韓国やアメリカとの首脳会談を前に非核化に向けた意思を示したとされるキム・ジョンウン委員長。果たして北朝鮮は、本当に核の放棄に応じるのでしょうか。
北朝鮮の非核化を実現するために、今、注目を集めている国があります。
欧米との秘密交渉の末、核開発を断念したリビアと、
核兵器を保有していながら自らの手で核を放棄した南アフリカです。
この2つのケースから、北朝鮮の非核化を実現するための道筋を考えます。
Q1、ここからは出石 直(いでいし・ただし)解説委員とともにお伝えします。
北朝鮮の非核化が実現するかどうかをめぐっては、悲観的な見方も少なくありませんが、過去にはうまくいった成功例もあるのですね。
A1、アメリカやイギリスからの説得に応じて核開発を途中で断念したリビア、そして核兵器を保有していながら自らの判断で核を放棄した南アフリカ。この2つの国の例は、北朝鮮の非核化を考えるうえで、参考になると思います。
まずリビアです。リビアは、カダフィ大佐というユニークな指導者のもとで、1980年代から闇のネットワークを通じて核開発を始めていました。石油資源が枯渇した時に備えて原子力の平和利用を目指しているのだと偽っていましたが、2003年にはリビアに向かっていた貨物船からウラン濃縮に使う遠心分離器の部品が押収され、核開発を表面化します。ところがその2か月後、カダフィ大佐は核兵器を全面廃棄すると宣言、核関連物資はアメリカや一部ロシアに運び出され処分されました。
Q2、なぜカダフィ大佐は核の放棄に応じたのですか?
A2、カダフィ大佐が核開発を断念したのは2003年の12月。2003年と言えば・・・
Q3、イラク戦争が勃発した年ですね。
A3、3月にイラク戦争が始まり、4月にはバグダッドが陥落、12月にはサダム・フセイン元大統領が拘束されています。カダフィ大佐は、反帝国主義、反植民地主義を掲げ、アメリカ大使館を焼き討ちしたり、アメリカの旅客機を爆破するテロ事件を起こしたりするなど、アメリカやイギリスなど西側諸国を敵視してきましたが、こうした敵視政策を続けていると自分もフセイン元大統領のようになるかも知れないと危機感を抱いたことが直接のきっかけと言われています。
ただカダフィ大佐が欧米を敵視する政策を見直したのはもう少し前、1999年からです。
この年、リビアは航空機爆破事件の容疑者の引渡しと被害者への賠償に応じ、国際社会との対話に乗り出しました。
国際社会から厳しい制裁を科せられ経済に陰りが出てきたこと、反政府勢力が台頭して政権の足元が揺らぎ始めてきたことが背景にあったとされています。
核開発を断念したことで、リビアへの制裁は解除されアメリカやイギリスとの国交も正常化しました。軍事的な支援も得て政権を固めることに成功したのです。
Q4、北朝鮮の非核化を議論する際に、最近「リビアモデル」とうい言葉をよく耳にしますね。
A4、「リビアモデル」というのは主に非核化の手順を説明する際に使われる言葉です。
まず最初に核を放棄し、次に制裁の解除や国交正常化を行うという意味で、アメリカや日本は北朝鮮の非核化もこの順序で行うべきだと主張しています。
リビアモデルのもうひとつの特徴は、情報機関による秘密交渉が功を奏したことです。
カダフィ大佐が核を放棄すると宣言するまでの間、リビアはアメリカのCIA、イギリスのMI6という情報機関と9か月間にわたって秘密裏に交渉を重ねていました。
当時、ブッシュ政権の国務省で軍備管理担当次官としてリビアの非核化に尽力したのがトランプ政権で安全保障担当の補佐官に就任したジョン・ボルトン氏です。
軍事的措置をちらつかせながら制裁圧力を強めれば、北朝鮮もリビアのように非核化に応じるのではないかと考えているのではないでしょうか。
Q5、ここまでリビアの非核化のケースを見てきましたが、もうひとつの成功例が南アフリカですね。
A5、南アフリカは核兵器を保有していながら、自らの判断で核を放棄したただひとつの国です。1993年、南アフリカのデクラーク大統領は「所有していた6個の原子爆弾を1991年までにすべて自主的に廃棄した」と明らかにしたのです。
Q6、それまでは南アフリカが核兵器をもっていることは誰も知らなかったのでしょうか。
A6、疑いはもたれていました。1977年には砂漠に建設した核実験場で密かに核実験を行おうとしたのですが、ソビエトの偵察衛星に察知され国際的な非難を浴びて実験を断念しています。その後も核兵器を持っているとも持っていないとも曖昧な態度をとり続けてきました。
Q7、その南アフリカが核を放棄したのはどうしてだったのですか?
A7、冷戦が終結して安全保障環境が変わったこと、具体的には隣国のアンゴラに駐留していたキューバ軍が撤退したことが大きいと言われています。さらに南アフリカはアパルトヘイト=人種隔離政策によって国際社会から非難され制裁を受けていました。デクラーク大統領は1991年にアパルトヘイトは廃止を宣言し、国際的な孤立からの脱却を目指しました。さらに国内の政治状況もありました。黒人政権の誕生は時間の問題と考えていました。黒人政権が誕生すれば人種対立によって社会が不安定化するおそれがある、その前に核兵器を放棄しようと決断したのです。
Q8、リビアと南アフリカが非核化に成功した例を見てきたわけですが、この2つの成功例は北朝鮮にもあてはまるのでしょうか。
A8、もちろん時代や国際環境は異なります。しかしこの2つの成功例に共通しているのは、
非核化によって、▽安全保障上の脅威が解消されたこと、▽国際的孤立から脱却できたことです。カダフィ政権はその後、いわゆるアラブの春によって崩壊しましたが、少なくとも一度は国際社会への復帰を果たしました。
これを北朝鮮にあてはめますと、北朝鮮にとって安全保障上の最大の脅威は、朝鮮戦争で死闘を繰り広げたアメリカです。朝鮮戦争はいまだ休戦状態で最終的に終わっていません。韓国にはおよそ3万人のアメリカ軍が駐留し有事に備えています。北朝鮮はさらに国際社会から厳しい制裁を科せられています。
キム・ジョンウン委員長は「軍事的脅威が解消されて体制が保証されるならば、核を保有する理由はない」と述べたとされます。またキム委員長が繰り返し強調している「人民生活の向上」のためには国際的孤立から脱却して制裁が解除されることが不可欠でしょう。
安全保障上の脅威がなくなり、国際的な孤立からも脱却できる。北朝鮮が、核を保有するメリットよりも放棄するメリットの方が大きいという戦略的決断をすれば、非核化は不可能ではないと思います。
今月27日には南北の首脳会談、そして来月か6月上旬には米朝の首脳会談が予定されています。北朝鮮の思惑はまだはっきりしていませんし、これまで何度も失敗してきたことを考えれば、非核化が簡単に実現するとは思いませんが、できるはずがないとはなから決め付ける必要はないと思います。過去には非核化に成功した例もあるのですから、希望をもって首脳会談の行方を見守りたいと思います。
(出石 直 解説委員)
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