南アフリカでネルソン・マンデラ氏とともにアパルトヘイト・人種隔離政策の撤廃に貢献した2人の人物が去年、相次いで亡くなりました。11月、マンデラ氏釈放に踏み切った白人政権最後の大統領、フレデリック・デクラーク氏が死去。その翌月には聖職者として差別の撤廃を訴え続けたデズモンド・ツツ元大主教が亡くなりました。ともにノーベル平和賞の受賞者です。
「南アフリカの良心」と呼ばれたツツ氏は数多くの名言を遺しました。
We grow in kindness when our kindness is tested. -Desmond Tutu-
「優しさが試されるときこそ優しさが成長する」
あらためてツツ氏の言葉に耳を傾けます。
南アフリカでは30年ほど前まで少数派の白人が国を支配し、黒人は政治参加をはじめ居住や教育、就労などあらゆる自由を奪われ人間として最低限の権利すら認められませんでした。デクラーク氏は既得権益を失うことに多くの白人が反対する中、アパルトヘイトの撤廃に踏み切りました。その背景には国際社会による制裁で経済が行き詰っていたことがありますが、白人政権に圧力をかけるよう世界に求め続けたのがツツ氏です。
人口の80%を占める黒人は国土の13%のやせた土地に押し込められ、白人が住む地域に出稼ぎを強いられました。街中では乗り物もレストランもトイレも別々でした。白人政府は体制維持のためにマンデラ氏ら活動家をいっせいに逮捕、収監しましたが、ツツ氏は非暴力主義を貫き、対話による解決を求めました。それはツツ氏の言葉にもあらわれています。
●平和のためなら自分が敵だと思っている人たちとも進んで話し合っていかなければならないということですね。今の国際社会の状況にお通じる言葉のように思います。
ツツ氏はどんな人だったのでしょうか?
よく笑い、よく泣き、よく踊った人でした。茶目っ気がある一方で、歯に衣着せぬ物言いが印象に残っています。
1931年に貧しい家庭に生まれたツツ氏は果物売りなどをしながら教師になりましたが、黒人の教育を制限する法律ができたことがきっかけで聖職者に転じ、1986年にイギリス国教会を母体とする南アフリカ聖公会の最高位であるケープタウン大主教に黒人として初めて就任しました。黒人を嫌う白人に対してこのように述べています。
白人と黒人は1つの家族としてともに生きることができるとも述べました。
●弾圧されながらも白人との共存をめざしたのですね。
アフリカでは植民地支配から脱して独立したものの白人を追放した結果、国の再建に失敗した国が少なくありません。そうした中で人種間の融和を訴え続けたツツ氏にマンデラ氏も影響を受けたのだと思います。
1990年2月11日、マンデラ氏がケープタウン郊外の刑務所から釈放され、27年におよぶ獄中生活を終えました。翌朝、世界中から集まった報道陣の前にマンデラ氏とツツ氏が笑顔で姿を見せ、釈放後最初の記者会見が行われました。この席でマンデラ氏は白人への恨みをいっさい口にせず、共存をめざす姿勢を打ち出しました。
1994年、初めて黒人も含むすべての人種が参加する選挙が行われ、マンデラ氏が大統領に就任しました。新生南アフリカがめざしたのは様々な人種や文化、言語からなる「虹の国」。ツツ氏が長年求め続けたものでした。
●マンデラ大統領のもとで始まった新しい国づくりでツツ氏はどのような役割を担ったのでしょうか?
ラマポーザ大統領は、マンデラ氏が民主主義の父ならツツ氏は新生南アフリカの精神的な父だったと述べています。
ツツ氏はアパルトヘイト時代の人権侵害の実態を解明する真実和解委員会の委員長に任命されました。ときには被害者の証言に涙を流し、罪を赦すことと和解の重要性を訴えました。
つらい過去は過去として受け止め、復讐ではなく相手を赦すことで過去に縛られず新たな人生を踏み出すことができる。赦しがなければ未来がないとも述べています。
ツツ氏はその後も少数派や抑圧される人々の側に立ち、世界に声を発し続けました。
完全な権利を得るまで妥協しない姿勢を示したものです。
性的マイノリティーの人たちにも深い理解を示し、同性愛者に冷ややかだった教会を強く批判しました。
権威に屈せず、世界の指導者たちにもはっきりとモノを言い続けました。一方で、世界各地の紛争や人権など諸問題の解決につとめ、人種や宗教を問わず市井の人々に手を差しのべました。常に弱い立場の人々に寄り添い続けました。
パレスチナの状況をかつての南アフリカのアパルトヘイトと同じだと心を痛めました。
私も中東を取材していてなぜ南アフリカのように共存への道を歩もうとしないのかと常に思ったものです。ツツ氏は「南アフリカにあって中東に欠けているのは平和を見通すことができる知恵のある指導者だ」と述べています。イスラエルにマンデラ氏やツツ氏、それにデクラーク氏がいれば状況は変わったかもしれません。
ツツ氏の言葉は日本の私たちも考えさせられるものが数多くあります。
今の社会にも通じるのではないでしょうか。たとえばいじめを傍観するのは中立ではなくいじめる側に立っているのと同じだということではないでしょうか。
●不当なことを前に沈黙してはならない。身に染みる言葉ですね。
アパルトヘイト時代に黒人は抑圧され絶望の淵にいました。世界では今も紛争が絶えず、コロナ禍で富める人と貧しい人の格差がますます広がり、食べることにも困っている人が大勢います。そうしたときだからこそ希望を持ち続けることが大切です。赦しと和解、他者への思いやりを訴え続けたツツ氏の言葉をあらためて噛みしめたいと思います。
(二村 伸 解説委員)
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