1993年9月、イスラエルのラビン首相とPLO=パレスチナ解放機構のアラファト議長が、アメリカ・ホワイトハウスで、クリントン大統領立ち合いのもと、「パレスチナ暫定自治合意」に調印して30年となります。歴史的とされたこの和平合意は、敵対していたイスラエルとPLOが相互承認し、和平交渉を重ね、平和的に共存することを目標としてきました。ところが、その後、双方とも和平に反対する勢力が台頭し、暴力の応酬が繰り返され、和平実現への歩みは途絶えてしまいました。中東で最も重要で、解決が難しいとされてきたパレスチナ問題。その解決を阻む要因と、この地域の将来がどうなるのかを、双方の専門家へのインタビューを通して読み解きます。
スタジオには、出川展恒解説委員です。
Q1:
出川さんは、イスラエルとパレスチナの和平プロセスをその始まりから取材してきたんですよね。
A1:
はい。この和平合意をきっかけに、NHKはエルサレムの支局を開設し、私は、初代の特派員として赴任したのですが、自分の在任中にパレスチナ国家の樹立と和平の実現を報告したいと強く期待していました。
しかし、30年後の今、和平の将来に希望を見いだせないというのが、率直な印象です。パレスチナ暫定自治合意は、ノルウェーのオスロでの秘密交渉を経て成立したことから、通称「オスロ合意」とも呼ばれますが、イスラエル側、パレスチナ側ともに、専門家たちが、「オスロ合意は死んだ」と述べているのです。
▼ヨシ・アルファー氏(イスラエル人専門家・和平交渉に貢献)
「オスロ合意から30周年なんて、もう誰も口にしない。この合意はすでに死んでしまったから」。
▼ガッサン・ハティブ氏(パレスチナ人専門家・ビルゼイト大学副学長)
「オスロ合意が結ばれた30年前、パレスチナ人はこれで問題が解決すると、大きな期待を抱いたが、今は、とてつもなく失望している」
Q2:
この合意は、和平実現への道のりをどう描いていたのですか。
A2:
敵対していたイスラエルとパレスチナ解放機構が相互に承認し、イスラエルが占領していたガザ地区とヨルダン川西岸地区で、パレスチナ人の暫定自治をスタートさせる一方、双方が和平交渉を重ね、パレスチナ問題の最終的な解決を図ることになっていました。双方の境界線、聖地エルサレムの帰属、パレスチナ難民の扱いなどを交渉で決めるプロセスです。明示はされていませんが、パレスチナの独立国家を樹立して、イスラエルと平和共存させること、すなわち、「2国家共存」が、最終目標とされていたのです。
Q3:
実際は、どうなったのですか。
A3:
パレスチナ暫定自治は始まったものの、イスラエルとの和平に反対するイスラム主義組織「ハマス」などが、自爆テロなどを繰り返しました。イスラエルでも、95年、和平の立役者ラビン首相が、占領地からの撤退に反対する過激派のユダヤ教徒に暗殺されました。2000年には、アメリカの仲介で、イスラエルとパレスチナの首脳どうしの交渉が行われましたが、合意に至りませんでした。そして、パレスチナ側の抗議行動が、双方の暴力の応酬に発展し、4千人を超える犠牲者が出ました。パレスチナ側では、ハマスが勢力をのばし、選挙で勝利。ガザ地区を武力で支配し、暫定自治政府と対立、パレスチナは分裂します。イスラエル側では、右派勢力が政権を握り、入植地の拡大を加速させ、パレスチナ側との往来を断つ分離壁を建設。去年暮れには、極右政党が主要ポストを握る政権が発足しました。和平交渉は、この9年間、全く行われていません。
実は、パレスチナ暫定自治が行われているのは、ヨルダン川西岸地区の40%程度だけで、残る60%程度は、イスラエル軍の占領が続いています。
Q4:
双方の専門家とも、オスロ合意は死んだと述べているのは、どういう理由からですか。
A4:
まず、パレスチナ側は、この合意を結んだ後も、イスラエルが入植地の拡大を続けたため、領土が失われ、パレスチナ国家の樹立が不可能になったと指摘します。
▼ガッサン・ハティブ氏(パレスチナ人専門家)
「パレスチナ指導部にとって最大の誤りは、オスロ合意締結の際、イスラエルに入植地拡大の停止を約束させなかったことだ。入植地拡大が和平を死に追いやった」。
これに対し、イスラエル側は、パレスチナの指導者アラファト議長の行動が、和平に不可欠な信頼関係を失わせたと指摘します。
▼ヨシ・アルファー氏(イスラエル人専門家)
「パレスチナ側の自爆テロ攻撃が、イスラエル人の彼らに対する認識を根本的に変えた。アラファト議長は、イスラエルにテロの恐怖を与えれば優位に立てると信じていたようだ」。
そして、双方ともに、「2国家共存」も、和平合意の立て直しも、もはや不可能だと見ています。
Q5:
もし、その通りだとすれば、イスラエルとパレスチナの将来はどうなるのでしょうか。
A5:
双方の専門家とも、「2国家共存」が実現しなければ、パレスチナ問題は永遠に解決しないと指摘します。パレスチナ国家をつくれなければ、イスラエルという1つの国の中で、ユダヤ人とパレスチナ人、2つの民族が暮らすことになる。ユダヤ人がパレスチナ人を差別し、隷属させて、かつての南アフリカのような「アパルトヘイト」の国となってしまうと予測しています。「民主的なユダヤ人国家」とされてきたイスラエルの建国の理念とは、かけ離れた状況となります。
▼ガッサン・ハティブ氏(パレスチナ人専門家)
「ユダヤ人とアラブ人が1つの国で暮らせば、必ず差別が起きる。人種差別に基づく『1国家の現実だ』」
Q6:
パレスチナ・イスラエルともに、深刻な内部対立も抱えていますね。
A6:
はい。パレスチナ側では、アッバス議長率いる暫定自治政府への信頼が失墜しています。イスラエルの占領や封鎖を終わらせることができず、失業問題が深刻で、基本的な物資も不足しています。ハマスとの分裂状態が17年も続いて、この間、選挙も行われず、汚職もまん延しています。現在87歳のアッバス議長、後継者がどうなるかも不透明です。
一方、イスラエル側では、極右や宗教勢力が参加したネタニヤフ連立政権が、司法府の権限を弱めるための法律の導入を進めています。最高裁判所の決定を、議会が過半数の賛成で覆せることなどを内容とし、野党、法律家、市民、経済界などから、三権分立や民主主義を損なうものだなどと強い反対の声が上がり、大規模な抗議デモや集会が続いています。軍の予備役が、抗議のため、招集に応じない姿勢を示すなど、前代未聞の事態です。
▼ロン・ベンイシャイ氏 (イスラエルの高名なジャーナリスト)
「イスラエルが建国以来経験する最大の危機だ。どういう結末が待っているか予測できず、とても心配だ」。
ベンイシャイ氏は、「最悪の場合、内戦が起きる恐れもあり、何としても避けなければならない」と話していました。
Q7:
30年間、和平プロセスを取材してきて、パレスチナ問題の解決がむしろ遠のいてしまった現状をどう見ていますか。
A7:
本当に残念でなりません。
私は、「2国家共存」以外に解決の道はないと思いますが、世論調査を見ますと、イスラエル、パレスチナともに、「2国家共存」の目標を支持すると答えた人の割合が減少を続け、3分の1程度まで下がっています。インタビューで紹介した双方の専門家など、和平の実現に熱心だった人たちも、希望を失いかけています。
しかし、パレスチナ問題を未解決のまま放置すれば、さまざまな紛争の火種となります。
たとえば、イランとイスラエルが激しく敵対し、軍事衝突のおそれが取りざたされているのも、もとをたどれば、イスラエルがパレスチナの占領を続けていることが背景にあります。
「パレスチナ暫定自治合意」を立て直すことは、もはや不可能だとすれば、それに代わる、新たな和平の枠組みが必要です。双方のリーダー、および、有権者の意識を刷新してゆくことが必要で、互いの信頼醸成をどう図ってゆくかが問われていると思います。
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