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「新型コロナウイルスとプーチン政権・変わる権力の構図」(キャッチ!ワールドアイ)

石川 一洋  解説委員

ロシアでは新型コロナウイルスの蔓延の中で延期されていた対ドイツ戦勝記念日の軍事パレードが今月24日に、そして憲法改正の全国投票が来月1日にかけて行われます。
軍事パレードと国民投票の準備が各地で始まりました。
(ロシアテレビより)
感染が収束しない中、なぜプーチン大統領は、二つの行事を強行しようとするのでしょうか。新型コロナウイルス対策でモスクワ市のゾビャーニン市長が台頭し、プーチン体制の権力の構図に変化がみられます。石川一洋解説委員に聞きます。

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Q新型コロナウイルス感染の状況が深刻な中でなぜプーチン大統領は2つの行事を強行しようとしているのでしょうか?

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Aこれ以上引き延ばしていては、政治のイニシアチブを失いかねないという危機感が大統領にはありました。
しかし感染状況は収束には程遠くとくに憲法改正の投票は全国で行われるだけに大変心配です。確かに一時は1万1千人を超えていた新規の感染者は8000人台にまで下がりました。しかしそれは感染者の6割を超えていたモスクワは大きく減少して千人台にまで減ったからなのです。モスクワ以外の地方では最近まで感染者数はむしろ増加する傾向がありました。

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ロシアの感染状況を示す地図を見てみましょう。色が濃い方がまだ感染状況が深刻な地域です。感染が深刻な地域が点在していることが分かります。地方の選挙管理委員会の職員の中には全国投票の業務をボイコットする職員も出ているということです。

Qなぜ、大統領はそうまでして憲法改正にこだわるのです。

Aそもそもプーチン大統領は今年を新たな政治改革・運動の始動の年と位置付け、憲法の大幅な改正の全国投票をいわば自らの信任投票と位置付けていました。

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憲法改正の中身
▼議会の役割を強化する
▼国家評議会を憲法上の正式な組織として、外交内政の方向性を定める
▼大統領の任期を通算2期に制限する。
 その中でも大統領の任期を通算二期に制限するという改正が注目されました。しかし議会での審議などを経て、現憲法下で大統領、あるいは大統領を務めたものはその任期は改正憲法の通算二期には含まれない、いわば「チャラにする」という条項を付け加え、自らがさらに二期務めることを制度的に可能としました。任期の終わる2024年とそれ以降に向けてプーチン大統領が自らの手で政治の主導権を握り、自身に対する信任投票の色彩を強く持たせていました。しかし新型コロナの影響は急速に悪化、プーチン大統領は国民投票の延期を決定、戦略の変更を余儀なくされました。

Q戦略の変更とは?

A自らへの信任ではなくて憲法改正によってロシアは「社会的な国家に代わる」というスローガンに変えたのです。大統領は隣人愛や愛国心がロシアの国民性だとして憲法改正に賛成するよう国民に呼びかけました。
「国民性や歴史を憲法に加えようという提案は当然のことだ。わが国民の圧倒的多数がこの立場を支持すると確信している」
新型コロナウイルスの感染拡大の中で重要性が認識された医療や福祉、生活の保障などをより明確に明記することでロシアは「社会的な国家」になると訴えているのです。プーチン大統領への信任投票という性格を薄めようという戦略に変えたのです。
これに対して反体制派は賛成票を投票することは2036年までプーチンに大統領を続けさせることだとして、投票をプーチンへの不信任を表明する機会と位置付けています。反対票あるいは投票に行かないよう呼び掛けています。

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最新の世論調査による憲法改正の賛否をみてみます。賛成が44% 反対が32%となっています。政権側は投票率60%、得票率60%という控えめな目標を掲げています。大統領の思惑通りとなるかどうかは全く予断を許しません。もしも投票率、得票率が60%を切った場合、大統領の権威は大きく傷つきます。

Q新型コロナウイルスの感染拡大はプーチン体制そのものにも変化を与えたのでしょうか?

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Aプーチン1強に揺らぎの兆しが見えました。今回のコロナウイルスの感染拡大の中で、ソビャーニンモスクワ市長が自らのイニシアチブでロシアにおける感染拡大を最初に警告しました。
「感染者の数が問題ではなく増加率が高いことが問題です。深刻な状況が生まれようとしています。実際の感染者ははるかに多いのです」
「外国からの来訪者は大きな問題です。従って今感染者の有る無しに関わらず、あらゆる地域で感染拡大に備えなければなりません」(3月24日)
プーチン大統領は中国からの感染拡大はいち早く人の交流を遮断して感染を防ぎました。しかしヨーロッパからの感染流入への対処は明らかに遅れました。プーチン大統領が、憲法改正の国民投票を延期し、外出の制限など実質的な対策を取ったのはこの会議の後なのです。もしもソビャーニン市長の直言が無ければ対策が遅れ、モスクワがNYのようにより悲惨な状況になったかもしれません。
モスクワは厳しい行動制限を含む自己隔離措置とPCR検査の数を大幅に増やして感染拡大を抑え込もうとしました。ソビャーニン市長は、国家評議会の感染対策の責任者も兼任し、全国レベルでの対策にも影響力を持ちました。モスクワ方式と言われるこの対策は、感染を拡大している原因を調べること、つまり日本でいうクラスター対策を取ることなく検査を拡大してもなかなか感染の抑止には結びつきませんでした。また厳しい自己隔離措置は経済面での打撃も大きく市長の支持率を下げた側面もあります。ただ短期間に検査体制を整えたのは市長の功績であり、非常に効率的な行政能力を示したといえるでしょう。

Q今後ソビャーニン市長はロシアの政局でどのような役割を果たすのでしょうか

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Aソビャーニン氏は、サンクトペテルブルクや治安機関からの同僚や部下の多いプーチン大統領側近の中では異色の経歴です。90年代にシベリアの油田地帯の地方政治家として頭角を現し、知事にまでなりました。そして2005年プーチン大統領によって大統領府長官に抜擢され、2008年にかけてプーチン大統領が一度メドベージェフ氏へ大統領を譲るオペレーションで重要な役割を果たしました。プーチン首相の下で政府の官房長官も務めました。外様大名から内政を動かす最重要の要のポジションの譜代の重臣となったようなものです。その後、モスクワという反体制派の強い首都の運営を任されました。今回の危機において指導者、行政官としての能力を発揮したことは大統領も高く評価するでしょう。一方ソビャーニン氏だけでなく地方の首長が独自性を強めています。ロシアでは軍事パレードについては、これまでに10以上の地方の知事が感染拡大の恐れがあるとして、行わないことを決めました。その中には第二次大戦の激戦地の知事も含まれます。これまでは考えられなかったことです。
これに対してソビャーニン氏の台頭を喜ばない勢力もあります。プーチン政権は様々な利益集団のバランスの上に成り立っているという性格があります。国民投票の実施に向けてモスクワも制限措置の多くを解除したのですが、制限措置の継続を考えていた市長にクレムリンが圧力をかけたという憶測も流れています。

Qプーチン大統領は憲法改正の目的は2024年以後も大統領を務めたいのではないのですか?その思惑が崩れるということですか。

Aプーチン大統領は国の安定を一番大切に思っています。自らが大統領になるためにあと制度的には二期務めることを可能としたのではなく、体制を安定させたまま24年という移行期を乗り越えることが目的でしょう。自らが大統領を継続する、あるいは一度誰かに譲っても再び戻る可能性を残すことによって体制の安定軸として自らの役目を果たそうとしたものと思います。ただそれができるのもプーチン大統領が国民の高い支持を得ていればこその話です。これまで体制はプーチン大統領の高い支持に依存してきました。
しかし大統領への支持の低下が続けば逆にプーチン依存は体制にとってリスクとなりかねませんしかし今後体制の変革を目指す反体制派の抗議活動は激しさを増すでしょうし、また体制内でもモスクワ市長の台頭にみられるように大統領の求心力には陰りがみられます。プーチン1強体制が流動化する可能性が出てきたといえるでしょう。

(石川 一洋 解説委員)

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