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アメリカの政権移行と緊張高まる中東

出川 展恒  解説委員

アメリカの中東政策について考えます。アメリカでは、先の大統領選挙で勝利を宣言した民主党のバイデン前副大統領が、「イラン核合意」への復帰を主張するなど、トランプ政権の中東政策を根本的に見直す構えです。イランの核開発計画の中心的な役割を担ってきたとみられる科学者が、先週、殺害された事件を受けて、中東地域の緊張が高まっています。
中東問題担当の出川解説委員です。

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(Q1)
今回の事件、イラン政府はイスラエルによる暗殺だと主張していますね。

(A1)
はい。イランのロウハニ大統領は、敵対するイスラエルによる暗殺だと非難し、適当な時期を選び、報復する考えを示唆しました。また、最高指導者ハメネイ師も、暗殺の実行犯とその黒幕に対し、決定的な懲罰を与えるよう指示しました。
今回の事件について、イスラエル政府は、沈黙を保っていますが、おととし4月、ネタニヤフ首相が、イランが核兵器の開発を極秘で進めていたことを示す文書を入手したとして、記者会見し、今回、暗殺されたファクリザデ氏について、その中心人物であると名指しして、非難していました。また、イランでは、過去10年ほどの間に、少なくとも4人の核科学者が暗殺されており、イラン政府は、イスラエルやアメリカの関与を主張していました。
こうしたことから、中東問題の専門家の間では、暗殺の目的について、アメリカの政権が移行するタイミングを狙って、イランの核開発能力をできるだけ削ぎ落す狙い。あるいは、バイデン次期政権のもとで、アメリカが「イラン核合意」に復帰するのを妨害する狙いがあるのではないかという見方が広がっています。

(Q2)
イラン核合意に復帰ですか。バイデン氏はどのような中東政策を描いているのでしょうか。

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(A2)
一言で言えば、バイデン氏は、オバマ政権時代の中東政策を復活させる考えです。
まず、自らが副大統領を務めていた5年前に実現させた「イラン核合意」について、イランによる核兵器の獲得を阻止する内容だったにもかかわらず、トランプ政権が一方的に離脱してしまった。イランが核開発を再開させ、中東を新たな戦争の危険にさらしたと強く批判しています。そのうえで、イランが核合意を完全に守るならば、アメリカも核合意に復帰すると述べています。条件付きの復帰です。同盟国とともに、イランと対話を行い、ミサイル開発や周辺国への介入など、中東を不安定化させる行動を改めさせると主張しています。
次に、バイデン氏は、長く中断したままのイスラエルとパレスチナの和平交渉を再開させ、いわゆる「2国家共存」によるパレスチナ問題の解決を目指す方針です。その障害となる、イスラエルによるヨルダン川西岸地区の一部併合や、ユダヤ人入植地の拡大には反対する姿勢を明確にしています。
さらに、サウジアラビア政府による人権弾圧や、イエメンの内戦への介入は容認できないとして、トランプ政権が行ってきたサウジアラビアへの軍事支援を見直す考えも示しています。

(Q3)
バイデン氏の中東政策、思い通りにいくのでしょうか。

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(A3)
道のりは、険しいと言わざるを得ません。
まず、「イラン核合意」の復活は、決して容易ではありません。来年1月20日、バイデン政権が発足しても、核合意への復帰と制裁の解除は、すぐには実行せず、イラン側の出方を見ながら、慎重に判断してゆくと考えられます。イラン側が、核合意の義務違反を続ける可能性や、トランプ政権の制裁で被った損害の補償を要求する可能性もあるからです。
他方、イランでは、核合意を実現させた穏健派のロウハニ大統領が、2期8年の任期を終えるため、来年6月、大統領選挙が行われる予定です。制裁の影響で生活が困窮する人々が増えていることを反映して、今年2月の議会選挙でも、反米の保守強硬派が議席を大幅に増やしています。現時点では、保守強硬派の大統領と政権が誕生する可能性が高いと見られています。
また、最高指導者のハメネイ師が、「アメリカとの交渉を認めたのは誤りだった」と述べていますので、アメリカとの直接交渉は、バイデン政権に交代した後も、簡単には実現しないだろうという見方もあります。

(Q4)
イスラエルとパレスチナの和平については、どうなると思いますか。

(A4)
こちらも、大きな困難が予想されます。極端なイスラエル贔屓で、パレスチナ側の主張を顧みなかったトランプ大統領とは比べられませんが、バイデン氏も、イスラエルの立場を重視する傾向が強いと見られます。
たとえば、トランプ政権がエルサレムを「イスラエルの首都」と認定し、パレスチナ側の強い反対を押し切って、テルアビブからエルサレムに移転したアメリカ大使館について、バイデン氏は、元には戻さない方針です。トランプ政権が、イスラエルによる入植活動を容認したことなど、4年間の既成事実が、和平交渉再開への大きな障害になることが懸念されます。
一方、トランプ大統領は、自らの中東政策のレガシーを覆せないものにしておこうと、
さまざまな手を打っています。

(Q5)
中東政策のレガシーとは、具体的にどういうことですか。

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(A5)
一言でいえば、オバマ政権が残した「イラン核合意」にとどめを刺し、イランを封じ込めるためのネットワークを張り巡らせることです。
このため、大統領選挙後も、イランに対し、新たな制裁強化を打ち出しています。
先月18日から、ポンペイオ国務長官を、イスラエル、UAE・アラブ首長国連邦、サウジアラビアに派遣し、今後も「イラン封じ込め」を強化する方策を協議したもようです。
先月22日には、ポンペイオ長官の仲介により、イスラエルのネタニヤフ首相が、国交のないサウジアラビアを極秘に訪問し、実権を握るムハンマド皇太子と会談して、イランへの対応や両国の関係正常化について話し合ったと伝えられました。

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そして、極めつけは、トランプ大統領自身が、先月12日、イランの核施設に対する軍事攻撃などの対応策を示すよう、政権幹部に求めたとされることです。アメリカの新聞『ニューヨーク・タイムズ』によりますと、イランが、核合意が定める制限の12倍以上の濃縮ウランを備蓄しているという報告を受けて、トランプ大統領が軍事攻撃を検討するよう指示したものの、ペンス副大統領らが、「イランとの大規模な衝突に発展する恐れがある」として反対したため、攻撃を思いとどまったということです。

(Q6)
大規模な衝突となれば、これは大変なことですね。

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(A6)
はい。恐ろしい話です。先週、イランの核科学者が暗殺された事件も、国際協調と対話を重視するバイデン政権に移行する前に、既成事実を作る目的で起きたと解釈できます。
トランプ政権は、イランに対し、最大限の制裁圧力をかけることで、「イラン核合意」よりも遥かに厳しい内容の「新たな合意」をのませたい。あわよくば、敵対的なイスラム体制を転換させたいと考えて、イスラエルやサウジアラビアと緊密に連携してきました。
トランプ政権のいわゆる「駆け込み外交」、自らのレガシーを残すため既成事実を積み重ねる動きは、政権交代の間際まで続くと見られます。仮に、イラン側が挑発に乗って、過剰反応した場合、大きな衝突に発展する恐れがあります。核合意の崩壊を願う国にとっては、望むところです。
バイデン氏は、新政権の発足前から、極めて重い課題を背負わされた格好です。これらをどう克服し、政権をスタートさせるかが、注目されます。

(出川 展恒 解説委員)


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