アフガニスタンの伝統音楽を奏でる女性オーケストラ「ゾーラ」。
アフガニスタンの自由と女性の活躍を象徴する存在として海外でも評判を呼んできました。
ところが今年8月、イスラム主義のタリバンが権力を掌握。
身の危険を感じたオーケストラのメンバーをはじめ音楽家たちはいっせいに国外に脱出しました。
アフガニスタンの音楽、そして伝統文化を守るすべはあるのでしょうか。
Q.どんなオーケストラなのですか?
国立音楽学校に所属するアフガニスタン唯一の女性オーケストラで5年前に結成されました。13歳から20歳までの女性30人あまりが民族楽器を使って伝統音楽とクラシックを融合させた美しい旋律を奏でます。2017年にスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラムで公演して評判になり、その後もロンドンの大英博物館やシドニーのオペラハウスなど世界各地でアフガニスタンの伝統音楽を紹介してきました。
Q.そのオーケストラがなぜ国外に脱出せざるをえなかったのですか?
タリバンが音楽を有害だと見なしているからです。イスラム教の聖典コーランでは音楽を禁止するようなことまでは書かれていませんが、タリバンは1996年から2001年まで政権を握っていた間、音楽と娯楽を禁止し、宗教的なもの以外街中から音楽が消えました。
それから20年たった今年8月タリバンが再び首都カブールを制圧したときオーケストラと音楽学校の生徒、教師は祖国を離れる決断を下しました。音楽学校はタリバンに接収され、残されていた楽器も壊されてしまいました。メンバーたちはアメリカの議員やチェリストのヨーヨー・マ、ピアニスト・指揮者のバレンボイムといった世界の音楽家の支援でようやく10月国外に脱出することができました。
先月16日、最後のメンバーがカタールのドーハに到着。ゾーラを含む学校の生徒・教師と家族あわせて272人が再会を果たしました。男性は音楽学校を設立したアフマド・サルマスト氏。2008年に逃れていたオーストラリアから祖国に戻り、伝統音楽の復興と音楽家の育成にあたってきました。サルマスト氏にオンラインで話を聞きました。「タリバンの抑圧から逃れて自由になり再び夢を見ることができる。生徒たちと再会し、どれほど安堵したことでしょう。生徒たちには自由の意味や自由を得るために人々がどれほど尽くしてきたか話しました。アフガニスタンの音楽を継承する責任の重さについても話しました」。国外で再会を果たしたときの思いをこう話していました。
Q.音楽は続けられるのでしょうか?
オーケストラと音楽学校の生徒たちは10月に避難先のカタールで久しぶりにステージに立ちました。今後はポルトガルに活動の拠点を移すことにしており、早ければ来週にも現地に向かい新たな生活を始めます。サルマスト氏は、「音楽は社会と文化的生活の重要な一部であり今後も変わりません。アフガニスタンの人々が世界の人々と同じように音楽の癒しの力と経済力の恩恵を受けられるようにすべきであり、子どもたちは精神の発達と記憶力の向上に役立つ音楽の恩恵を受けるべきです」と話しています。
Q.音楽も娯楽もない生活は想像できないですね。
20年前の2001年、アメリカは同時多発テロ事件の首謀者オサマ・ビン・ラディンらのメンバー引き渡しを拒んだタリバンを攻撃し政権を崩壊させました。その瞬間をカブールで取材していましたが、大勢の市民が街頭に出て踊ったりラジオから流れる音楽に耳を傾けたりする姿が今も印象に残っています。タリバン政権下で禁止されていた凧揚げも復活し、町のあちこちで凧揚げを楽しむ人の姿が見られました。こうしたのどかな光景はもはや見られません。女性の映画監督や作家、芸術家、さらには女性アスリートなど数百人が次々と祖国を離れました。
Q.優秀な人材が次々と国外に逃れるのはアフガニスタンにとって大きな損失ですね。また、国に残っても女性は教育や就労が制限されれば希望は持てませんよね。
女子高校は一部の州を除き休校したままです。大学も私立の学校で男女をカーテンで仕切って授業が行われていますが、公立の大学ではまだ女子学生が授業を受けることができない状態です。暫定政権のアフンド首相代行は先月27日、女子にも義務教育が必要だとして、女子も中学高校に通うことができるとの見解を示しましたが、どこまで教育の機会が認められるかは不透明です。
アフガニスタンでは2001年以降、国際社会の支援により学校の数は3倍に増え、児童生徒、学生は2001年の100万人から2018年には1000万人に増え、女子はほぼゼロから400万人にまで増えました。女性の識字率も上昇しました。タリバン復活でこれまでの努力が水泡に帰してしまうのではないかと懸念されていますが、最大の問題は財政の破綻です。タリバン復活後アフガニスタンが海外に保有していた国家資産が凍結され、IMFなどの資金援助も止まったため、教員に給与を払えず戦闘で破壊された学校の修復も困難です。
Q.日本の私たちはどのような貢献ができるのでしょうか。
日本はアフガニスタンで地道な支援を続け評価されてきました。自ら重機を操縦して用水路を建設し、砂漠を緑に変えた中村哲医師は今も多くの人に総計されています。銃弾に倒れてから今月4日でまる2年、その遺志を継いで人々に寄り添った地道な支援を続けることが重要だと思います。インタビューの最後にサルマスト氏は「音楽教育の継続と伝統音楽の継承のために助けてほしい。音楽家たちは非常に厳しい状況です。生徒たちは楽器を必要としています」と述べ、日本を始め国際社会に支援を求めました。
文化はいったん失われるともとに戻すのは難しいだけに早急に支援が必要です。
こうした声にこたえるためにも国にまかせきりではなく民間や個人でもできることがたくさんあります。現地で何が起きているのかを知り、NGOを通じた支援などできる範囲の支援をしていくことが大切だと思います。
(二村 伸 解説委員)
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