすい方向へ変わっていったってことですよね。この辺りは結構、やっかいなんです(笑)。

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