NHK 解説委員室

これまでの解説記事

韓国 言論仲裁法の波紋

池畑 修平  解説委員

韓国で進む、ある法律の改革の動きが、韓国国内のみならず、国際的にも物議を醸しています。
世界的に問題になっているフェイクニュース対策が掲げられたものですが、実際には報道の自由を損ねるのではないかと懸念されているのです。

i210922_00.jpg

Q1)
問題となっているのはどういう法律ですか?

i210922_01.jpg

A1)
名前は「言論仲裁法」です。
韓国では、「言論」というとメディアを指すことが多いです。
この「言論仲裁法」も、メディアで事実でないことを伝えられて悪影響を受けた人や団体を救済する措置などを定めたものです。

i210922_02.jpg

これを、ムン・ジェイン(文在寅)大統領を支える与党「共に民主党」が一部変えることを目指していて、先月(8月)、国会で本格的な審議が始まりました。
どう変更したいのか、ポイントは、メディアに対する罰則の強化です。
報道機関による「故意」あるいは「重い過失」による虚偽の報道、事実をねじ曲げた報道によって、不利益を被った被害者は、メディアに対して最大で被害額の5倍の賠償を訴訟で請求できるというものです。

Q2)
法案のターゲットとなっているのは報道機関ということですが、フェイクニュース対策というのが狙いなのですよね?

A2)
与党側は一貫してそう説明していています。
確かに、最近、主にSNSを通じて事実でない主張や陰謀論が拡散して世界各地で深刻な問題も起きていますよね。
例えば、アメリカ大統領選挙をめぐるトランプ氏の支持者たちの暴走。
あるいは日本でもみられる、新型コロナウイルスのワクチンをめぐる虚偽の情報。
与党側は、そうした現代の新たな問題に対処するのは急務だとしています。
しかし、こうした説明に、野党やメディアは納得していません。
改革案の内容は「報道や表現の自由を脅かす」として非常に強く反発しています。
先月(8月)中旬、韓国国会の委員会では、保守系の野党議員たちが「言論弾圧を与党は撤回しろ!」とか、「ここはピョンヤンか?!」などと叫びながら与党側に抗議しました。

Q3)
「ここはピョンヤンか?!」ですか…

A3)
与党側の改正案では、北朝鮮並みのメディア統制になりかねないという主張ですね。
野党やメディアが反発している大きな理由は、賠償の対象となる「故意・重大な過失による」虚偽報道などの部分です。
何をもって故意あるいは重大な過失とするのか、判断の基準がはっきりしません。
また、賠償請求をされたメディアが自らを守ろうとするなら、「事実を曲げようとの意図はなかった」と自ら立証する責任を負うことになるのですが、「なかったものはない」をどう立証するのか、イメージしにくいですよね。
情報源の秘匿という問題もあります。

Q4)
確かに、判断の基準がはっきりしないというのは危険ですね・・・。

A4)
野党やメディアが不審を募らせるのは、もう一つ理由があります。
先ほど紹介したように、トランプ支持者や新型コロナウイルスのワクチンの例など、フェイクニュースはもっぱらSNSや投稿サイトを通じて拡散していますよね。
実は、「言論仲裁法」改正の動きも、当初は主に動画投稿サイトを被害者救済の対象にあげていたのです。
それが、ことし4月にソウルとプサン(釜山)の市長選挙で与党候補が惨敗を喫すると、対象がメディアに切り替えられたのです。
与党は、両市長選での敗因のひとつは、政権に批判的な保守系メディアが、ムン大統領の側近であったチョ・グク(曺国)元法相のスキャンダルを叩き、支持基盤であった若い有権者たちの間で失望感が広がったためだとみています。
それだけに、メディア側からみれば、「言論仲裁法」改正の突然のターゲット変更は、政治的な思惑があると映るのです。

Q5)
政治的な思惑といえば、韓国では来年3月に大統領選挙を控えていますね?

A5)
その通りです。
今のままでは大統領選挙でも勝てないと焦りを募らせた与党が、なりふり構わずメディアの抑え込みへと舵を切ったものだという見方が広がっています。

i210922_03.jpg

韓国記者協会は、「概念が不明瞭で恣意的に解釈され、メディアを簡単に統制できる道を開いている」と批判する声明を出しています。
国際的にも懸念が出ています。
「国境なき記者団」は、「メディアを圧迫する道具として使われる可能性がある」として回を求めました。

i210922_04.jpg

さらには、国連で言論と表現の自由を担当するアイリーン・カーン特別報告者は、この法改正について、「このまま成立した場合、情報や表現の自由を深刻に制限しかねない」として懸念を表明し、国際的な人権水準に見合うよう韓国政府に見直しを求めました。

Q6)
そうした批判に韓国政府はどう対応しているのでしょうか?

A6)
韓国政府は今月(9月)8日づけで国連人権高等弁務官事務所に書簡を送り、「表現の自由を保護するために努力する」と回答しました。
しかし、具体的にどう努力するのか、言及はありませんでした。

i210922_05.jpg

何より気になるのは、ムン・ジェイン大統領がこの法改正をめぐる物議について、「国会で議論する案件」として静観を決め込んでいることです。
大統領は、先月、韓国記者協会へのメッセージで、「言論の自由は民主主義の柱」と述べてはいます。
しかし、別の場では「悪意ある虚偽報道による被害者保護も極めて重要だ」とも述べて、結局、「言論仲裁法」の変更に関する賛否を明らかにしていません。
それは、自らの手を汚すことなく、黙認という形で変更を推し進めようとしているように映ります。
少し歴史を振り返りますと、韓国は1980年代半ばまで続いた軍事政権のもと、メディアは政権にコントロールされ、言論の自由は厳しく制限されました。
ムン・ジェイン氏も、民主化を求めて軍事政権に立ち向かった一人です。
そこまで遡らなくても、パク・クネ(朴槿恵)前政権が倒れてムン政権が誕生したこと自体、前大統領のスキャンダルを暴いたメディアの一連の報道が極めて大きな役割を果たしました。
ムン大統領が法の変更を黙認するのは、「自分たちに批判的な保守派をメディアが叩くのは大いにやってもらいたいが、自分たち革新派を批判するのは許さない」というダブルスタンダードだとみなされても仕方ありません。
法の改革案は9月中にも韓国国会の本会議にかけられる見通しです。
韓国で報道の自由が損なわれる事態となるのか、国は違えど、私は、同じメディアの一員として、非常に気になっています。

(池畑 修平 解説委員)


この委員の記事一覧はこちら

池畑 修平  解説委員

こちらもオススメ!