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ドイツ政府転覆計画の衝撃 背景と目的は?

二村 伸  専門解説委員

ドイツで国家の転覆と独自の政府の樹立を企てていた疑いで現職の裁判官を含む25人が逮捕され、大きな衝撃を与えました。民主国家ドイツでなぜ?また誰が何の目的で国家転覆をはかったのか、戦後ドイツの歩みを否定する動きの背景を探ります。

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Q.政情が安定していると見られたドイツで政府転覆の企てには驚きましたね。

21世紀の今ドイツ連邦共和国の存在を否定し、新たな国家を建設しようとすること自体荒唐無稽で現実離れしているとしか思えませんが、アメリカでトランプ前大統領とその支持者が選挙結果を受け入れず議会を襲撃したことを考えれば決してありえないことではないのかもしれませんね。

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ドイツは第二次世界大戦後東西に分割され、東側の市民は社会主義体制下で自由を奪われ、統一後も西側との格差は解消されていません。さらに新型コロナの流行やロシアのウクライナ侵攻により物価が高騰し政府への不満も強まっています。そうした状況が既存の体制を否定する勢力を勢いづかせたといえるのではないでしょうか。

Q.計画が実行される前に発覚したのはどんなことがきっかけだったのでしょうか。

今年4月に起きた保健相誘拐未遂事件の捜査の過程で、暴力的な手段によって政権を転覆させる計画が発覚しました。当時はコロナ規制に反対する集団と見られていましたが、武装してクリスマスまでに連邦議会議事堂を襲撃し、議員たちの両手を縛って人質に取り、政権を転覆させる計画だったことがわかりました。
そこで治安部隊や警察官など3000人を投入し、ドイツだけでなくオ―ストリアやイタリアを含めて130か所以上を一斉捜索し、容疑者52人のうち25人を逮捕、武器などを押収しました。拘束する予定だった政治家のリストも見つかりました。これほどの大掛かりな捜索はかつてなかったことで、現地の新聞は「戦後最大の急襲」「右翼のクーデターを阻止」などと伝えました。

Q.逮捕されたのはどんな人たちですか。

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多くは極右や戦後のドイツ国家を否定する「ライヒスビュルガー」、「帝国市民」と呼ばれる勢力のメンバーです。ライヒスビュルガーはビスマルク時代のドイツ帝国を祖国と見なし第二次世界大戦後の体制を否定しています。独自のパスポートや免許証を発行し、税金や交通違反などの罰金の支払いを拒んできました。これまでは変わり者の集団と見られてきましたが年々過激化し2016年には武器の不法所持を取り締まろうとした警察官を殺害する事件を起こしました。マスクの着用やワクチン接種に反対し、おととし議会に乱入しようとしたデモ隊の中にもメンバーが含まれていました。

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フェーザー内相は去年メンバーが去年2000人増えて2万3000人となり脅威が増していると警告し、もはや「無害の変わり者ではなく、テロの容疑者だ」と述べています。メンバーらは世界がディープステート、闇の政府に支配されているというアメリカに端を発するQアノンの陰謀論を信じています。陰謀論はSNSを通じてドイツにも広がり、極右やライヒスビュルガーの活動に大きく影響していると見られます。

Q.主犯格とみられている人物は貴族の出身ですね。

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ハインリヒ13世です。神聖ローマ帝国の時代から今のドイツ東部チューリンゲン地方を支配したロイス家の末裔で71歳、戦後没収された資産を取り戻そうと裁判を続けたもののうまくいかず政府に恨みを抱いていたといわれます。3年前には「ドイツは主権国家ではなく国連のライセンスを受けた民間会社にすぎない」と述べていました。13世とはいっても一族の男性にはみなハインリヒの名前が付けられ存命中のハインリヒは30人ほどいるそうです。13世は陰謀論を信じ反ユダヤ主義の危険な人物として一族は距離を置いていたということです。13世とともに逮捕されたロシア人女性はロシア政府にドイツ国家転覆の支援をあおごうとしていたと伝えられています。

Q.現職の裁判官も逮捕されましたね。

右翼のポピュリスト政党「ドイツのための選択肢」に所属する58歳のマルザック=ヴィンケマン元連邦議会議員です。ベルリン地方裁判所の判事をつとめ極右思想を理由に2か月前ベルリン政府から退任を迫られたものの十分な証拠がないとして現職にとどまっていました。新しい国家では法務大臣になる予定だったといわれます。連邦議会の内部を知る議員が議会襲撃計画に関わっていたことは政府にとってショックで警備体制の強化が喫緊の課題となっています。

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ドイツ軍の特殊部隊の元兵士や現役兵士、それに警察官もテロ組織結成の疑いで逮捕されました。軍事組織を立ち上げ連邦議会襲撃のために資材の調達や射撃訓練なども行っていたと見られています。治安当局は一斉捜索までに「ライヒスビュルガー」のメンバー1000人以上から武器を押収していましたが、それ以外に少なくても500人が銃の所有許可を持っている可能性があり、逮捕者はさらに増える可能性があります。

Q.ロシアのウクライナ侵攻は出口が見えず物価の高騰が続くだけに、こうした危険な動きは今後も見られるのではないでしょうか。

ショルツ首相は、今回の事件を受けて「事件は未然に防がれ、ドイツの民主主義が揺らぐことはない」と強調しました。しかし、ウクライナ危機によってエネルギーの供給不安や物価の高騰が続き、政府への不満が強まっているだけに今後も同様の事件が起こらない保証はありません。

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最新の世論調査ではショルツ政権に満足していないと答えた人が68%に達し発足以来最悪となりました。さらにショルツ首相の社会民主党の支持率は野党キリスト教民主社会同盟に10ポイント前後の差をつけられ低迷しています。一方で、ドイツのための選択肢は15%前後に上り、極右やポピュリスト政党が国民の不満の受け皿となってさらに支持を広げる可能性もあります。ドイツはウクライナから逃れて来た人たちを積極的に受け入れてきましたが、受け入れに反対する声も上がり始め、10月には避難民の一時滞在施設で放火とみられる火災が起きました。また今回逮捕された多くが50歳以上で、ある程度社会的な地位にある人や公務員などが含まれていたことに懸念を抱く人も少なくありません。

Q.陰謀論者はアメリカはじめ多くの国で存在するだけにドイツだけの問題ではないですね。

ヨーロッパでもイタリアやスウェーデンで極右やポピュリスト政党が選挙で躍進し右派政権が発足しました。フランスでも極右政党が一定の支持を得ています。既存の政党が退潮し、SNSを通じて極右が台頭したり陰謀論が広がったりする傾向は多くの国に見られます。日本にとっても対岸の火事ではありません。かつてのオウム真理教による事件とも共通点があります。民主主義を揺るがす深刻な問題として陰謀論や修正主義に流されることのないよう危機感をもって歴史や現在の社会のあり方に向き合うことが重要だと思います。


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