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正義を貫いた日系人政治家ノーマン・ミネタ氏の生涯

出石 直  解説委員

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アジア系アメリカ人として初めて連邦政府の閣僚となり、商務長官や運輸長官を歴任したノーマン・ヨシオ・ミネタ氏が先月、亡くなりました。90歳でした。

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ミネタ氏は少年時代を日系人の強制収容所で過ごし、2001年の同時多発テロ事件では運輸長官として事件の対応にあたったことで知られています。
差別や偏見と闘った信念の政治家の生涯を3年前にミネタ氏にインタビューした出石 直(いでいし・ただし)解説委員とともにお伝えします。

Q1、ミネタ氏とはどこでインタビューしたのですか?

A1、アメリカ西部ワイオミング州のコーディという町でお会いしました。
当時は少し足が不自由でしたがとてもお元気で、2時間ほどインタビューしました。この町から車で30分ほどの荒野には、太平洋戦争中、ハートマウンテンという日系人の強制収容所がありました。カリフォルニア州のサンノゼ生まれのミネタ氏はここで少年時代を過ごしています。

(ミネタ氏)
「11月のことでした。風がとても強くて、巻き上げられた砂が顔に当たりました。我々はカリフォルニアに住んでいたので薄手の服しかなくとても寒かったのを覚えています。経験したことのない寒さでした」

(ミネタ氏)
「収容所の周囲には鉄条網が張り巡らされ、サーチライトとマシンガンを備えた軍の監視塔があって、誰も逃げることはできなかったのです」

ミネタ氏はここで家族とともに3年近くにわたって不自由な生活を強いられたのです。

Q2、日系人というだけで強制収容所に送られたのですね。

A2、その通りです。当時はドイツやイタリアもアメリカと戦争をしていましたが、大規模な強制収容が行われたのは日系人に対してだけでした。しかも強制収容された日系人の3分の2は、ミネタ氏のようなアメリカ生まれでアメリカの市民権をもつアメリカ人でした。

(ミネタ氏)
「正式な告訴も裁判もなく、ただ真珠湾を攻撃したパイロットと同じような顔をしているという理由だけで、12万人もの日系人が強制収容所に送られたのです」

戦後、ミネタ氏は故郷に戻り、地元サンノゼ市の市議会議員や市長を経て民主党の下院議員となります。そしてほかの日系人議員とともに強制収容の真相究明と補償の実現に尽力しました。1988年になって当時のレーガン大統領は、アメリカ政府として初めて過ちを認め謝罪し、収容を経験した人にひとりあたり2万ドルの補償金が支払われました。

(レーガン大統領)
「真珠湾攻撃の後、12万人の日系人が強制的に住む家から追われ収容所に入れられました。日系人に対する強制収容は過ちであったことを認めねばなりません」

Q3、1988年、ずいぶんと時間がかかったのですね。

A3、日系人の多くは、戦後、アメリカ社会に溶け込むことを優先して自らの経験を積極的に語ろうとはしませんでした。ミネタ氏ら日系人政治家の努力なしに謝罪と補償を得ることは難しかったと思います。

ミネタ氏は下院議員を20年務めた後、クリントン政権で商務長官に抜擢されます。アジア系では初めての閣僚でした。さらに共和党のブッシュ政権でも運輸長官に就任、党派を超えた抜擢は大きな話題となりました。

その年の9月、ハイジャックされた旅客機が世界貿易センタービルなどに突っ込み3000人近くが犠牲になった同時多発テロ事件が発生しました。

(ミネタ氏)
「初めて報告を受けた時、テロ対策担当の補佐官から大統領危機管理センターに行くように言われました。場所を知らなかったので、シークレットサービスがホワイトハウスの地下室まで案内してくれました」

空の安全を担う運輸長官としてミネタ氏は事件の対応に追われます。

(ミネタ氏)
「早急な対応が求められ、すべての航空機を着陸させるよう指示しました」

国際テロ組織「アルカイダ」によるテロ攻撃にアメリカ社会は大きな衝撃を受けました。空の安全を守るため、イスラム系や中東系の乗客に対する搭乗前の安全検査を厳重にすべきだという世論が高まりました。しかしミネタ運輸長官は人種や宗教を理由に安全検査を厳しくすることに断固として反対します。

(ミネタ氏)
「真珠湾攻撃をしたパイロットと似ているというだけで我々を強制収容したことが過ちであったと同様に、中東系やイスラム系だという理由で航空機への搭乗を禁止することなどできるはずがありません」

Q4、強制収容された経験が、イスラム系住民への差別を防いだのですね。

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A4、その通りです。安全検査はすべての人に対し平等に行われることになりました。正義を貫いたミネタ氏の行動は党派を超えて高く評価され、2006年にはアメリカでもっとも権威のある大統領自由勲章を受章しています。

ミネタ氏が少年時代を過ごしたハートマウンテン強制収容所の跡には、毎年7月になると強制収容を経験した日系人やその家族らが「巡礼」と称して訪れ、当時の記憶を語り合う催しが開催されています。政界を引退した後もミネタ氏は、毎年のようにこの地を訪問し、少年時代の自らの経験を語り継いでいました。

(ミネタ氏)
「この場所を後世に残したいのです。あのようなことが二度と再び起きないようにするためのシンボルにしたいのです」 

Q5、「場所」を残す、大切なことですね。

A5、収容所の跡地で開かれていた巡礼は、新型コロナウイルスの感染拡大のため、去年とおととしは中止となり、ミネタ氏がこの地を訪れたのは私がお会いした3年前が最後になりました。この間、アメリカではアジア系の人々が「チャイナウイルス」などと揶揄され暴力や嫌がらせを受ける被害が相次ぎました。ウクライナ侵攻ではロシア系の人達を排斥する動きが世界各地で起きています。
少年時代に強制収容を経験し差別や偏見と闘って正義を貫いたノーマン・ミネタ氏の生き様は、今を生きる私達にもたくさんのことを教えてくれているように思います。

(出石 直 解説委員)


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